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スイートポテト
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谷川芙美子は元々役者の顔の方が知られていて、歌手としてはそれほど知名度は無い。だがデビュー当時は歌手として事務所は売り出していたのだ。それも芙美子が望むところでは無いようなアイドルとして。
そんな芙美子を変えたのは三十代に入ってから。映画で子供を誘拐された母親の役を演じてから、芙美子の周囲は一変したのだという。そして現在になって元々自分が好きなブルースやジャズ、シャンソンなんかを歌ってライブをすることも出来た。
カバーアルバムは三枚リリースしていて、そのうちの二枚は一馬がベースを弾いている。ライブも時間の都合が合えば同じステージに上がっていた。
その谷川芙美子は、このライブを最後に休養期間に入るらしい。その理由は明らかにされていないが、谷川芙美子と対面して一馬はやっと理解が出来た。痩せすぎているのだ。つまりどこか体の調子が良くないのだろう。
休養期間前のライブということで、そうそうたるメンツがバックの音楽を弾く。それぞれがソロとして活躍出来る人達ばかりだ。その中で一馬がいるのは少し違和感かもしれない。一馬はソロ活動などしていないのだから。
それでもやるだけだと、一馬はいつものように演奏をする。ドラムに合わせ、曲全体を見て、合わせて奏でるのだ。そんな一馬を芙美子はふっと笑いながら見る。一馬らしいと思ったからだ。
「花岡君。さっきの曲の間奏だけど、ここの小節の間は少しベースが出た方が良いと思うんだけど。」
「そうですか。ではそのように。」
自分の意見は滅多に言わない。だが「二藍」では違うのだ。加藤啓介のトリビュートアルバムのアレンジは一馬がしたのだという。それを聞いたとき、やはり音楽的なセンスは適わないと思った。
「花岡君。やっぱりそこは押さえた方が良いかもしれない。ごめんね。コロコロ変わって。」
「構いませんよ。」
正解など無いのだ。一馬はそう思いながら、置いている楽譜にメモをする。
やがて練習が終わると、一馬はダブルベースをしまった。そして携帯電話の時計を見る。昼食を食べてからここへ来たのだ。それがもう夕方近くになっている。沙夜にスタジオへ来て欲しいと連絡をしたが、本当に来てくれるだろうか。そう思うと不安になる。
沙夜と会えるのはきっと数時間しか無い。何度も出来るわけでは無いのだろうが、それでも二人になれれば良いと思う。
「花岡君。もうこれから今日は仕事が無いのかな。」
芙美子のマネージャーがそう言って一馬に近づいてきた。すると一馬は首を横に振る。
「これから別件の仕事がありまして。」
「「二藍」関係の仕事?それとも自分の?」
仕事といった方がこのあとの食事会やら飲み会というモノに出なくて済む。酒は嫌いでは無いが、必要以上に親しくなりたくない。このメンツとも最後の打ち上げの時だけは顔を出したいが、それ以上は嫌だと思う。
「最近はスタジオミュージシャンの仕事もそこまで多くなくなってきましてね。」
「「二藍」のベーシストをスタジオミュージシャンで使うとなるとね。」
「それでも昔からの付き合いは大事にしたいんですよ。」
「なるほどね。」
本来なら一馬くらいのレベルになると、スタジオミュージシャンとして雇うと金額が上がるだろう。だがそれを上げられないのは、昔からの付き合いもあるからだ。そうすればもし「二藍」が駄目になったときも、一馬に声がかかるかもしれないと言うことなのだろう。
「花岡君。」
谷川芙美子が一馬に声をかけてきた。練習なのですっぴんだし、髪もセットしていない。だがその雰囲気は普通の一般のおばちゃんとは言いがたい。
「はい。どうしました。」
「「二藍」の担当さんね。」
「……泉さんですか。」
普段なら沙夜と言えるだろう。だがこの場で呼べば、何を言われるかわからない。そう思って名字で呼んだ。
「あの人は今度練習に来れるかしら。」
それに一馬は少し戸惑った。沙夜をどこまで知っているのかと思ったからだ。
「同席して欲しいと言うことですか……。それはどうですかね。」
「あら。どうして?」
芙美子にとっては普通のことだったのだろう。だが一馬はヒヤヒヤしていた。
「「二藍」の活動には付いてくることもあるんですけど、個人の活動では付いてくることは無くてですね。」
「望月旭さんのレコーディングには付いてきたと言っていたけれど。」
「それは少し事情があってですね。」
翔の弟の事情もあった。だから一時期沙夜は翔に付いて行っていたのだが、今は翔はスタジオに居ることも多い。それに慎吾が不倫をしていたあの女優は手首を切り、おそらくこの世界から去ることになるだろう。そうなれば、慎吾も翔もマスコミから追われることは無く沙夜も付いて行くことも無いのだ。
「そう……。でもあの子は前に少し話をしたんだけど、とても音楽に精通していたし意見もしっかり言える。貴重なのよね。そういう人。」
