触れられない距離

神崎

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卵焼き

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 二人で向かい合って手作りの弁当を食べている。お茶だけは自動販売機で買ってきたモノで、弁当の大きさがまるで違う。翔も芹もこんなに大きな弁当箱では食べないのだ。
「お弁当箱が大きいわね。それにきっちり入っているし。」
「それでも途中で腹が減ることもある。体を動かすからな。」
 ピアノを弾いていた時は沙夜も今よりは食べていたように思える。楽器を弾くというのは、案外体力を使うからだ。
「海斗君のも持たせているの?」
「あぁ。割と好き嫌いがあるようだったが、妻が工夫して食べさせているようだ。この間はピーマンが食べれるようになってな。」
「良い奥様ね。」
 ハンバーグに刻んで入れたピーマンを、味を濃くして食べさせていた。すると全く気がつかないで食べていたのだという。それから徐々に姿を見せても食べるようになった。美味しさがわかってきたのだろう。
「離乳食の頃からよく食べる子だった。それに良く動くからか、夜もあまり夜泣きはしなかったし起きることもあまり無くて、治の所と比べるときっと楽な子だったんだろう。」
「あなたも……。」
 一馬もそうだったのかと言いかけて止めた。一馬はきっと幼い頃の思い出は良い思い出が無いはずだから。幼い頃に捨てられた一馬を引き取ったのが、今の親だったのだ。つまり兄なんかも居るが、兄とも両親と餅の繋がりは無い。顔立ちも体格も親と兄には全く似ていないのだ。
「気を遣わなくてもいい。事実なんだから。」
 一馬はそう言って唐揚げに箸をのばす。
「そうだけど……。」
「本当の家族のように思える。親から殴られたこともあるし、兄から怒られたこともある。本当の家族では無ければそこまで言わないだろう。お前の所もそうじゃなかったのか。」
「私はあまり怒られたことは無いわね。唯一言われたのは一日中ピアノを弾いていたからうるさいと言われたくらいで。沙菜の方が怒られていたのを覚えているわ。」
「沙菜さんが怒られる理由は何となくわかるな。」
 家を抜け出して男の家へ行くことが多かった。ピルを飲んでいたから子供が出来ることは無いと言っていたが、良く性病にならなかったと思う。
「そんな感じだから、両親は沙菜にはあまり期待をしていないの。」
「期待?」
「つまり、孫を抱かせてくれる期待。結婚して子供を産んで、その子供を芸能人にさせる私の母親の期待ね。」
「そんなに良いモノでは無いのだがな。」
 一馬は身をもって感じている。貴理子に刺されそうになったり、見覚えの無いような噂を立てられたり、裏切られたこともある。そんなドロドロした世界に身を置くのが良いとは思えなかった。
「母は、芸能人の親だとか、祖母だとかというのを期待しているの。」
「俺の親も兄もそんなことを言っているのを聞いたことは無いが。」
「普通はそうよ。ただ、うちの母親は自分がその世界にとても憧れを持っていたから、自分が叶えられなかったことを自分の子供なり孫なりに期待をしているみたい。」
「こういう世界で裏方ばかりにいれば、俺もあまり身動きが取れないと言うことも無かったんだが。」
「スタジオミュージシャン?」
「スタジオミュージシャンなら、顔がばれることも無かっただろう。テレビに出るにしてもちらっと映るくらいだった。街を歩いていても振り向かれることは無かっただろうし。」
「「二藍」に入って音楽をするのを後悔しているみたいね。」
 すると一馬は首を横に振って言う。
「それ以上に自分のしたいことが出来た。したい音楽が演奏出来て、ライブでそれが盛り上がって、認められるのは嬉しいと思う。それに仲間に会えた。人間関係で苦しんでいたのだが、「二藍」のメンツは裏切られるようなことも無いし。それに……。」
「それに?」
「お前にも会えた。」
 その言葉に箸を止める。そして向かいに座っている一馬を見る。一馬もこちらを見ていた。普段、一馬は強面の上にあまり饒舌では無い。だがその目が優しいと思えて心臓が高鳴る。自分の頬が少し赤くなるのを感じた。
