触れられない距離

神崎

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鶏ハム

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 出版社のオフィスで、期間限定だが新コーナーを任された朝倉すずは張り切っていた。以前、「二藍」にインタビューをしたことで上司の見る目が変わったのだろう。歌手やバンドのメンバーには映画好きな人もいる。そういう人達に話を聞いて、記事にするのだ。すずは以前、「二藍」にインタビューをした時に一番印象に残っている人に、まず話を聞きたいと思っていた。それに上司も気乗りしている。そう思いながら、レコード会社の番号に電話をしてみた。
「朝倉と言います。以前お世話になりました。えぇ……。ありがとうございます。おかげさまで評判が良いみたいで、本格的に発売される前から注目を浴びていまして。」
 その電話にいぶかしげに見ている人がいた。すずよりも先輩にあたる森澄香だった。本当だったらその位置に自分がいるはずだったのに、ぽっと出て適当に話したモノを記事にしていると思っていて腹が立つ。
「はい……では連絡をお待ちしています。アドレスは大丈夫ですか。えぇ。名刺に書いてあります。では失礼いたします。」
 そう言って電話を切ると、満足げに笑っていた。そして「二藍」の記事をまた目にする。写真も載っていて、インタビューをしていた時よりもキリッとしているが、本当はとても話しやすいフレンドリーな人達ばかりでやりやすい。
 また仕事が出来れば良いと思う。
「朝倉さんってアーティストとかに媚びを売るの上手いんだし、音楽雑誌に行けば良いのにね。」
 隣に座っている女性にそう言うと、女性は苦笑いをして軽く答えた。朝倉に対する嫉妬はわかっているのでもう面倒くさいと思っていたのだろう。
「あ、でも編集長の石森さんと付き合うのはあの人は無理かも知れないけど。だってさぁ……。」
「ごめん。森さん。今ちょっと集中しないといけなくて、話しかけないでくれる?」
 そう言って女性はまたパソコンに目を向けた。その態度に澄香は更に敵を作るのをわかっていない。どこのオフィスでも女同士の繋がりは大事にしないと、いじめのようなことが起きるのだから。それはこの女性でもすずでも同じ事で、自分がちょっと言えば異動なんて言うことはすぐに出来る。そう思いながらちらっと澄香は時計を見ると、少し笑う。
「あ。お昼だ。ランチ行こう。」
 ここには社員食堂はあるが、そういう所には行きたくなかった。自分は他の社員と違うとまだプライドがある。他の社員に声をかけて一緒に行き、すずのことで盛り上がろう。そう思いながら、バッグを持つとオフィスを出て行った。
 澄香が出ていったあと、すずも仕事のめどを立てて席をあとにする。そしてすずがいつも行くのは社員食堂だった。なんせここの社員食堂は、安いのが売りで毎日違う定食がある。たまには外に行くこともあるが、基本ここの社員食堂を利用していた。
 もし可能だったら、芹も来て食べれば満足するだろう。そう思いながらパソコンをスリープ状態にすると、バッグを持って社員食堂へ向かっていった。

