触れられない距離

神崎

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北の大地の恵み

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 「Harem」のステージはさすがに派手だと思った。そして裕太の言うように、裕太の作った音に瀬名のギターの音はとても合っていると思える。白くて長い指がギターの弦を押さえて弾いている姿に、若い女性達は黄色い声援を送っていた。
「あぁ。この曲ってアレンジし直したんだな。」
 純はそう言うとその曲を聴いていた。ほとんどトークが無く、ノンストップで音楽を奏でている。これでは客が疲れてしまうかも知れない。沙夜はそう思いながら不安そうに客席を見ていた。
「姿だけだな。」
 ライブの終わったパンクバンドのボーカルが、「二藍」のメンバーの側を通ってそう言っていた。
「姿だけ?」
 治はそう聞くと、その男は肩をすくませていった。
「あぁ。悪い。聞こえたか。」
 このパンクバンドも「Harem」のあとに演奏をしないかと言われて断ったらしい。こんなテクノサウンドのあとではどうしてもパンクがより泥臭い音になってしまうだろうから。だから「二藍」よりもキャリアが長いのに「Harem」の前に順番にして貰ったのだ。
「クラブとかで流れそうな曲だね。俺もクラブで演奏をすることもあるけど、帰る時にもっと派手にしておけば良かったって反省する。天草さんはその辺の音のチョイスが絶妙だな。参考になるよ。」
 翔がそう言うと、そのパンクバンドの男は虚を突かれたように中に戻っていった。その様子に遥人が呆れたように言う。
「あいつらも「Harem」を良いように思ってないな。」
「瀬名君のおかげでまた注目され始めてるのが気にくわないんだろう。翔のおかげでそれに巻き込まれないで済んだな。」
 治がそういうと翔は目を丸くして言う。
「え?俺なんか変なことを言ったかな。」
 その言葉に沙夜も少し苦笑いをする。こんな所で翔の天然が炸裂したからだ。
「翔はそのままで良いわ。翔は他のバンドの悪いところを言うような真似はしないじゃない。その辺が凄いと思うの。」
 どうしても沙夜は他人が作った音にはあらを見つけてしまって、純粋に楽しむことが出来ない。そして自分が作ったモノでも同じ事で、録音なんかをしていたらミスだけでは無く付け加えたり外したりと大きく変えたりすることもある。それだけ自分にも厳しいのだ。
 だから無条件に他人を尊敬したり、褒められる翔が素直に凄いと思うのだ。
「でもあのくらい人気のギタリストなんだ。他のバンドが引き抜いたりするかも知れないし、それこそ外国とかから声をかけられそうだけどな。」
 言い方は悪いが「Harem」のようなバンドにどうしているのかがわからない。だがその理由が、一馬の携帯電話に届いたメッセージでわかった。そのメッセージを読んで一馬はやはり裕太は昔と変わってしまったのだと瀬名に同情すらするようだった。

