触れられない距離

神崎

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卵焼き

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 外国へ五日間、フェスのために滞在していた。その間、芹は沙菜と共に居酒屋で夕食を取った日があったのだという。その時に芹の担当である藤枝靖と共に同期のメンバーで、その居酒屋で偶然一緒になったのだ。
 そこで芹はすずに誤解をさせるために、沙菜と付き合っているように演技をした。それは見事に当たり、すずはどう考えても沙菜に適わないと思っている。そう思って芹から手を引こうとしていると思えた。同じように誤解をさせている奏太とは大違いだ。
 だが沙夜は本当にすずが諦めているとは思えなかった。諦めてなければ二人になった時に沙菜の名前なり、芹の名前を出すと思ったから。そしてその通り、すずは「日和」の名前を出した。意識をしているのは手に取るようにわかる。
「「日和」は私の双子の妹です。」
「双子?」
「一卵性なので似ていると思うんですけど、他人がいうほど似ていないと思いますよ。私は。」
「そんなこと無いですよ。見た目はその……似てますけど。」
「正直に言って良いですよ。私は「日和」ほど体つきが魅力的では無いですから。」
「そんなことを言ったらあたしなんか子供ですよ。」
 そう言われて妙に納得してしまった。まるで学生のような体つきだと思ったから。いや、学生の方がまだ発育が良いだろう。着ているシャツの様子を見ても、その胸はほとんど無いように思えた。だがそれを言葉にするのは大分失礼だ。
「昔から発育だけは良かったですよ。今の仕事は天職ですね。」
 昔からそう思っていたが、最近は沙菜も辛いのだろうというのがわかってきた。それはきっと芹に抱かれているから、幸せな好意だと実感してしまったのだ。きっと誠二に抱かれたままだと、沙菜のそう言う気持ちはわからなかっただろう。
 きっと沙菜が抱かれたいのは翔だけなのだから。
「その……「日和」さんは恋人が居るんでしょうか。だからあんなに綺麗なんですか?」
 遠回しに恋人の存在を確認している。そしてその相手が芹だと実感しようとしているのだろうか。すると沙夜は首を横に振る。
「それがわからないんですよ。」
「え?」
 もしすずに会うことがあったら、こう言って欲しいと沙菜に言われていた事を沙夜は口にする。
「何て言うんですかね。こう言うの。セフレって言うんですか。」
「セフレ?」
「セックスはするけれど恋人では無い関係ですね。」
「……そう言う相手が?」
「まぁ……何人か居るようなんですけどね。数えればキリが無くて。その線引きが曖昧なんですよ。元々性に対する考え方も私と違いますし。」
「はぁ……。」
 その中の一人が芹だというのだろうか。それで芹も納得しているのか。そう思うと腹が立ちそうだ。
「泉さんは独身なんですか。」
「えぇ。そうですけど。」
「泉さんもそう言う考えですか?」
 すると沙夜は首を横に振る。
「いいえ。私は恋人では無いとそういう行為をしたくありません。妹の考えは私には理解出来ませんし。それ以前にまぁ……仕事のためにしているといわれたらそれ以上私は何も言えませんよ。」
「仕事のためにすることなんですか?」
「えぇ。常にそういう事をしていないと、女性としてホルモンバランスなんかも崩れてくるそうなので。」
「……わからないなぁ……。」
 ぽつりと言った言葉が本音なのだろう。そう思って沙夜は少し笑う。
「普通の人には理解出来ませんよ。そういう世界に居るから、それが日和の普通なんです。その常識を私も日和も押しつけたりしませんから。」
「……そうですね。」
 住む世界が違うのだ。そして芹もその中に居るのかもしれない。そう思うしか無かった。
「すいません。そろそろ私、スタジオの方へ行かないと。」
「あぁ……そうでしたね。最後は雑談みたいになってしまって、申し訳ありません。時間が無いのに。」
「いいえ。では橋倉さんには伝えておきますね。インタビューは今度の土曜日だとか。」
「えぇ。お待ちしてます。」
 そう言ってすずは玄関まで沙夜を見送ってくれた。相変わらず強い日差しが照りつけていて、一気に汗が出てくるようだ。
 だがその心の中はモヤモヤしたモノで埋め尽くされている。
 良い女性だと思った。嫌みも無くて、好きになったら一直線のような女性。芹とその辺がよく似ている。だからもし芹が沙夜と付き合ってなければ、芹は悪い気もしないだろうし、恋愛感情を抱くかも知れない。想われて悪いことは無いからだ。
 それでも芹を渡したくない。芹がまだ好きだから。そう思いながら沙夜はバス停へ向かっていた。

