触れられない距離

神崎

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鶏ハム

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 橋倉治にメッセージを送っていたら、仕事が終わった本人から直接連絡があり、沙夜はその詳細を告げていた。
「うん……。映画雑誌なの。外国のフェスの前に受けたあの雑誌。橋倉さんを指名してきてね。あなたが良ければ受けようと思っているんだけど、どうかしら。」
 オフィスに帰ってきた奏太が、その会話をちらっと聞いていた。相手は一馬では無いことで安心しているのだろう。
「そう。だったら詳細をメッセージで送りましょうか。それか明日のスタジオで渡しても良いんだけど。……だったら明日ね。わかったわ。」
 そう言って沙夜は電話を切ると、またパソコンの画面に目を移す。すると奏太が声をかけた。
「お疲れ。新しい仕事?」
「えぇ。橋倉さんにね。」
「育児雑誌か、テレビかそんな所か?」
「いいえ。映画雑誌よ。」
「映画?」
 その答えに奏太はいぶかしげな顔をする。治にしては意外な仕事だと思ったからだ。そんな仕事は大体遥人の方が多いのに。
「この間のこの雑誌の取材で、案外橋倉さんが映画通だってわかったんでしょうね。新しいコーナーが立ち上がる一回目のゲストに橋倉さんを起用したいと言ってきたの。」
「って事は担当はあの小さい女か。」
「そうみたい。良かったわ。森さんじゃ無くて。」
「森?」
「大学の同期にいたでしょう?森澄香さんって。」
 その名前に奏太はしばらく考えていたが、思い出したように頷いた。
「あぁ。何?そいつ映画雑誌にいるの?」
「えぇ。前に自分がインタビューをするつもりだったのに、石森さんから拒絶されてふてくされていたわ。」
「そんな感じに見えるよ。大学の時からあまり変わってないな。」
 奏太も澄香のことは覚えている。ピアノと言うよりもどうしていつもあんなに露出の激しいようなドレスで演奏するのかがわからなかった。確かにピアノのコンクールとなるとドレスアップをするのが決まりだし、違和感は無いがそれでもその格好は無いだろうと思っていた。開いた胸元から豊かな胸がこぼれそうで、まるで売春婦のようだと思いながら見ていた。
 それなのに、奏太にいつも澄香は言い寄っていた。お酒を飲みに行こうとか、食事へ行こうとか言われていたが、奏太はまっすぐ家に帰らないといけなかったし食事はいつも母が作った弁当を持参していた。あの頃はまだ母親の呪縛から溶けていない時期だったのだ。
「みたいね。何で音楽雑誌にいないのかしら。」
「そりゃ……居られなくなったか、問題があったかだろ?」
「問題?」
「俺の予想だよ。別に確信があって言ってることじゃないし。」
「噂って好きよね。」
「噂好きみたいに言うなよ。あの石森って女とだったら森は絶対衝突するって想像も出来る……。」
「はい。はい。」
 そう言って沙夜はまたパソコンの画面に目を移す。奏太が噂に踊らされるタイプだとはわかった。だからまともに取らない。そう思いながらパソコンの画面を見ると新たなメッセージが届いているのに気がついて、それをチェックする。
「……。」
 今度は一馬への仕事の依頼だった。一馬もあまり仕事に制限を設けていないが、それはあくまで演奏する仕事だけになる。育児雑誌に連載をもつ治に声をかけられて一緒に載ることもあるし、良い体つきをしているので健康雑誌にインタビューされることもあるが、基本的には音楽関係のことしか受けない。元々饒舌では無いのだ。インタビュアーも記事にしにくいのだろう。
「アイドルかぁ……。」
 同じ事務所の男のアイドルが次々に出てくるフェスがある。その演奏を頼まれているのだ。こういう仕事は一馬は昔から多いが、これだけ名が売れるとその仕事まで手が回るかと言われたら微妙だ。だが、要は本人のやる気だと思う。
「アイドル?」
 奏太がそう言うと、そのメッセージをのぞき見ようとした。すると沙夜はくるっと振り返って、奏太の方を見る。
「あなたが担当をするバンドはどうかしら。」
 すると奏太はため息を付いて言った。
「最初顔だけだと思ってたけど、あいつら結構やる気でさ。練習をみる度に上手くなってるのがわかるよ。でもデビューをするにはもう少し精度を上げて貰わないと。」
「褒めるなんて、明日は雨かしら。」
「うるせぇ。努力してるのが見えれば俺だって褒めるよ。」
 「二藍」には最低限しか関われなくなった奏太は、別のバンドの担当を兼務していた。そのバンドは、元々アイドルをしていて踊りながら歌っていた五人組の男達だったのだが、大手の事務所などでは無いためほぼ無名に近い。
 そのアイドルユニットの最年少のメンバーが二十歳になったのをきっかけに、バンド形態にしようと言い出してこの事務所に移籍をしてきたのだ。つまり、追い出されるような形になったのだろう。それでも意地でレッスンを重ね、そこそこ形になってきた頃に、奏太がその担当になった。まだメンバーも若く、音楽に対してそこまで知識が無い。なので奏太のアドバイスはまるで水を含むスポンジのようにドンドン吸収していく。そして本人達の自己努力も怠らない。なので顔だけでは無く、実力もきっと付いてくれると奏太は信じていたのだ。
「あぁ。そうだ。今度翔に話をしないといけないな。」
「千草さんに?」
「あいつらのデビュー曲を書いて欲しいんだ。今は練習にカバー曲ばかりさせてるけど、再デビューするんだったらロック色の強いヤツを書いて欲しいし。」
「だったら千草さんでは無く、夏目さんの方が良いかもしれないわ。千草さんはどちらかというとメロディアスだから。ハードロックの枠からは少し外れているし。」
「まぁ、どっちが良いかは本人達に聞かないといけないけど。純の作った曲は難しくてテクニックが要求されるし、だったら翔の方が良いかなと思ったんだけど。」
「まぁ、どちらにも聞いてみるわ。千草さんは少し難しいかも知れないけれどね。アニメのサントラが大詰めになっているみたいだし。」
 すると奏太はこそっと他の人に聞こえないように沙夜に聞いた。
「帰ってきてるのか。最近。」
「一昨日帰ってきたから、今日は帰るかも知れないわね。」
「弁当とか持って行ってやれよ。」
「時間を見て持って行くこともあるわ。その辺は私では無くても良いし。」
 そうじゃない。おそらく翔は沙夜に来て欲しいと思っている。なのに沙夜は翔の方を見ようともしないのだ。

