触れられない距離

神崎

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ロシアンティー

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 結局三曲を演奏した。こんなユニットがあれば良いのにという声を聞きながら、オムライスを口にする。とても美味しいモノだった。トマトソースが手作りで、サラダもとても美味しい。
「お酒は飲む?」
 カウンターにいる瑞樹というバーテンダーが沙夜にそう聞いてきた。すると沙夜は少し笑って言う。
「お酒はまた今度にします。帰国直後で、体もあまり慣れていないし。どんな感じになるのかわからないから。」
「ザルだからな。」
 隣に座っている一馬もオムライスを食べていた。沙夜が食べているものよりも大きく仕上げているのは一馬専用と言うことだろう。とても食欲旺盛なのだ。それに酒も強い。
「またそんなことを言って。」
「ははっ。うちの妻との見比べをしてみると良い。」
「止してくれよ。一馬。うちの酒を空にする気か。」
 この瑞樹という男も、一馬にとっては馴染みが深いらしい。平口で話をしているし、いつもよりも表情が豊かだと思った。
「オムライスって今は表面がとろとろなモノが多いのに、ここのはきっちり焼かれて卵を巻いてあるんですね。こちらの方が手間がかかるのに。」
「料理をしますか。」
 意外だと思った。外国へ行って来たというのにビジネススーツを着込んでいる。飾り気も無く、黒縁の眼鏡をかけている所を見ると、仕事しかしていない女に見えたからだ。
「えぇ。普通に。」
「そうかな。いつもとても美味しいと思うが。料理だけならうちの妻よりも上だと思う。」
「そんなことを奥様の前で言わないでね。」
「いいや。すでに言っている。そんなことでうちの妻はへそを曲げたりしない。お前じゃ無いんだから。」
「もうっ。私がどれだけ心が狭いと思っているの。」
「妻はそこまで自分が料理に手間をかけられないというのを自覚しているからな。手早く作れるモノがメインだ。それに量を作らないといけないから尚更だろう。息子はよく食べるようになったし。」
「息子は元気?」
 瑞樹はそういうと、一馬は頷いた。
「相変わらず髪を切らない。髪に触れられるのが嫌みたいなんだ。女の子に間違えられるのはいつものことだし。」
「羨ましいな。子供が出来るってのは。」
 瑞樹はそういって自分の左指を見る。一馬よりも先に結婚をした瑞樹だったが、なかなか子供が出来ないのが悩みの種になっている。毎朝奥さんが体温を測ったり、煙草を辞めたりしていたが、それでも毎月生理が来ると奥さんは暗い顔をしていた。
「一馬……。」
 一馬も少し暗い顔をしていた。一馬も二人目が欲しいと努力はしていたのだがそれは無駄だったことを思い知らされたのだ。それを思い出したのだろう。
「気にしないでくれ。俺も焦りすぎたんだから。」
 そう言って一馬はまたスプーンを動かしてオムライスをまた食べ始めた。
「この前奥さんが来て、一馬がガツガツしすぎているって言っていたよ。お互いまだ若いんだし、そこまで焦ることでも無いと思うけどな。子供の年齢差だって十位離れているのは珍しくないよ。俺たちは不妊治療へ行こうと思ってるけど、そこまで焦っては無いよ。」
「圧倒的に瑞樹の場合は時間がすれ違うんじゃ無いのか。」
「看護師だからなぁ。昼夜かまわず働いているし。それにベースも辞めれないみたいだ。」
「楽しいことがあれば良い。生活が充実していれば、それ以上求めないことだ。」
「相変わらずだよな。一馬は。」
 瑞樹は苦笑いをする。あまり饒舌では無いが、口を開けば人生を悟ったようなことを言う。それに批判的な言葉もあるが、正しいことを言っているだけだ。図星を突かれて、逆ギレをする子供のような人が文句を言うだけだから、一馬自体はそれを気にしていない。
「結婚していらっしゃるんですね。」
「あぁ。一馬達が結婚する前くらいに結婚したんだけど、なかなか子供が出来なくてね。」
「そうでしたか。でも、夫婦二人っきりの生活は楽しいでしょうね。ずっと恋人同士のようで。」
「そうかな。いつも怒られている気がするよ。夫婦二人だから家事は分担しているんだけどね。洗濯物のシミが落ちていないとか、ゴミ捨てを忘れているとか。」