 Aランチ。Bランチとあり、今日はAランチは鯖の味噌煮。Bランチは鶏の南蛮だった。迷わずすずはBランチを選択し、トレーを取ると流れ作業で次々に食事がトレーに載っていく。ご飯、味噌汁、漬物、小鉢。そしてメインの鶏の南蛮と添えられた野菜を受け取ると、席が空いている所を探す。すると、藤枝靖の姿を見つけて、その向かい側に座った。
「藤枝。」
「朝倉。お疲れ。聞いたよ。コーナー任されたんだって?」
「単発だけどね。とりあえず半年間の。」
「凄いじゃん。俺だってまだ担当はそこまで任されていないのに。」
「そうだっけ?藤枝はなんか不思議な人の担当してるじゃん。」
「渡先生ね。」
 「草壁」の担当は石森愛がしている。本当だったら編集長なのでそんな暇は無いのだが、どうしても芹の事情で他の人では無理なのだ。
「鯖なんだ。藤枝。」
「俺、海育ちだから魚が好きなんだよ。」
「へぇ……。」
「それ甘そうだよな。」
「甘酸っぱいと思うよ。それにお肉食べたいじゃん。」
「元気だよな。朝倉は。」
 笑いながら鯖の味噌煮に箸を付ける。するとすずは、キラキラした目で靖に聞く。
「芹さんは魚好き?」
「どうかな。何でも食べるみたいだけど。」
「そうだよね。この間の居酒屋の時も凄くお酒も飲んでたし。」
「それが普通なんだろうな。俺、酒はあまり好きになれないわ。」
 叔父もあまり酒は強くないようだが、その辺は血筋というのだろうか。だが叔父とは血の繋がりは無い。靖が子供の頃に、育ての両親は自殺をして残った靖を引き取ったのは、大学教授をしている今の父親だった。そしてその父親は教え子と結婚して、子供が二人居る。つまり、血の繋がりの無い兄弟がいるのだ。だがそんなことを考えさせないほど、父も母も靖には厳しく時に優しく接してくれた。大学へ入らせてくれたのだからと、あまり負担をかけないようにしてバイトのようにこの出版社の雑務をこなしていたのだが、異例で大学に籍がある時にこの出版社に籍を置くことを薦められた。だから靖は、入社時期が早く誰よりも若い。
「この間、たまたま会った時、また映画行きたいって言っててさ。三人で行こうよ。」
 芹と二人では行かせられない。それに映画自体は嫌いでは無いのだ。そう思ってすずに聞く。
「今何が面白いの?」
「話題になってるのは、小説が原作のミステリー。最後の十分でどんでん返しってヤツ。」
「あの小説だろう?俺、犯人知ってるし映像にしてもなぁ……。」
 犯人を知っているミステリー映画を観ても面白くないだろう。映像にすれば少しは楽しめるのかも知れないが、それでも自分のイメージとは違ったりするのだし。
「芹さんは?」
「こだわりは無いみたいだけど。って……あれだな。朝倉。」
「何?」
「芹さんにこだわるよな。辞めとけって言ったのに。」
 それはわかる。芹の隣にいたAV女優。色気が歩いているのかと思ったほど、すずには無いものだ。それが芹の彼女なのかも知れない。一件美人局のように見えるが、話せばいい人だし嫌みも無い。それが更にすずを苦しめた。
「だってさぁ……。」
「お前、だってが多い。それに諦めが悪い。そんなんじゃ芹さんだって呆れるから。」
「ふーんだ。」
 そう言ってすずはまた食事に箸を付ける。するとまた別の同期の女性がやってきて、すずの隣に座った。
「お疲れ。朝倉、コーナー任されたんだって?」
「やだ。もうそんなに噂になってるの?」
「凄いじゃん。映画雑誌にいってあまり経ってないのに。」
 すずには噂があった。入社した新人は、まず忙しいようなゴシップ誌や週刊誌、漫画雑誌などに配属されることが多い。そこからそこで下積みを積ませたあとに本人の希望や本人の技量などを考慮して別の部門に異動になるのだ。
 人によっては続かなくて部門をコロコロ変わる人もいるし、そのまま辞める人も少なくは無い。そういう人の主な原因は人間関係だったりするのだが、すずはそういう事も器用にこなしているように見える。それなのに移動が多く、映画雑誌に来たのも最近なのだ。その原因は本人に知らされないが、噂程度で上司達と寝ているという噂があった。地味な感じなのに床上手だという噂がある。それを同期は気にしているのだろう。
「朝倉は努力してるよ。」
 靖はそう言ってお茶を飲む。
「え?」
「この間、映画に付き合ったけど、ただ単にぼんやり映画を観ているわけじゃ無いみたいだし。メモを取ったり、古い映画のパンフレットを買いに行ったりさ。のみの市なんかへ俺も行くことがあって古い本とか買おうとするけれど、便利なモノがあればそっちに流れちゃうから。」
 すると鈴は顔を赤くして手を振る。
「そんなに持ち上げなくても良いよ。」
「いや。素直に凄いと思う。だからコーナーも任されたんだろうな。何だっけ。歌手とかアーティストにインタビューするんだっけ?」
 するとすずは頷いた。
「そうだけど。」
 その言葉に同期の女性は、気まずそうにすずに言う。
「ごめん。変なことを言っちゃった。あんな短期間で、コーナーを任されるなんて羨ましいなって思っちゃったから。」
「ううん。良いの。あたしだって藤枝には嫉妬してたしね。」
 すると靖は驚いたようにすずを見る。
「何で俺?」
「だってなんか不思議な人の担当になってるじゃん。担当なんて、そうそう出来ることじゃないし、外されないし、気に入られてて羨ましいなって思うよ。」
「ねぇ。藤枝。渡先生ってどんな人なの?」
 同期が食い気味に聞こうとする。それに靖は手を振った。
「言えないよ。言ったら本当に担当を外されるんだから。」
「そうだった。でも気になるよね。子供向けのアニメの曲の作詞も、コメディタッチの曲も、恨み節まで書くような女の人だよ。よっぽど色んな事に精通してないと無理じゃん。あたし、今度の「二藍」の新曲の歌詞、凄い聞いてて苦しいから。」
 この同期は遠距離恋愛をしていたのだ。だがそれに幕を下ろしたのは最近のことで、それが歌詞と自分がかぶったのだろう。その曲を聴く度に、涙が出そうになる。
「お疲れ。朝倉、コーナー任されたんだって?」
 また違う同期がやってきた。今度は健康雑誌の担当の男だ。がたいが良くて、スーツがパツパツになっている。
「うん。張り切ってやらないとね。」
 何度も聞かれても何度も答える。嫌な顔をしないのだ。そういう人間性が、すずを好きにさせるのだろう。
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