 沙夜の言う通り、スタジオの側にある公園で弁当を持ってきたのは芹だった。翔が個人的に借りているスタジオではあるが、レコード会社の息もかかっているので一般人である芹がスタジオの中に入るわけにはいかない。そう思ってこの公園で待ち合わせをしていたのだ。
 東屋の日陰でお茶を飲みながら二人で弁当を食べている。弁当の配置が違うが、内容は一緒だった。
「今日は帰れるんだ。」
 芹がそう聞くと、翔は頷いた。
「何とかめどが立ったし。あとは細かい修正だけかな。」
「映画の公開っていつ?」
「今年の年末。正月映画だな。」
 正月からロボットアニメをみるのだろうか。それは個人の好みもあるが、妹は絶対観ないだろう。
「結構長くかかったよな。」
「こだわりだしたら次々に手を加えたくなるよ。その辺は、沙夜の方が思い切りが良いみたいだ。」
 沙夜は曲を作る時には、これと決めたらそれから変えないらしい。変えたいと思ったら別の曲にする。最初のインスピレーションを大事にしているのだ。それでも他人の意見を聞いて変えることもあるが、基本自分の感覚を大事にしている。
「美味しいな。この鯖。竜田揚げ?」
「うん。鯖が安かったし、夕べの残り。」
「冷めても美味いよ。沙夜が作ってた?」
「そう。」
 沙夜を連れて実家に帰った時、母親が昼ご飯でもと言って出してくれたモノだった。作り置いていたモノだったが、美味しかったので作り方を教わったらしい。母親も元々料理上手だったのだが、パートでスーパーの惣菜コーナーへ行くようになってからはまた腕が上がったように思える。そして沙夜との関係は悪く無さそうに見えた。
 だが父親はいぶかしげに沙夜を見ていたのを覚えている。仕事ばかり女はするモノでは無く、家庭を守るモノだという考えがあるのだ。本当だったら自分の奥さんだってパートなんかに行かせたくなかったが、まだ咲良に金がかかるし裕太も金の無心をしてくる。だから仕方なく行かせていると言った感じだろう。芹は稼いでいるようだし、もし一緒になるのだったら家庭に入るような女を選んで欲しいと思っているのだろう。その枠に、沙夜は絶対入らない。家で閉じこもっているような女では無いのだから。
「沙夜はこっちには来ないのか。」
「来るよ。仕事が終わってから顔を出してくれる。曲を聴いて意見もしてくれるし、助かってるかな。」
 それに会いたいと思った。だが足下を見る度に心が痛い。
 沙夜の足下にはアンクレットがスラックスの裾から見えるのだ。そのアンクレットは芹が送ったモノで、そのアンクレットに付けられた緑色のチャームは一馬が送ったモノだという。奏太の目を誤魔化すためだった。だがそれが一馬とお揃いのように見えて、いらだちが募る。
 サラダとして添えられているコールスローを食べて、芹の方を見るが、芹はそう言ったことも全く気にしていないようだった。
「映画かぁ。この間映画館ってすげぇ久しぶりに行ったけど、最近の映画ってすげぇな。お前達が主題歌をしている映画って来週公開だっけ。」
「うん。不倫映画。」
「身も蓋もない言い方だよな。で、どうだった?」
「カップルで観れないし、家族連れが観れるような内容じゃ無いし、どのそうにターゲットを絞ってるのかな。あぁいう映画。」
「そりゃ、人妻だろう。」
「人妻?」
「同じような立場の人を共感出来るようにしてるんだよ。」
 毎日同じような日々を過ごしている人妻が、刺激を求めるのに不倫をする。それを実現出来るわけが無い。自分の立場を崩してまで不倫をすることは無いのだから。
 だから映画などの作られたモノに自分を投影する。そうやって刺激を求めているのだろう。
「……不倫なんて、するもんじゃ無いけど。」
「そうだな。お前は経験済みだっけ。」
「沙夜に言うなよ。それから沙菜にも。でもお前、何でそれを知ってるんだ。あれだってあの家に住む前の話だし、誰も知らないと思ってたのに。」
「世の中広いようで狭いんだよ。」
 芹はそう言って食べ終わった弁当の蓋を被せて、持ってきた袋の中に入れた。そして昔のことを思い出していた。泣きながら芹に訴えかけていた女の目が忘れられない。
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