「うちは四人だから、それぞれが責任を持ってますね。」
「四人暮らし?」
「ルームシェアをしていて、それぞれに役割があります。私はそれで料理をずっとしていて。他にも掃除をしてくれる人や、洗濯物をしてくれる人がいますから。」
 自分でそういって沙夜は胸が痛いと思った。そんな関係でずっと居られれば良いと思っていたのに、あの中で恋人同士になってしまったからこんなに苦しいのだろうか。いっそ付き合わなければ良かったのだろうかと思ってしまう。
 だからといって別れを選択出来ない。あの家を離れたくも無かった。
「俺も昔ルームシェアをしていた時期があったんだけどさ。」
 瑞樹はそういうと、一馬は意外そうに瑞樹を見る。
「そんなことをしていたのか。」
「学生の時だよ。アパートが改修工事をするから、一時立ち退いてくれと言われて一ヶ月くらいしかしていなかったけど。結構キツかったな。」
「そうなんですか。」
「共有スペースの掃除当番とかは決まっていたけれど、人によってはしない人も居たり、女と会うなら部屋に連れ込まないようにとか。」
「はぁ……。」
「家なのに家じゃ無いみたいな感じ。」
 沙菜は一度も家に男を連れ込んだことは無いだろう。あれはあれで常識があるのだ。だがあの写真では、本当に芹と浮気をしているように見える。だが沙菜の性格上それをするだろうか。
 そう思ったが、するなと考えを払拭させた。
 なんせ沙夜と付き合ってまもなく味見がしたいとキスをするような女なのだから。
「沙夜。」
 一馬はオムライスを食べ終わると、水を口に入れる。そして沙夜の方を見ると、少し笑って言う。
「今日は帰りたくないか。」
 どうしてこんなに考えていることがわかるのだろう。沙夜は不思議そうに一馬を見た。
「どうしてそんなことがわかるの?」
「冷静にするためにコーヒーを飲んだ。気持ちを変えるために楽器も弾いた。だが頭のどこかでまだモヤモヤしているんじゃ無いのかと思ってな。」
「……そうね。冷静に話せるかしら。」
「帰りたくなければ帰らなければ良い。それにそんなにからだが疲れている状態では、冷静に話しも出来ないだろう。あちらだって見せたくない所を見せられて、冷静では無いのだから。」
 そう言われるとそうかも知れない。沙夜はそう思いながらオムライスにスプーンを入れる。
「帰らなければ良いって言っても、どこかホテルとかは空いているかしら。K町のホテルって、その……。」
 一度芹とラブホテルへ行って一晩過ごしたことがある。そういうホテルしか無いような気がしていたのだ。
「ラブホテルだけじゃ無いよ。俺だって帰るときに例えば交通機関が停まっていたりしたら、無理に家に帰ろうとはしない。漫画喫茶だったり、ビジネスホテルも結構あるからね。」
 瑞樹はそう言うと、片隅にあるリーフレットを手に取ると沙夜に手渡した。そこにはK町のホテルの一覧が載っている。こういうところでは、次の店を紹介したり風俗の案内なんかのリーフレットも置いているのだ。そうやって周りの店との連携を取っている。もちろん、演奏をしたバンドのCDのチラシなんかもあり、ほとんどがジャズだった。ほとんどの演奏がジャズだからだろう。
「うちに来ないか。」
 一馬がそう言うと、瑞樹も驚いたように一馬を見る。
「奥さんが許すか?他の女を泊めるなんて。」
 すると一馬は手を振って言う。
「沙夜はうちの奥さんとも仲が良いし、悪い顔はしないと思う。ソファーベッドだが寝る所もあるし。」
「迷惑をかけないかしら。」
 心配そうに沙夜はそう言うと、一馬は首を横に振る。
「いつか、沙夜とはじっくり話をしたいと言っていた。良いチャンスだと思う。確認はしてみようか。」
「そうね……。だったらお願い出来るかしら。」
「わかった。」
 そう言って一馬は携帯電話を取り出す。こんな一馬を初めて見るようだ。他人とはあまり関わりをもちたくなく、深い付き合いをするのは奥さんだけかと思っていた。それだけこの沙夜という女性が気に入っているのか、それとも違う感情があるのかはわからない。瑞樹はそう思いながら、追加の酒を作るのにグラスを取り出した。
 二人の演奏にまだ盛り上がっている客は、まだ帰りそうに無い。
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