「伝えておきます。時間が合えば一緒に来るかもしれませんし。」
そうすれば一緒に入れる時間が増える。なんだかんだと言い訳も出来るのだ。それが一番嬉しい。
結局夕方ほどにスタジオに戻ってきた。さすがに沙夜は帰っているだろうし、食事の用意でもしているだろう。一馬も少ししたら息子を迎えに行かないといけない。そうなれば沙夜に会うどころでは無いのだ。
ダブルベースを置いて、ベッドに腰掛ける。そしてこのベッドで沙夜が乱れていたのを思い出すと、自然に手がそこに伸びそうになった。
「……猿か。俺は。」
そう思ってそこから手を離し、バッグから水の入ったペットボトルを取り出した。その時だった。
玄関のチャイムが鳴り、一馬はベッドから立ち上がる。ここを知っている人は限られている。誰が来たのだろうと思った。
最初は勧誘なんかが来たり、テレビの受信料なんかの話をしに来る人が多かったが、宗教には興味が無いしテレビは置いていないのだ。そう思いながら、のぞき穴を覗くとすぐに一馬はドアを開ける。
「沙夜。」
沙夜は手にビニールの袋を手にしていた。そこにはいくつかのサツマイモが入っている。
「今日、収穫したの。お裾分けと思って。」
「良いのか。」
「今度また送られてくるの。これは……。」
沙夜が言葉を言い終わらないうちに、沙夜を部屋に引き入れるとドアを閉めた。そして体を抱きしめる。
「会えないかと思った。」
「少しでも会いたかったの。」
「俺もだ。」
「息子さんのお迎えがあるんじゃ無い?」
「もう少し時間がある。」
昔だったら、少し時間があれば奥さんの所の洋菓子店へ行ってコーヒーを頼んでいたかもしれない。だが今はここに来たかった。沙夜が来る可能性があるから。
それにあの洋菓子店へ今は足を踏み入れづらい。どうしても真二郎を初めとした他の従業員の顔がちらつくからだ。
沙夜を離すと上を向かせる。そしてキスを軽くした。ここへ来るとき、沙夜はいつも髪を下ろしてくる。そして眼鏡を取っている姿は普段と違う顔なのだ。
「……沙夜。」
芹とは違う厚い胸板だった。それに匂いも違う。一馬からは男特有の体臭のような匂いがするが、芹からは僅かに香水の匂いがする。それは沙夜が送ったモノで、芹はそれを気に入っているのだろう。服にも僅かに残っていたのだ。
「荷物を置かせてくれないかしら。」
「あぁ。悪い。焦ってしまって。」
「良いの。私も……早く抱きしめられたかったから。」
その言葉に少し違和感を持った。やけに素直になっていると思う。芹と別れたのだろうか。それとも自分たちを後押ししてくれるような人が出来たのだろうか。
そんな奇特な人は限られている。治は心から納得していないし、遥人は少し特殊な環境で育ったから感覚がずれているのだから。
そんな芙美子を変えたのは三十代に入ってから。映画で子供を誘拐された母親の役を演じてから、芙美子の周囲は一変したのだという。そして現在になって元々自分が好きなブルースやジャズ、シャンソンなんかを歌ってライブをすることも出来た。
カバーアルバムは三枚リリースしていて、そのうちの二枚は一馬がベースを弾いている。ライブも時間の都合が合えば同じステージに上がっていた。
その谷川芙美子は、このライブを最後に休養期間に入るらしい。その理由は明らかにされていないが、谷川芙美子と対面して一馬はやっと理解が出来た。痩せすぎているのだ。つまりどこか体の調子が良くないのだろう。
休養期間前のライブということで、そうそうたるメンツがバックの音楽を弾く。それぞれがソロとして活躍出来る人達ばかりだ。その中で一馬がいるのは少し違和感かもしれない。一馬はソロ活動などしていないのだから。
それでもやるだけだと、一馬はいつものように演奏をする。ドラムに合わせ、曲全体を見て、合わせて奏でるのだ。そんな一馬を芙美子はふっと笑いながら見る。一馬らしいと思ったからだ。
「花岡君。さっきの曲の間奏だけど、ここの小節の間は少しベースが出た方が良いと思うんだけど。」
「そうですか。ではそのように。」
自分の意見は滅多に言わない。だが「二藍」では違うのだ。加藤啓介のトリビュートアルバムのアレンジは一馬がしたのだという。それを聞いたとき、やはり音楽的なセンスは適わないと思った。
「花岡君。やっぱりそこは押さえた方が良いかもしれない。ごめんね。コロコロ変わって。」
「構いませんよ。」
正解など無いのだ。一馬はそう思いながら、置いている楽譜にメモをする。
やがて練習が終わると、一馬はダブルベースをしまった。そして携帯電話の時計を見る。昼食を食べてからここへ来たのだ。それがもう夕方近くになっている。沙夜にスタジオへ来て欲しいと連絡をしたが、本当に来てくれるだろうか。そう思うと不安になる。
沙夜と会えるのはきっと数時間しか無い。何度も出来るわけでは無いのだろうが、それでも二人になれれば良いと思う。
「花岡君。もうこれから今日は仕事が無いのかな。」
芙美子のマネージャーがそう言って一馬に近づいてきた。すると一馬は首を横に振る。
