触れられない距離

神崎

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鶏ハム

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 幼なじみは遠藤真二郎と言い、真二郎もまた複雑な家庭環境にあった。奥さんの母親はそれを知っていて、未だに真二郎と繋がりがあるという奥さんを責めたのだ。
 そもそも真二郎の実家の祖父は人間国宝になった歌舞伎役者。そしてその息子である真二郎の父親も歌舞伎役者でまだ現役であったが、真二郎はいわゆる愛人の息子だった。海外とのハーフの母親はどう考えてもそんな良い家柄の妻になれるはずも無く、しかも真二郎を産んだあとの産後の肥立ちが悪くそのまま亡くなってしまった。
 そのあと身内がいない真二郎とその姉は施設に預けられ、その施設が一馬の奥さんの実家に近かったこともあり、奥さんは真二郎と懇意にしていたのだ。それは近所の子供達も同じで、施設の子供だからといって分け隔て無かったが、特に奥さんとは気が合ったようだった。
 だから真二郎が施設から出て、他の家に引き取られた時も実家の姓に戻った時も奥さんは一緒に過ごしていたのだ。もちろん、祖父がしている喫茶店へ行った時にも一緒だった。
「それだけ真二郎の存在は大きかったんだろう。そして真二郎もやっぱりうちの妻を好きだった時期もあるみたいだったし、そんな感情を抜きにしても大きな存在だった。だから妻を守るのは当然だという考えが合ったんだろう。」
「……奥様にもそういう相手が居るのね。」
 芸能人でもモデルでもあんなに綺麗な人はそうそう居ない気がした。沙夜も見慣れていると思っていたのだが、最初に見た時には感心したくらいだから。
「真二郎が妻の母親を追い出したあと、真二郎も海斗も妻を慰めていたようだった。」
「海斗君も?」
「あぁ。多分真二郎を見てこうすれば良いと思ったのかも知れない。言葉にしなくても態度でわかっているようだ。全く……どっちが父親なのかわからないな。」
 その日の昼間にも洋菓子店の方に追い出したはずの母親がやってきて、なんだかんだと文句を言っていたようだった。もっともそれを追いだしたのは真二郎では無く、オーナーだったが。オーナーも奥さんのことはわかっていて、そういう噂を信じている客にはずっと目を光らせていたし、インターネットの噂も目を光らせていた。それはオーナーとして従業員を守るためなのだろう。若いが良い経営者なのだ。
 その夜、オーナーとその婚約者、従業員夫婦と真二郎と海斗というメンツが、家に集まり酒盛りをしたのだという。奥さんを慰めるようなことだったのかも知れない。
 そしてその夜、真二郎と海斗、奥さんであの広いベッドに眠ったのだという。それでやっと奥さんは平常を取り戻せたのだ。
「だから帰った時の奥様は普段通りだったのね。ごめんなさいね。そんなときにお邪魔をして。」
「俺も確認をしたし、それに人が多いのは妻も気が紛れると思う。気にしないで良い。」
「でも不思議ね。そうやってみんなの手を借りて、奥様が立ち直っていたのかも知れない。だけど何でそれをあなたに真二郎さんが告げたのかしら。」
 すると一馬はその震える手をぎゅっと握って言った。
「真二郎が俺に言ったのは、俺が妻に対して期待をしすぎていると言うことだ。」
 真二郎は一馬なら大丈夫だと思っていた。年齢の割に落ち着いているし、口を開けば悟ったことを言うような男だ。信頼が出来るというのも頷ける。
「期待?」
「俺が妻にずっと寄り添うことは出来ない。仕事もあるししたいこともある。仕事となれば家に帰れないこともあるかもしれない。その分、妻は一人になるだろう。しかしどんな人でも離ればなれになり、常に一緒という夫婦は少ないと思う。その分、妻には強くなって欲しい。それは俺の願いだった。」
「……。」
 身につまされる話だと思う。沙夜も芹と恋人だと言っていても、芹も頼ることをしなかったからだ。代わりに頼りにしたのは一馬であり、そして「二藍」のメンツであり、上司である西藤裕太だった。そして奏太もまた頼りになる所はある。
 例えば自分に苦しいことがあった時、それを芹の前で誤魔化して翔や沙菜からその話を聞くとしたら、きっと芹は良い思いをしないだろう。
「それに俺は余計なことをしていた。」
「余計?」
 すると一馬は頷いた。
「俺が妻の実家にどこかへ行って来た時に土産を送っていた。妻のことを考えて住所はレコード会社から送ったようにはしていたが。」
「あぁ……そうだったわね。」
 一馬からたまに送って欲しいと頼まれたモノがある。その住所と名前を見て、不思議に思っていたがまさかそれが奥さんの実家だとは思っても無かった。
「その時に海斗の写真なんかも同封していた。なんだかんだ言っても初孫なのだし、一度も会えないというのは可愛そうだと思ったから。もちろんそれはうちの両親にも同じ事をしている。」
「海外にいらっしゃったわね。」
「あぁ。俺宛に電話もかかってきたりかけたり、あちらの両親は無視をしているような状況だから尚更そうしてやりたい。尚且つ、同じ国内なのだし言葉も通じる。だから話し合うことは出来ないだろうかと思っていたのだがな。」
「それってその奥様の話を聞く限り、とてつもないお節介じゃ無いかしら。」
「……。」
 すると一馬は戸惑いながら頷いた。自分のやっていたことが、全て間違っていたから。
「真二郎はそれがわかっていて、俺にはわかっていなかった。妻の嫌がることしかしていなかったのかも知れない。俺が……。」
