触れられない距離

神崎

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卵焼き

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 少しして翔もやってくるとその場で食事を始めた。その間は一馬と沙夜はいつものように感じる。特段、一馬だけに贔屓しているようにも見えない。翔と沙夜は一緒に住んでいるし、芹とも距離は当然近いし、何より翔は沙夜に惚れているのだ。だから気づかれないようにしているのだろう。そう思いながら治は弁当の蓋をしめると、お茶を口に入れる。すると沙夜がバッグから封筒を取り出した。
「橋倉さん。ここへ来る前に出版社に寄って朝倉さんから資料を預かってきたわ。」
 そう言われて治はその封筒と受け取る。そしてその中身をチェックした。数枚のインタビューの内容が書かれている紙と、話をする映画のチラシが入っていた。
「「薔薇」になったんだ。」
 好きな映画だった。この主演を務める女優も、今はドラマや映画に引っ張りだこだし相手役の男も映画に良くクレジットされている。当初はほぼ濡れ場のような映画なので、AVのようだと言われていた。実際この悪役の男は、AV男優だった男で今はAVを引退しているようだが、その濡れ場のシーンは実際にセックスをしていないのにしているように錯覚をさせる。それだけでは無く、演技力も大した物だと思った。だからこの男もAVと言う経歴を見れば、地上波で流されるようなドラマなんかに出ることは無いと思っていたのだが、今は子供達が起きている時間のドラマで見かけることもある。実力が認められたと思っていた。
「「薔薇」か。うちの奥さんが好きな映画だな。」
 一馬はそう言うと、翔は少し驚いたように一馬に言う。
「奥さんはそういう映画を観るんだ。意外。」
「ソフトも持っていて俺も観たことがあるが、良い映画だと思った。あの主人公の姪の役をした女はこれからきっとまともに結婚をして家庭を持ったとは思えないな。」
「時代が昔だから、無理矢理にでも結婚をしたんじゃ無いのかな。」
 翔はそう言うと弁当に入っている卵焼きに箸をのばした。
「フィクションだよ。」
 治はそう言うと、沙夜の方を見て言う。
「土曜日だっけ?」
「えぇ。フェスがその次の週でしょ?その前くらいにお願いしたいと言われたわ。」
「沙夜さんは付いてくる?」
「いいえ。よろしく言っておいてね。初めて会う人では無いし、勉強熱心な人だから橋倉さんとは話が合うと思うの。」
「そうだね。さっぱりした人のようだ。」
 だがどんな人でも裏ではどんな顔をしているのかわからない。自分の妻もそうなのだから、腹を割って話が出来るのは「二藍」のメンバーだけだと思う。なのにそのメンバーの一馬は治以外の人には言えないことをしているのだ。それがモヤモヤするように思える。
「そう言えばその悪役の男の人さ。」
 翔がそう言うと、沙夜は頷いた。
「えぇ。沙菜が凄い好きだった男優さんよね。」
 すると治も頷いた。
「何でAVなんかに出てるんだろうなって思った男だよ。でもまぁ……あぁいう世界も様々なタイプがいるんだろうし。」
「治は見たことがあるか?」
 翔の問いに治は少し頷いた。
「少し前のAVではよく観た顔だよ。でもあの時代って、男優にスポットが当たる時代じゃ無かったし、ソフトの裏にクレジットもされることも無いような時代だった。今はあぁいう男は女性向けのAVなんかには男の名前がバンと出ることもあるみたいだけど。」
 背も高く、筋肉質の体はその時代では珍しいタイプだっただろう。だから良く覚えているのだ。
「女性向け?」
 一馬はいぶかしげにそう聞くと、治は意地悪そうに笑って言う。
「翔はそう言うのに出れそうだ。」
 すると翔は手を振って言う。
「無理、無理。みんなが見ている前でセックスなんか出来ないよ。それに自信も無いし。」
「まぁ、そうだよな。そういう意味ではこの男は肝が据わっているよ。だから一般の役者になってもどんな役でもしようと思っているんだろうし。それに……一般の役者としてはスタートが遅すぎるしね。いくら若く見えると言ってももう五十代らしいし。」
「五十代?そんな風に見えないな。」
 翔はそう言うと出されているチラシを見る。
「この頃はまだ四十代だよ。」
 沙夜はこの場に付いてこない。そして治はこの雑誌の取材を受けた後、北の地であるフェスに出るのに空港へ向かうのだ。その時、日帰りは出来ないので一泊するという。
 もしかしたらその時に沙夜と一馬は二人になりたいと思うのだろうか。みんながいるのにそんなことをするとは思えないが、そんなことを言い出したら不倫自体が非常識なのだ。
 二人になれる時間はあまり無い。そしてこの地を離れ、芹とも一馬の奥さんとも離れた状態なのだ。手を出すならその時だろう。
 辞めさせたい。そして応援だって出来ない。なのに、一馬の事情も沙夜の事情もわかる。だから無碍に止めることも出来なかった。
「もうみんな集まってるのか。」
 そう言って休憩室のドアを開けたのは、純と遥人だった。今日は二人で仕事があったらしい。ラジオ番組に出演したのだ。最近は遥人と共に純もそうだが、翔も一緒に仕事をすることが多い。遥人がカバーをしているのだ。仕事面では、遥人はとても頼りになると思う。
「沙夜さん。今度のフェスさ。新曲入れるんだろ?」
「入れないとね。」
「アレンジをしても良い?」
「それはあとの練習を聴いてから判断するわ。夏目さんが良いと思ったら入れても良いし。」
「今日のラジオでも流したけど、やっぱ間奏は少し長くしたんだよ。」
「新しいアルバムはリマスターしたモノにするわ。」
「アルバムはさ……。」
 やはり仕事のことになると沙夜は普段通りになる。先程、一馬から暴露をされて顔を赤くしていた女の顔では無く、仕事をする人になるのだ。

