触れられない距離

神崎

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ロシアンティー

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 タイミングをずっと伺っていたと言えるだろう。あの練習スタジオの屋上へ一馬と行き、「夜」であることを告げられないのかと言われたときから沙夜はいつ言い出そうかと思っていたのだ。本番前のピリピリしたときに言えるわけが無い。余計混乱させるだけだ。そう思って今というタイミングを見いだしたのだろう。
 沙夜の様子は顔色が悪い感じに見えた。だがその手の中の拳に僅かに見えるのは、緑色のチャームだった。一馬が送ったモノで、それを握りながら勇気を貰っているように見える。一馬はそれを感じて、少しは自分も役に立っていると思っていた。
「お前が「夜」だったって事か。でもお前ずっと否定していたよな。何で今になってそれを言おうと思ったんだ。」
 ちらっと奏太は一馬の方を見る。一馬が告げることを薦めたのかも知れない。やはりそこまで想い合っているのかと、少し心の中でため息を付く。
 沙夜が「夜」であったことを誤魔化されていたことや、言いたいことが合ったのにそれを黙っていたことに腹が立っているのでは無い。一馬にその告白を促されたというのがどうも引っかかるのだ。
「もう耐えられなかったから。」
 沙夜はそういうと水を一口含む。口の中がカラカラになっているからだ。それは緊張からかも知れない。
「お前らは知ってたんだろう。」
 奏太は五人を見渡してそう言うと、遥人が口を開いた。
「知ってた。翔はそれより前からかな。」
 翔の方を遥人は見ると、翔は頷いた。
「俺はファンだったからね。もちろん、俺も同じサイトで投稿をしていたけれど、どうしても「夜」よりは再生回数が伸びなかった。まぁ……「夜」が姿を消したら、グンと上がったのは事実。だからここに居れるようになった。」
 だから耳に留まった三倉奈々子や遥人の耳にも翔の作ったモノは届いたのだろう。もし沙夜があのまま「夜」として曲を量産していたら、ここでキーボードを弾いているのは翔では無く沙夜だったかも知れない。
「それはどうでも良いよ。お前らも知ってて何で俺だけに言わなかったんだ。俺だけ蚊帳の外かよ。」
 奏太の気持ちもわからないでも無い。みんなが知っていて奏太だけが知らなかったのだから。
「私が止めていたの。」
 沙夜はそう言うと、再び奏太は沙夜の方を見る。
「大体お前だって、「夜」だっていって「二藍」にも関わっているんだろう。だったら俺も「二藍」に関わっているのに、俺だけ言えないって言うのは何なんだ。そんなに信用が無いのか。」
 その言葉に一馬が声を上げる。
「信用は無いだろうな。」
「何で?」
 奏太が言う前に治が声を上げた。治自体はどうして奏太には言えないのだろう、いっていることはむちゃくちゃでは無く音楽的な基礎のことだ。それは自分たちが足りないところで、それを指摘しているのだから感謝されるべきだと思っていたのだ。それなのにそういう所はいわないのだから、少し卑怯だという考えもあったのだろう。
「奏太。お前は紫乃と繋がりがあるだろう。」
「紫乃?」
 その言葉に翔も顔を引きつらせた。だが紫乃という名前に遥人と治、純は聞き覚えが無い。
「紫乃って……天草紫乃か?」
 奏太はそう言って一馬の方を見る。普段、一馬の表情は変わらないことが多い。だがその時の一馬は下げずんだような目で奏太を見ていた。
「どんな人かわかって付き合っているの?」
 すると奏太はムキになったように言う。
「紫乃と付き合いがあるからって何なんだよ。別にプライベートじゃん。それと「夜」のことと何か関係があるのか。」
「あると考える。」
 一馬はそう言うと、沙夜の方をちらっと見た。すると沙夜はぐっと拳を握りしめると、奏太に言う。
「紫乃さんは、出版社に勤めているのよ。」
