触れられない距離

神崎

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ロシアンティー

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 沙菜が仕事へ行ったあと、沙夜は紅茶を淹れた。久しぶりに立つ台所は、沙夜がしているよりは若干汚れているように見えるが、何も出来なかった頃よりは雲泥の差だと思う。
 そして冷蔵庫を見ると案外食材が揃っている。特に夏野菜が豊富なのだ。
「どうしたの?これ。」
「辰雄さんの所へ行ってさ。」
「夏野菜を貰ってきたのね。凄いわ。今日は、天ぷらにしたいな。なすとズッキーニの天ぷら。」
「美味しそうだ。」
 一馬が少し笑った。その様子に芹が口を開く。
「お前のために作ってんじゃないから。」
「わかってる。」
 恋人のふりをして欲しいと入ったが、恋人のように振る舞われるのは迷惑だと思う。それになんだかんだ言っても既婚者なのだから。
「けど芹さ。どうして一馬に頼んだんだよ。」
「既婚者から手を出されているって言ったら、こっちには目をくれないだろう。悪いけどあんたを盾にして無視させるようにしているから。」
「かまわない。それに役得だと思うし。」
「役得?」
 芹はそう言って不思議そうに一馬を見た。
「うちの妻の作る食事が美味しくなるのは目に見えている。」
「あぁ。そういう事で。」
 芹は納得しているようだが、翔は少し違和感を持っていた。一馬がそんなことを言うのを初めて聞いたから。
 そしてあの国へ行っていた時にも思ったが、やはり一馬と沙夜は距離が近いような気がする。
「お待たせ。お茶が入ったわ。」
 沙夜はそう言ってトレーに紅茶のポットとカップを出してきた。そしてそれぞれの前に置くと、そのお茶を注ぐ。
「良い香りだな。あっちの方はコーヒーより紅茶をよく飲むんだっけ。」
「そうだな。会社にもカフェを併設していたが、それよりも町中のカフェの方が賑やかに見えたな。」
「今度はミルクティーを飲みたいわ。」
「来年また呼ばれたらね。」
 翔はそう言ってその紅茶に口を付けた。
「美味しいな。沙夜は紅茶を淹れるのも上手くなった?」
「空港のカフェでこうやって入れているのかと思いながら淹れていただけよ。一手間が更に美味しくなるわね。」
「あぁ。あの手さばきが見事だった。違う空間を作り出しているみたいな。」
 一馬もそう言って紅茶に口を付ける。二人にさせた時に行ったカフェのことだろう。帰ってきたら紅茶の袋をお土産に持っていたのだから、その影響を受けたという所なのだ。
「沙夜。それで、はっきりさせたいことがあるんだけど。」
「何かしら。」
 翔はカップを置いて、沙夜を見る。
「一馬とは本当に何も無いんだよね。」
「無いわ。そんなに疑っているの?」
「無いなら良いんだ。芹も沙菜とは何も無いの?」
「無いよ。」
「……だったらこのままって事かな。」
 そう言うと芹は沙夜の方を見る。すると沙夜はカップを置いて芹の方を見た。
「あなたは元々色気のあるタイプが好きなんじゃ無いのかしら。」
「そうでも無いけど。中身しか見てないし。」
「中身を見るんだったら、紫乃さんみたいなタイプは選ばないと思うけれど。」
 すると芹は頭をかいて言う。
「幼かったんだよ。二十歳そこそこだったし。二十歳くらいで大人の女から誘われて断る男ってどこにいるんだよ。」
 一馬は首をかしげて言う。
「俺はあまり好きじゃ無かったが。」
「例外もいるだろうけど。」
 確かに一度会った一馬の元彼女という人は、色気が歩いているとは言いがたかった。それでも○クザの姐さんなのだ。どちらかというと外見よりも肝が据わっているといった方が良いだろう。
「一馬の女関係の人とはみんな気が合う人だったわ。」
「そこまで俺は女と付き合ったことは無いが。」
「つまり、似たような女を好きになると言うことだろう。」
 翔はそう言うと、一馬は意外そうな顔をする。
「お前がそんなことを言うと思ってなかったな。」
 翔がそういう話をすると思っていなかった。沙夜しか見ていなくて、芹と付き合っていてもイライラしているように見えたのだが、その矛先も一馬に向いているような気がする。
「……思ったんだけどさ。俺、ちょっといい顔をしすぎたのかなと思ってて。」
「いい顔?」