 スタジオへはバスで向かう。出版社の前にあるバス停から、沙夜が勤める会社を通り過ぎた少し離れた通りで降りる。そして少し通りから入った所にあるビルの前に立った。ここは会社の持ち物であるビルで色んなスタジオが入っている。他の会社も借りることが出来て、一度沙菜が週刊誌のグラビアの撮影をした時に偶然会ったことがある。あの時にはこんなにがっつりと沙菜と関わるとは思わなかったが、今は顔を合わせれば挨拶くらいはするらしい。他の人が見ても不自然だとは思わないだろう。挨拶くらいは誰でもするのだから。
 ビルの中に入り予約表を見ると、地下の練習室が押さえられている。時間は十四時から。今は十三時。あと一時間ほどあるが、その間は食事でもしようと、一階にある休憩室を見た。予約はあまり入っていないようだ。二階に週刊誌の名前が書いてあり、おそらくグラビアか何かの撮影があるらしい。だが夜からになっていて、今はあまり人がいない。つまり今は人があまり居ないのだ。
 都合が良い。そう思いながら、沙夜はその休憩室の方へ足を向けた。スタジオの中は飲み物の持ち込みは良いのだが、食べ物は持ち込めない。昼ご飯を食べるならここしか無いのだ。
 その時だった。
「沙夜。」
 声をかけられた振り返るとそこにはエレキベースを背負っている一馬がいた。一馬も仕事を一件、終わらせてここへ来たらしい。
「お疲れ様。早かったわね。」
「スタジオで昼飯でもどうですかとは言われたが、弁当を持ってきているしここで食べた方が良いから。」
「そうね。私もそんな感じ。」
「会社で食べてこなかったのか。」
「その前に行く所があってね。」
 相変わらず忙しい女だ。そう思いながら休憩室のドアを開く。するとずっと薄暗かった場所がぱっと明るくなる。センサーで電気が付くようになっているのだ。
 沙夜はテーブルに荷物を置く。そして一馬はそのまま荷物を置かずに自動販売機の方へ向かっていった。
「お茶でも買うか。お前はどうする。」
「あ、私も買うわ。でも自分の分は自分で買うから。」
 そう言ってバッグから財布を取り出すと、一馬がいる自動販売機の方へ足を向けた。いくつかある自動販売機は、飲み物だけでは無く補助食品なんかも置いている。本当に時間の無い人はこれで済ませるのだろう。「二藍」はそこまで追い込まれたことは無い。スケジュールにも余裕を持たせているし、じっくり五人が意見を出し合う時間を置いているからだ。
 財布からコインを取り出してた、沙夜の手元を見る。そこには相変わらずサイズの合わない指輪がしてあった。それを直そうともしないし、芹だっておもちゃみたいなモノだというのだったら買い直してやれば良いと思う。なのに沙夜はずっとそれで我慢しているのだろう。
 我慢というのは積み重なれば爆発する。そしてふっと芹の前から居なくなるのだろうか。そしてその受け皿は自分であって欲しいと思う。そう思ったがまだ一馬には捨てられないモノがある。それは妻であり子供だった。
「冷たいお茶しか無いわね。」
「体のためにはあまり冷たいモノは控えた方が良いんだがな。」
「そうなの?」
 不思議そうに沙夜はそう言ってお茶を選ぶとそれを取りだした。
「それならお前は何で温かいモノが良いんだ。」
「単純に温かい方が美味しいから。」
「なるほどな。」
「どうして冷たいモノが悪いの?」
 すると一馬もお茶を選んでそれを取り出す。
「冷たいモノは体を冷やす。体が冷えると体のためにはあまり良くない。新陳代謝も良くならないし。」
「体のことを本当によく考えているわね。長生きしそうだわ。」
 お茶を手にして一馬は少し笑って言う。
「別に長生きなどは考えていない。ただ、風邪なんかはひきたくないし。」
「ひくことがあるの?」
「あまり無いな。息子は突然熱を出したりすることもあるが、まだ三歳だとそんなモノだろう。」
 西川辰雄の子供であり昭人とあまり変わらない年頃だ。なのに昭人の方が活発に見えるのは、田舎の子供だからだろう。きっと海斗も一馬を見て、ベーシストでは無いにしても音楽をしたいと思うのだろうか。
 幸せそうな家族だと思う。それをやはり壊したいとは思わない。だから、この間のことは忘れようと思う。気の迷いだったのだ。
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