「文芸誌だっていってた。マスコミ関係なんかには繋がりが無いけど、たまに作家の不倫なんかの話題になったら、情報を流すこともあるらしい。でもそれは作家のことで「二藍」のことを調べるわけじゃ無いし、大体そんなゴシップ関係のことを垂れ流すような女に見えないけど。」
「私がどうして「夜」として姿を消したのか、わかって言っているの?」
 沙夜はそう言うと奏太は首を横に振った。
「何で消したんだよ。」
「賛美している声が本当に真実では無かったからよ。」
「……お前掲示板でも見たのか?」
 サイトに公開してあった「夜」の曲の一曲一曲には、確かに感想として他のユーザーからの書き込みがあった。それは他人でも見ることが出来て、そのほとんどは賞賛だったと思う。
「見たわ。本当の他人の評価がそれでわかったの。」
「そんなのただのやっかみじゃん。まともに受けるなよ。」
「それだけじゃ無い。どこから調べたのかわからないけれど、大学名や最寄り駅、本名まで晒されかけたのよ。」
 本名に関してはあやふやだった。だが大学名ははっきりしていて、そこに通学する生徒にも迷惑をかけたと思う。その中の一人に奏太の名前もあった。その時点では奏太にも迷惑をかけたと思う。
「それを覚悟して後悔するべきだろう。お前、甘すぎるんじゃ無いのか。個人でしていることで、サイトに公開すると言うことは全世界に公開するって事だろう。それくらい覚悟してやらなかったのか。」
「……それは自分の甘さだったと思う。自分で作った曲がどんな評価を受けるのか、それを知りたいだけだったんだけどね。」
 ただの自己満足だったと思う。だがそれが思った以上の評価を受けたのは、沙夜にとって想定外のことだったのだ。
「それでもまた「夜」として表に出ることになったんだろう。そのお前の批判ってのは、また受けるとは思わなかったのか。」
「今度は五人がいてくれるから。」
 そう言って沙夜は五人を見渡した。あの時、一人で抱えていたことを五人が背負ってくれるのだ。それは沙夜にとってどれだけ心強いことだっただろう。
「俺らだけじゃ無いよな。部長も、会社もある。もし沙夜のことを調べられれば、調べたヤツがどれだけ批判を受けるかわからない。」
 遥人はそういう事をよく知っていた。それは両親のことで、一度だけ母親が不倫をしている事が表に出そうになり、そのマスコミは母親のいる事務所から訴えられてしまい、もう二度と表に出れなくなったのだ。
 以来、遥人の両親のことも一般人として普通に生活をしている兄もマスコミに漏れることは無くなり、平凡な生活をしている。
「だったら別に良いんじゃ無いのか。俺に言わない理由がわからない。」
 すると沙夜は首を横に振って言う。
「天草紫乃さんと繋がりがあると言うだけで、あなたには話せないと思っていたのよ。」
「紫乃が何かしたのか?あいつただの文芸誌の担当で、そりゃ……書評の本やコラムも書いてるみたいだけど、「二藍」のことをたれ込むような事はしないと思うし、ましてや「夜」のことなんか知らないだろう。音楽は全然聴かないって言ってたし。」
 その言葉に一馬はやっぱり騙されていると思っていた。
「聴かないわけが無いわ。」
「だから何で。」
「天草紫乃さんの夫は天草裕太さん。「Harem」というバンドのキーボード、作曲、アレンジまでこなす人だから。」
「え……。」
 偶然同じ名字の人くらいにしか思っていなかった。紫乃は奏太には「夫がいる。」としか言わなかったのだから。
「天草裕太は俺が前に入っていたジャズバンドのキーボード担当だ。それに作曲もすることがあった。」
 一馬もそう言うと、奏太は驚いたように一馬の方を見た。
「え……。あのさ……本当にその男が旦那なのか。」
「えぇ。その時点であなたに紫乃さんは誤魔化すようなことを言っている。それでもあなたは紫乃さんを信じるのかしら。」
「……それは言わなかっただけかもしれないし……俺だって聞かなかったんだから。」
 あくまで紫乃をかばうようなことを言うんだな。翔は少し呆れるように奏太を見て、そして一馬の方を見る。一馬も裕太には許せない感情があるからだ。
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