 「Harem」のステージが終わり、楽器や機材を撤収する。そしてその舞台に「二藍」の機材が置かれ始めた。「Harem」ほど機材は無いが、そのステージには五人が揃っている。そして沙夜もそのセッティングを手伝っていた。
 ファンの中には沙夜の姿を知っている人も居て、そして最近は沙夜のことをいらついた目で見ることは無い。むしろ五人の母親のような立場だという受け取り方をしているらしく、ファンの間では沙夜を「オカン」と呼ぶ人も居た。それはそれで勝手に呼んでくれれば良いのだが、沙夜が一番納得しないのは沙夜がこの中の誰よりも年下なのにと思っていることだった。
「ねぇ。今日もオカンがいるよ。」
「本当、オカンだよね。」
 そういうイメージが付けば五人に手を出しているなんていう噂はどこかへ行ってしまう。なのでその呼び名は勝手にしていろと言う感じだった。
 そしてセッティングが終わると、沙夜はステージから降りて関係者なんかがいるステージ脇に向かう。そこでまたバランスを見ているのだ。
「時間ですね。」
 アナウンスなんかは無い。もう時間が来たらスタッフが合図を出して音を出して貰うようにしているのだ。
 ドラムスティックの音がしたあと、みんなが音を出す。そして遥人のシャウトがいきなり聞こえ、客席は一気に歓声と拍手で盛り上がる。先程のアイドルを見ているようなライブとは違って、古参のハードロックファンもいれば子供を連れた家族連れなんかもその場にいる。もちろん若い女性も男性も多い。つまり客層が広いのだ。
「さすが「二藍」さんですねぇ。「Harem」のあとでも派手にしてくれる。」
 スタッフはそう言ってくれているが、沙夜はその音を聴きながらため息を付いた。治が少し早くなっているのだ。ライブでテンションが上がりやすければそうなりやすいが、今日はこんなに早い時期にそうなると思っていなかった。沙夜はそう思って比較的袖に近い一馬に視線を送る。すると一馬も気がついて僅かに頷いた。
 そして一曲目が終わると、そっと一馬は治の方に近づいていく。これで少しましになるかも知れないと、沙夜はほっとしていた。その時だった。
「マネージャーさん。」
 嫌な声が聞こえたと思って沙夜は振り返る。そこには天草裕太の姿があった。
「どうしました。機材を片付けなくて良いんですか?」
「ちょっと任せてきてさ。「二藍」の音も聴きたいし。」
 本当に聴きたいのは違う人だろう。そう思っていたが、沙夜は無視するようにそのステージを見ていた。
「マネージャーさんさ。」
「どうしました。」
 沙夜はそう言って裕太の方を見ると、裕太は携帯電話を取りだしてその画面を見せる。そこには芹と朝倉すずがどこかで立ち話をしている姿だった。
「……それがどうしました?」
 一瞬たじろいだように感じた。だがすぐに冷静になっている。つまらない女だと思った。もし紫乃の指示も無く、裕太が他の女と接点を持っているなどと言ったらどれだけ紫乃から責められるかわからないのに。
「芹と別れた?」
「……どうしてそう思いますか?」
「だって親しそうで……。」
「あなたには友達が居ないんですか。」
 そう言われて裕太の方がたじろいだ。そう返されると思ってなかったからだ。
「ただの友達の関係だと思っているの?」
「それ以外なんだと言うんですか。あぁ。そうでしたね。」
 そう言って沙夜は裕太を見上げると少し笑った。
「何……。」
「以前、私が花岡さんと駅の改札口を出ているだけで怪しいと言われたんですよ。奥様から。」
「うちのから?」
「あなたもそう思うんですか。だからそんな写真を見せてくるんですね。」
「……。」
 そう言われて裕太は気まずそうに携帯電話をしまった。
「邪魔をしないで貰えますか。フェスで演奏をしたのも報告をしないといけないし、録音もしているんですよ。」
 録音と言われて、裕太は一瞬たじろいだ。そして沙夜に頭を下げると行ってしまう。その後ろ姿を見て沙夜はほっとため息を付いた。そして少し俯く。
 本当は動揺していた。あの後ろ姿は朝倉すずだ。芹はすずと懇意にしたくないと沙菜に議事の恋人のふりをすると言っていた。なのにその茶番を演じながらもすずと会っていたのだ。
 芹と一緒に居た時にすずに声をかけられていた。その時には偶然一馬達がいたのでそこで話をして他人のように見せていたのだが、すずにとっては沙夜が芹の恋人だとは思ってもみないことだろう。
 それを芹が望んでいた。だから耐えられていたのだ。だがそれも嘘だとしたら。本当はすずといい仲であったなら。沙夜が一馬と不倫をしているように、芹もすずに惹かれていたなら。そう思うと膝から崩れ落ちそうだった。
 自分を保つためにステージの方を見る。すると新曲を演奏していた。それは映画の主題歌に合わせた不倫ソングだった。テンポも変わる、転調もする。そんな難しい曲の中で、遥人は器用に歌っている。指輪というのがキーワードの曲で、沙夜は思わず自分の中指にはめられている指輪を指で触れる。
 泣いてしまいそうだった。それでも仕事なのだと、沙夜はぐっと我慢をする。泣くのは全てが終わってからだと思いながら。
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