「それは素直に嬉しいわ。私もあなたたちに会えて良かった。私ね、本当はあまりハードロックは詳しくなかったのよ。」
「そうだったのか。」
 元々クラシック部門にいたのだ。だが沙夜は録音なんかを聞いて疑問に思うことが多く、そしてもっとこうした方が良いのでは無いかという感情が出てしまうことが多い。まだその当時は若いこともあってそれを指揮者に言うこともあり、沙夜はクラシック部門から怪訝される存在だったのだ。
 なので移動でハードロックの部門へ行くことが決定した時、沙夜は自分を退職に追い込みたいのだと思っていたのだ。だがそのもくろみは全く違ったらしい。
 音楽のセンスを見抜いていたのは、たまたまクラシック部門にやってきた西藤裕太だった。裕太から沙夜にハードロックの部門に来て欲しいとクラシック部門の部長に直談判をしたのだという。
 それから裕太は沙夜があまりハードロックを知らないこともあり、一から教えたのだという。
「西藤部長には、そういった意味では感謝をしているわ。それにまだまだ私もこのジャンルは勉強中だし。」
「知識だけなら純が豊富だな。」
「あなたもこのジャンルは好きだったんじゃ無いの?」
「好きだったな。」
 好きという言葉に沙夜は少し動揺した。なるべく色恋に関係ない話をしようと思ってこういう話題を振っていたが、まさかそれだけで動揺するとは思ってなかった。どれだけ自分がうぶなのだと思ってしまう。
「奥様も好きだと言っていたわね。」
「あいつは好きになったらそれ以外を聴かない。興味が無いものにはあまり関わりたくないようだ。そういった意味ではお前の方がまだ柔軟だな。」
「それは人間関係も?」
「あぁ。あの店にはカウンター席があるだろう?」
「えぇ。」
 テーブル席しか無かったイートインのスペースは、一人客には辛いモノがある。オーナーはそう思って、カウンター席を作りその目の前でコーヒーなどを淹れる様子を見ることが出来るようにしてあるのだ。
 一馬の奥さんはそこに座る人が自分が気に入っている相手であれば話をすることもあるが、気に入らない相手にはもうコーヒーなどを淹れることに集中して話もしないのだという。またはカタログなんかを見ているのだ。当初、遥人が来た時にはそうしていたらしい。だが最近は徐々に遥人にも話をするようになった。
「お前が座ったらうちのは話をするだろう?」
「するわね。この間はお弁当のおかずのことについて。」
「あぁ。これがこの間教えてくれたモノだ。」
 そう言って卵焼きを見せてくれる。卵焼きを焼くにはこつがいる。だがそのコツさえ掴めば、弁当に入れて時間が経った卵焼きもとても美味しく食べられるのだ。
「私が知らないことも奥様は教えてくれたわ。ハンバーグの種を冷凍するって言う考えは無かったわね。」
 そう言って沙夜は弁当に入っている小さめのハンバーグを一馬に見せた。それは一馬の奥さんから教えて貰ったモノだった。
「うちのはお前を気に入っているようだ。それに真二郎もお前を気に入っているらしい。」
「新作を出してくれたから?」
「あぁ。お前もあの店に受け入れられているんだ。」
「だったら尚更ね。」
 沙夜はそう言ってハンバーグに口を付ける。そして一馬の方を見た。
「尚更?」
「えぇ。この間のこと。」
 沙夜はそう言うと、箸を置いてお茶に口を付けた。
「……沙夜。正直に言おうか。俺は……こうして向かい合っているだけで動揺しているんだ。」
「そうなの?私だけだと思ってた。」
「そんなわけが無いだろう。何だと思っているんだ。俺を。」
「何って……。」
「お前が一番知っているだろう。慣れていないんだ。こういう事に。」
「……。」
 すると沙夜はため息を付いて言う。
「私ね……。恋人を今まで作ったことが無くて。」
「無い?芹さんが最初というわけか。」
「えぇ。何故かというと……代学生の時に、○イプされるように処女を失ったから。」
 その言葉に一馬はため息を付いた。沙夜が奥さんとかぶって見えるというのは、もしかしたらこういうところから来ているのかも知れないと思ったからだ。
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