触れられない距離

神崎

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フィッシュ&チップス

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 じりじりと熱くなる日差しとは無縁の冷房の効いた室内で、芹は出版社の会議室の一室にいた。打ち合わせをしていた詩集の二弾の見本が出来て、それを見に来たことが一つ。それから音楽雑誌に掲載しているアーティストやバンドの事を書いたコラムが一冊の本になるその打ち合わせに来ていたのだ。
 藤枝靖の隣には石森愛がいる。靖は「草壁」と「渡摩季」と別人のように扱うため、二つの本を全く別のデザインで提案していたのだ。渡摩季の詩集は淡い色合いに、差し色のような強い赤の薔薇をデザインし、草壁の本のデザインは文字が主張している経済誌のようなデザインだった。
「あなたの好みってどっち?」
 芹に石森愛はそう聞くと、芹は真っ先に草壁の方の本を指さした。
「こっち。」
「だと思った。あまり余計なデザインは嫌うモノね。でも「渡摩季」のイメージはやはりこちらなのよね。」
 相変わらず渡摩季は女性のイメージが強い。男に捨てられたり、不倫をされたりする弱い女のイメージだろうか。
「この間、歌詞を頼まれたんだよ。」
「どこから?」
「歌のお姉さんみたいなヤツがいるだろう?声楽上がりの若い女。子供向けのアニメの曲を歌うんだって、その歌詞を書いてくれって。」
「アニメに沿って?」
「うん。」
「アニメの内容ってどんなヤツ?」
 靖もそう聞くと、芹は少し頭をかしげて言う。
「俺、まぁ……妹があまりそう言うヤツを見なかったからピンとこなかったけど、要は見習い魔法少女が世界を救うみたいな感じ。」
「イメージと全く違うわね。」
「言われれば書くよ。何でも。」
 仕事となれば選ばない男だ。草壁としても渡摩季としても音楽関係にしか携わっていないが、もしかしたらライターとして風俗のことを書いてくれと言われても書くだろうし、○クザのことを書けと言われても書くだろう。
「あたしは子供が女の子はいないけれど、姉の子供は好きだったみたいね。クリスマスなんかに魔法のステッキをサンタに頼んでいたわ。でも名前が似たり寄ったりで、サンタが違う物を置いていったってクリスマスの日は大泣き。」
 愛はそう言って少し笑うと、芹は首をかしげて言う。
「ふーん。俺の妹は、そういうの全く興味が無かったからな。」
「アニメとかは観なかったの?俺の兄弟はずっとアニメとか特撮ばっかり観ていたけど。」
「外国のドラマばっか観てたよ。」
「殺人事件の?」
 外国のドラマと言えば、そういうモノが多い。だから幼いながらそういうドラマばかり見ていたとなると、相当変わった子供だと思う。
「いや。ホームドラマみたいな。コメディーもありながら少しほろっとするようなヤツ。」
「それでも結構変わってるよな。」
 その妹である咲良は、地方の美容学校へ行っているらしい。お盆には帰ってくると言っていたが、その前に美容室に何週間かの研修へ行っている。働く厳しさをここで覚えてもらえば良いと思っていた。
 案外働くと言うことを軽く見過ぎる妹だ。職人の世界なのだから、そんなに甘くないことくらいわかっていて欲しいと思う。芹もそういう道を歩いてきた。日雇いの土建でコンクリートをひたすら混ぜる仕事をしたとき、「適当に混ぜるな!」と殴られそうになったこともある。それだけ厳しい仕事場だったのだ。
「「二藍」は今、外国へ行っているんでしょう?」
 愛はそう言うと、芹は頷いた。
「昨日からな。今日くらいに現地に着いているんじゃないのかな。」
「外国のフェスだって言ってたよね。あの有名な。」
「あのフェスも変わったよな。最終日なんかは古参のアーティストしか出ないと思ったのに、「二藍」は最終日に出るんだろう?外国の、しかもあまり長いキャリアがあるわけじゃない「二藍」を最終日に持ってくるなんてな。」
「それだけ変わろうとしているのよ。」
 愛はそう言うと、少し笑った。昔はトリを古参のアーティストがするモノだと思っていたが、新しいアーティストでも勢いがあるような人達を後半に持ってくることもある。古参のアーティストを後半に集中させると、若い人達がフェスを最後まで見ないこともあるのだ。
「藤枝は「二藍」なんかは聴くの?」