 スタジオの練習が終わり、六人はスタジオを出て行く。夜から始まるグラビアの撮影のために、建物の外にはバンのような車が停まりその車の中から機材を運び出すような男がうろうろしていた。
「モデルはあとから来るんだろうな。」
 夜から始まる撮影はきっと深夜にまで及ぶのだろう。どうしてそんな夜中から始まるのか理由があるのだが、それは想像の域を出ることは無い。
「翔はこのままスタジオ?」
「うん。デモを作るよ。フェスから帰ってきて、新しい機材の講習があるんだ。」
 翔の講習と言うだけで、結構な人数が集まる。それに目を付けた翔が居た楽器メーカーも翔に声をかけているが、翔はどうしても昔のことを思い出すとそのメーカーからの依頼は受けていない。翔のことを思えば当然だろう。
「沙夜。」
 一馬が声をかけて、沙夜はそのまま一馬の所へ向かう。そして一馬の持っている携帯電話の画面を見ているようだった。その距離が近いと治は声をかけようとした。だが声をかけたのは遥人の方だった。
「新作?」
 遥人はそう聞くと、一馬は頷いた。
「うちの奥さんの勤める洋菓子店の新作ケーキだ。見た目がシンプルすぎるかと思って、女の目線からどう思うかと聴いて欲しいと言われてな。」
「とても美味しそうよ。モンブランってマロンクリームが糸状になってかかっているモノだと思っていたわ。」
「そういう固定概念を捨てたいらしい。ほら、秋のパルフェもあるらしい。」
「美味しそう。この上はチョコレートかしら。」
「マロンクリームとチョコレートはあまり合わないらしい。違うモノだろう。」
「良いわね。食べてみたいわ。」
「わかったそう送っておこう。」
 少し違和感を持ったので話しかけたが、普通の会話だ。遥人はそう思いながら二人から離れる。
「そこだっけ。翔のスタジオ。」
「うん。じゃあ、また。」
 すると沙夜は一馬から離れて翔に近づいていく。
「翔。あのね……。」
 おそらく家のことを話しているのだろう。だがその二人の姿に一馬は目をそらす。治には全てを言ったはずだったが、まだ不安は残っているのだから。
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