「これから別件の仕事がありまして。」
「「二藍」関係の仕事?それとも自分の?」
仕事といった方がこのあとの食事会やら飲み会というモノに出なくて済む。酒は嫌いでは無いが、必要以上に親しくなりたくない。このメンツとも最後の打ち上げの時だけは顔を出したいが、それ以上は嫌だと思う。
「最近はスタジオミュージシャンの仕事もそこまで多くなくなってきましてね。」
「「二藍」のベーシストをスタジオミュージシャンで使うとなるとね。」
「それでも昔からの付き合いは大事にしたいんですよ。」
「なるほどね。」
本来なら一馬くらいのレベルになると、スタジオミュージシャンとして雇うと金額が上がるだろう。だがそれを上げられないのは、昔からの付き合いもあるからだ。そうすればもし「二藍」が駄目になったときも、一馬に声がかかるかもしれないと言うことなのだろう。
「花岡君。」
谷川芙美子が一馬に声をかけてきた。練習なのですっぴんだし、髪もセットしていない。だがその雰囲気は普通の一般のおばちゃんとは言いがたい。
「はい。どうしました。」
「「二藍」の担当さんね。」
「……泉さんですか。」
普段なら沙夜と言えるだろう。だがこの場で呼べば、何を言われるかわからない。そう思って名字で呼んだ。
「あの人は今度練習に来れるかしら。」
それに一馬は少し戸惑った。沙夜をどこまで知っているのかと思ったからだ。
「同席して欲しいと言うことですか……。それはどうですかね。」
「あら。どうして?」
芙美子にとっては普通のことだったのだろう。だが一馬はヒヤヒヤしていた。
「「二藍」の活動には付いてくることもあるんですけど、個人の活動では付いてくることは無くてですね。」
「望月旭さんのレコーディングには付いてきたと言っていたけれど。」
「それは少し事情があってですね。」
翔の弟の事情もあった。だから一時期沙夜は翔に付いて行っていたのだが、今は翔はスタジオに居ることも多い。それに慎吾が不倫をしていたあの女優は手首を切り、おそらくこの世界から去ることになるだろう。そうなれば、慎吾も翔もマスコミから追われることは無く沙夜も付いて行くことも無いのだ。
「そう……。でもあの子は前に少し話をしたんだけど、とても音楽に精通していたし意見もしっかり言える。貴重なのよね。そういう人。」
「伝えておきます。時間が合えば一緒に来るかもしれませんし。」
そうすれば一緒に入れる時間が増える。なんだかんだと言い訳も出来るのだ。それが一番嬉しい。
結局夕方ほどにスタジオに戻ってきた。さすがに沙夜は帰っているだろうし、食事の用意でもしているだろう。一馬も少ししたら息子を迎えに行かないといけない。そうなれば沙夜に会うどころでは無いのだ。
ダブルベースを置いて、ベッドに腰掛ける。そしてこのベッドで沙夜が乱れていたのを思い出すと、自然に手がそこに伸びそうになった。
「……猿か。俺は。」
そう思ってそこから手を離し、バッグから水の入ったペットボトルを取り出した。その時だった。
玄関のチャイムが鳴り、一馬はベッドから立ち上がる。ここを知っている人は限られている。誰が来たのだろうと思った。
最初は勧誘なんかが来たり、テレビの受信料なんかの話をしに来る人が多かったが、宗教には興味が無いしテレビは置いていないのだ。そう思いながら、のぞき穴を覗くとすぐに一馬はドアを開ける。
「沙夜。」
沙夜は手にビニールの袋を手にしていた。そこにはいくつかのサツマイモが入っている。
「今日、収穫したの。お裾分けと思って。」
「良いのか。」
「今度また送られてくるの。これは……。」
沙夜が言葉を言い終わらないうちに、沙夜を部屋に引き入れるとドアを閉めた。そして体を抱きしめる。
「会えないかと思った。」
「少しでも会いたかったの。」
「俺もだ。」
「息子さんのお迎えがあるんじゃ無い?」
「もう少し時間がある。」
昔だったら、少し時間があれば奥さんの所の洋菓子店へ行ってコーヒーを頼んでいたかもしれない。だが今はここに来たかった。沙夜が来る可能性があるから。
それにあの洋菓子店へ今は足を踏み入れづらい。どうしても真二郎を初めとした他の従業員の顔がちらつくからだ。
沙夜を離すと上を向かせる。そしてキスを軽くした。ここへ来るとき、沙夜はいつも髪を下ろしてくる。そして眼鏡を取っている姿は普段と違う顔なのだ。
「……沙夜。」
芹とは違う厚い胸板だった。それに匂いも違う。一馬からは男特有の体臭のような匂いがするが、芹からは僅かに香水の匂いがする。それは沙夜が送ったモノで、芹はそれを気に入っているのだろう。服にも僅かに残っていたのだ。
「荷物を置かせてくれないかしら。」
「あぁ。悪い。焦ってしまって。」
「良いの。私も……早く抱きしめられたかったから。」
その言葉に少し違和感を持った。やけに素直になっていると思う。芹と別れたのだろうか。それとも自分たちを後押ししてくれるような人が出来たのだろうか。
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