 取り乱している。正直に自分に向き合ったからだろう。そして後悔しか無かったのだ。
「一馬。そんなに自分を責めないで。」
「沙夜……。」
 沙夜はそう言って一馬の手に触れる。そしてブレスレットに手がかかり、それを撫でる。
「身内でゴタゴタしているのを好きな人に見せたくない気持ちはわかるわ。私だって芹にうちのゴタゴタなんか見せたくないし、芹に一から十まで話をすることだって無い。私も芹に過去の女のことなんか聞きたくなかった。」
 紫乃のことは仕方が無かったかもしれない。もし知らなければ、沙夜だって脳天気に芹の兄とその嫁と折り合いが悪いのは、お互いに歩み寄らないからだと思って会うセッティングなんかをしたかも知れない。心の底から芹が嫌だというのをわからずに。一馬も同じような環境だったのだ。だが沙夜の方はまだ芹が教えてくれただけましだったのかも知れない。
 すると一馬は触れてくれているその沙夜の手を握る。すると沙夜もその手を握った。自分で力になれれば良いと思ったから。
「真二郎が言ったんだ。俺では妻を支えるのは無理なのかも知れないと。人間的に出来ている人だと思っていた。年下だがしっかりしていて、口を開けば頼りになるようなことを口走る。だがそれは勘違いだったのかも知れないと。」
「そんなことその人が決めることじゃないんじゃ無いの?」
「俺もそう思ってそう言った。決めるのは妻だと。」
 するとあの時の真二郎は少し笑って言ったのだ。
「だったらどうして実家から自分の母が来たことを一馬に今まで言わなかったのか。海斗すら一馬に言わなかったんだ。一馬に取ってそのくらいの存在なんだ。」
「酷いわ。」
 一馬の何を知っていてそんなことを言ったのだろう。そういう疑問すらわいてくる。そう思って一馬の方を見上げると、一馬はその頬に手を伸ばした。
「また泣きそうになっているな。」
「あ……本当に?やだ。」
 沙夜はそう言って自分の頬に手を伸ばす。そして自分の頬が熱を持っていることに気がついた。
「本当は情が深いんだろう。他人に興味が無さそうに見えるのに、心を許した人には尽くしてくれるんだ。沙夜。その中に俺が入っているからそんな顔をしているのか。」
 すると沙夜は頷いた。奥さんにとっては一馬はそのくらいの存在だったのかも知れない。だが沙夜の中では少しずつ大きなモノになってきている。握りあった手が絡んだ。
 そして一馬はその沙夜が頬を押さえている手に手を重ねた。そしてそちらの手も握る。すると二人は自然と向かい合った。
 普段とは違う髪型。そして眼鏡の無い顔。だがその目が僅かに俯いた。
「どうして俯くんだ。」
「ごめん……このままだとその……。」
 キスをしてしまいそうだ。それくらい惹かれてしまっている。このままキスなんてしてしまったら、流れてセックスをしてしまうかも知れない。そうなれば誰にも顔向けができない。第一奥さんにも海斗にも顔を合わせる度に罪悪感を背負ってしまうだろう。いくら惹かれてもその気持ちだけは蓋をしないといけない。
 すると一馬は手を離す。その行動に少しほっとした。だがどこかで寂しい気持ちもある。どうして欲しいのか自分でもわからない。
 その時だった。一馬の手が沙夜の指にはめられている指輪を取った。そしてそれをローテーブルに置く。そして自分の手からもブレスレットを取り、同じように並べておく。
「ここには俺らしか居ない。沙夜。誰に遠慮をしているんだ。」
「芹と……あなたの奥様と……。」
「俺もそうだ。だから今はそのかけらを取ったんだ。あと残るのは何だ。」
「そんなことを言っても……。」
「沙夜。今は考えるな。正直になった時、お前は何がしたいんだ。芹さんに会いたいのか。俺を妻の元に返したいのか。」
 本当はそうするべきなのだ。アーティストと担当の距離で居なければいけない。触れようと思っても触れてはいけない距離なのだ。なのに涙が一筋頬に落ちる。
「ごめん……。ごめんなさい。」
「誰に謝っているんだ。」
「どうしても抑えきれないから。」
 その言葉に一馬は少し笑う。安心したからだ。
「俺も抑えきれない。沙夜。こっちを向いて。」
「駄目……。」
「沙夜。」
 のぞき込んだ目が優しい。その優しさにずっと触れたかった。そして一馬はそのまま沙夜に近づいていく。沙夜もそれに答えるように近づいていった。
 軽く唇が触れた。一瞬の時間だったが、永遠に思える。
「一馬……。」
 沙夜の方から一馬の首に手を回す。一瞬触れたことで、覚悟が出来たのだろう。すると一馬はそのまま沙夜の首に腕を回し、少し口を開けて沙夜の唇にキスをした。
「……んっ……。」
 思わず声が漏れた。がむしゃらで激しいキスだった。まるで食べられそうな勢いだと思う。しっかり捕まっていないと押し倒されそうだった。
 ずっと我慢していたモノを埋め合わせるように、一馬は唇を離してもまたキスをする。沙夜もそれに応えた。
 そして唇を離した時、沙夜は息を切らせて一馬の胸に倒れ込むように体を寄せた。
「窒息する……。」
 そうだった。妻とは違う。妻はあれで体力が付いた方なのだ。一馬に合わせるようにした努力のたまもので、沙夜は普通の女性だった。確かに動き回ることもあるだろうが、仕事と運動では体力の付き方は全く違う。
「これからだな。」
 一馬はそう言って抱きしめると、沙夜は僅かに頷いた。それが素直に嬉しくて、沙夜を抱きしめている腕に力が入る。
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