「叔母が好きですね。その影響で少しずつ聴き始めましたけど。」
「叔母って……小説家の?」
「えぇ。」
「外見だけで言うとイメージ通りだな。」
 派手な格好をした小説家だと思った。露出の激しい洋服にいつも身を包み、そこから見える肌には入れ墨が施されてある。だがその入れ墨を入れているのはわけがあり、派手な火傷の跡や怪我の跡が残っているからだ。それを誤魔化すために入れ墨を入れ、その跡が目立たないようにしているらしい。
「まとまってる音楽だと思いました。ハードロックってもっとギタリストが主張していると思ってたのにそうでも無いし。」
「既存のハードロックに縛られていないのよ。それに遥人の声も純粋にハードロックというわけではないし。まぁ……ハードロック特有の高音のシャウトは、いつも見事だなと思うけれど。」
 だが芹にはそれが外国にも受け入れられるのかと言われたら少し微妙だと思った。純粋なハードロックのファンにはいぶかしげな顔をされるに決まっている。
「こちらの文化はあちらで今ブームになっているところもあるし、そういった意味では遥人の歌は強みだと思うけどね。」
「珍しいだけかなとは思ったけど。」
 芹がそこまで辛口なのは珍しいと思った。翔と同居をしていると言うことを抜いても、「二藍」はあまり高評価でもなければ批判をしているわけではない。それでも芹は好意的に「二藍」の評価をしていると思っていたのに。
 だがすぐに愛はピンときたように芹に言う。
「離れてるのが辛いかしら。」
「は?」
 その言葉に芹は驚いたように愛を見る。
「五日間だけでしょう?我慢なさいな。」
 靖にもその言葉の意味がわかったのだろう。思わず笑いがこぼれる。
「あぁ……担当もあっちに行っているからか。」
 ニヤニヤと愛と靖が笑っているのを見て、芹は不機嫌そうに言う。
「何言ってんだよ。ツアーなんて行ったらもっと長くいないときもあるんだし……。」
「でもツアーは国内じゃない。外国だものね。何かあってぱっと行ける距離でもないし。」
「うるさいな。」
「あー可愛い。藤枝もそういう相手を見つけなさいな。」
「そうですね。あまり興味は無かったんですけど、渡先生を見てるとそう言うのも良いなって思えますよ。」
「あら。合コンでもするかしら。」
「合コンはちょっと……。」
 靖はそう言って首を横に振る。すると今度は芹が仕返しのように靖に聞く。
「お前モテそうなのにな。合コンでお持ち帰りでもしろよ。」
「嫌……そう言うのはちょっと。」
「藤枝は恋愛小説を読みすぎるのよ。そんな出会いがゴロゴロあるわけじゃ無いのに。」
「石森さんもそう思う?俺も藤枝はそうじゃないのかって思ってて。」
「そうよねぇ。少しは自分で動かないからいつまでも童貞なのよ。」
「セクハラって言われますよ。」
 靖の言葉に、芹は少し笑う。だが靖がそれをずっと気にしていたのは知っている。靖は理想が高いのかどうかわからないが、告白してくる女性は多いはずなのに全てそれを断っている。童貞なんていつまでも取っておいても意味は無いのに。
「どっちにしても側にいてくれるヤツの方が良いよ。自分勝手にどっかいってしまうようなヤツは、こっちが不安になるし。」
 沙夜を見ているとそう思う。休みの日でも家でじっとしていないし、仕事だと家に帰るのが日をまたいだりすることもある。しかも仕事だと言いながら今は国を超えている。自分以外の男と共に。
 奏太に襲われていないのだろうか。そう不安になるが、きっと一馬がいるから大丈夫だと思う。だが奏太はそれでいいのかも知れないが、翔に関しては一馬は強く言えないところもある。そして最近、一馬は芹よりも翔の方が沙夜には会っているのでは無いかと思い始めているのだろう。だからより不安になる。
 本当はあちらに着いていきたかった。仕事が無いだろうかと探したこともあったが、さすがに外国での仕事は無い。だが沙夜は外国へ行く前、珍しく芹の部屋を訪れて、恥ずかしそうに包みを渡してきた。それはずっと渡したかったモノだったという。
 嬉しくて、他の二人が居るのもわかっていたが抱きしめられずにはいられなかった。そして帰ってきたら外で会いたいと告げると、沙夜は嬉しそうに頷いた。それだけで沙夜を待てる気がする。
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