「俺は、許せないよ。沙夜がずっと好きで芹と付き合うようになってもまだ好きで、なのに芹は沙菜とキスをしていたり浮気をしていなかったにしても一緒に居る所を写真に撮られたりしてね。」
「それは俺も軽率だったと思うし、解決していないことで迷惑もかけた。反省はしてる。」
「俺は芹が沙夜をそんなに不安にさせるのを許せないから。ましてや一馬のように家族思いで、奥さんしか見ていないような男に盾になって貰っているなんてね。」
「翔。それは俺も奥さんも了解していることだ。」
「奥さんはそれで納得しているようにしているだけだ。本当だったらどんな状況だって他の女といちゃついているような真似をされたくないと思うけど。」
 そう言われて一馬も言葉に詰まった。確かに奥さんに甘えている所はある。だが奥さんにもそういう異性の相手がいるのは知っているし、その間に自分は立ち入れないことも知っている。幼なじみという美しい男だ。だがこの男とは奥さんは何も無い。そんなことは一馬にもわかっているから、普通に二人で食事へ行ったり酒を飲むこともある。男と女というよりも人間で繋がっているだけなのだから。
「だったらどうしたいんだ。翔は。別れて欲しいのか。沙夜と。そしてお前と付き合うのか。」
「芹。」
 沙夜がその言葉を止めた。芹もムキになっているのだ。
「奏太に手を出して欲しくない事情は何となくわかった。だけど、それは芹自身が解決しないといけないことを先延ばしにした結果だと思わないか。もし結婚でもしようと思っても、その天草裕太さんのことを解決しないと何も先に進まない。もう沙夜だって二十七だっけ?焦って実家からお見合いさせられそうになっているんだから。」
 すると芹が文句を言う前に、沙夜が立ち上がって翔に言う。
「お見合いなんかしないわ。芹がいるんだから。」
「その芹は当てにならないよ。沙夜。冷静に考えてみて。いつまでも兄の嫁に手を出したとずっと苦しんで、逃げているような男だ。」
「……。」
 ここまで翔が言うのを初めて聞いた。それだけ翔もいらついているのかも知れない。だが言いすぎだと思った。
「翔。お前はあまり紫乃のことや、裕太のことがわかっていないだろう。」
 一馬はそう言うと、翔は首を横に振った。
「ずいぶん評判は悪いと思ったよ。でも、だからといって……。」
「金に困っているヤツはどんな手を使ってでも人の金を当てにする。そしてそれは「欲」にまみれたと一言で片付けられない、ドロドロした感情なんだ。俺はそう言うのを間近で見て、ずっと幻滅していたんだ。」
 前のバンドのことだろう。サックスの男はこの間捕まってしまった。巻き込まれた奥さん達はどうするのかわからない。
「逃げているなら一馬も逃げていることになるわね。」
 すると一馬は頷いた。実際、元のメンバーとはもう繋がりは無く、裕太はたまにテレビ局や取材なんかで会うこともあるのだろうが、ほとんど声もかけない。裕太の方が逃げている始末なのだ。
「だったらこのまま逃げ続けるのか。このままでは結婚も出来ないのに。」
「別に結婚にこだわっていないわ。」
 沙夜はそういうとため息を付く。
「え?したくないのか?」
 芹の方が驚いて沙夜を見る。すると沙夜は紅茶を飲むと、ちらっと一馬の方を見る。子供である海斗の姿が浮かんだから。
「そりゃね。子供は可愛いと思うし、一緒に住んでいたら良いとは思うけれど、私は家庭に入るようなタイプでは無いし、名字が変わるのも面倒。職場に挨拶をしないといけないし、職場だけでは無く各所に挨拶をして、何よりうちの実家に報告に行くのがおっくうだわ。」
 沙夜らしい言葉だと思った。そんなことをする暇があるのだったら仕事をしたり、西川辰雄の所へ行って農作業をしていた方が良いと思っているのだろう。
「結婚にこだわらないということか。例えば同棲をずっとしているカップルのような。」
「そんな感じで良いと思う。」
 沙夜はそういうと、翔は首を横に振って言った。
「そんなに曖昧なことで良いのか。」
「良いと思う。芹にも天草さんに紹介が出来ないように、私も芹を母には紹介したくは無いわ。」
 その姿に自分の妻を重ねた。そして一馬はため息を付くと、やはりあまり芹には沙夜を諸手を挙げて任せられないと思った。
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