触れられない距離

神崎

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祝い飯

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 程なくして裕太がギターを借りてきた。それはアコースティックとエレキギターの二本だった。
「何で二本?」
 奏太がそう聞くと、裕太は少し笑って奏太に言う。
「どんなアレンジにするかわからないからね。」
 片隅では朔太郎と優花が歌を合わせている。優花も下手では無さそうだ。高音の伸びが良い声をしているし、朔太郎も変な癖の無い歌い方をしている。朔太郎が披露宴の時に演奏していた音楽はポップスのような感じで、ハードロックはおそらくこの課に入ってから勉強したのだろうと思っていた。
 そして部屋のドアが開く。そこには沙夜と後ろから一馬がやってきた。
「お疲れ。悪いね。急に呼び出して。」
 一馬は首を横に振ると少し笑う。そして歌を練習している二人に近づいていった。
「本日はおめでとうございます。」
 すると歌詞カードから二人は目を離して、笑顔になる。
「ありがとうございます。」
「祝いはまた今度送ります。今日は何も持ってきて無くて申し訳ない。」
「良いんです。急に言われたことですし。」
「達也さんのこともあったから、五人で共同で送ろうと思ってました。」
「気を遣わなくても良いのに。それに……イレギュラーのことでしたよね?すいません。無理を言ってしまって。」
 すると一馬は首を横に振る。そして戻ってきた沙夜がキーボードの前に立ち、譜面をチェックしているのをちらっと見た。
「いつか……沙夜さんとは一緒に演奏してみたいと思ってました。そのきっかけが出来ただけで嬉しいです。」
「そうだったんですか。」
 すると裕太はチューニングをしながら、一馬に聞く。
「一馬。泉さんだけ?俺らは良いのか?」
 その言葉に一馬は首を横に振った。
「いいや。そうでは無いです。元「Glow」のギタリストとセッション出来る機会は、そうそう無いと思いますよ。光栄ですね。足を引っ張らないようにしないと。」
「現役には負けてられないな。望月君もそう思わないか。」
 すると奏太は片隅に置いていた電子ドラムを眺めながら言う。
「俺が一番イレギュラーのような気がしますよ。ドラムすげぇ久しぶりだし。」
「ドラムも叩けるのか。万能だな。」
 その言葉すら嫌みに聞こえる。だが沙夜はそんな会話などどうでも良いようだ。譜面と音をずっと確かめている。
「……部長。」
 沙夜が立ち上がり、裕太に近づいていく。
「どうした?」
「ここから転調するんですけどね。ここからギターをエレキに変えれますか。」
「出来ないことは無いと思うけど、」
「テンポも速くして、低音を効かせたい。それからなるべくギターもおかずを沢山入れて……。」
 その言葉に奏太は驚いたように沙夜に言う。
「それってロックっぽくするって事か?」
「えぇ。こちらも音を変えてするんで。」
 すると朔太郎達が驚いたように沙夜を見る。
「泉さん。急に言われても困るよ。」
「……でも披露宴の時に植村さんの歌を聞いて思ったんです。ポップス調の曲ではあったんですけど、植村さんはどちらかというとロックっぽい声だと思ったし、先程から河村さんの声質はどちらかというと声楽ぽい。二つを分けた方がメッセージ性も強くなる。」
 完全に沙夜は音楽でものを言っている。普段の沙夜では無く、もうそこには「夜」としての沙夜しかいない気がした。
「……声だけで?」
「歌いやすいと思います。一度合わせてみればわかりますよ。一度ピアノだけで歌ってみますか。歌詞カードを見ながらで良いので。」
 まだギターやベースのセッティングが終わっていない。沙夜は組み立て終わっているキーボードの前に立つと、二人を呼んだ。
 不審に思っている二人の前で、沙夜は演奏を始める。
「はぁ……。」
 最初はスローテンポのバラード。多少の音程のずれは仕方ないだろう。だがそれ以上に沙夜の演奏が見事なのだ。さっき譜面を初めて見たと思えない。そして二人にテンポを合わせている。譜面に無い音を入れているのは、沙夜のアレンジだろう。
「ここからですよ。」
 沙夜はそう言うと、その演奏の仕方を変えた。先程の美しいがスローな曲から一転したように、アップテンポにした。音が跳ねる。楽しんでいる。そう思えて、二人は少し笑顔になった。
 そのテンポに乗るように歌っていく。そして歌い終わったとき、朔太郎と優花は笑顔で言う。
「こういうアレンジか。良いね。泉さん。」
「ゆっくりな曲調ですし、中だるみするかと思ったので。こういう感じを入れるとメリハリが出るかと。」
「いや。良いよ。それで行こう。一馬と望月君はついていける?」
 裕太の挑戦的な言葉に、二人はムキになっていた。
「問題ないです。」
「やれないことは無いだろうな。一度合わせてみよう。バスドラを効かせた方が良いよな。」
 奏太はそう言うと、沙夜は頷いた。
「花岡さんは望月さんによく合わせて弾いて欲しい。」
「わかった。」
 一馬に合わせるというのはしゃくだが、そうしないといけないだろう。ロック調になるのだから、
 ちらっと一馬の方を見ると、一馬はいつになく機嫌が良さそうだった。それは沙夜と演奏が出来るとか、大胆なアレンジにしたからというわけでは無い。沙夜の側にいるのが嬉しいのだ。そう思うと更に腹が立つ。
 だが音楽に罪は無い。そう思いながら奏太は電子ドラムの席に座った。

 余興まではまだ時間がある。そう思って五人は表に出てきた。会はまだ始まっていないが、ゲストはもう入り始めている。
「一馬は食事をしてて良いよ。つまみくらいしか無ければ、何でも頼んで良いし。」
「良いんですか。俺、会費も払ってないのに。」
「良いよ。それくらい。急に来てくれたんだし、あぁ、でも食事を家で用意しているかな。」
「いいや。うちのも今日は仕事が終わったら俺の実家へ行って来ると言っていたし、そこで息子と何か食べてくるでしょうから。」
「実家とも仲が良いのか。良い関係のようだね。」
「えぇ。おかげさまで。」
 一馬の両親は外国へ行っているが、実家には兄夫婦とその子供が住んでいる。結婚前から兄の嫁から奥さんは気に入られていて、なんだかんだと相談をしているようだった。それは一馬のこともあるし、子供のこともあるだろう。その辺のアドバイスは出来ないので、助かっている。
 結婚式の二次会と言うことは、一次会でみんな食事をしているだろう。食べ物と言ってもつまみ程度と酒が主だ。何かメニューがあるのかと、一馬はメニューを手にした。その時バーカウンターに見覚えのあるモノがあった。
「それは……。」
 男のバーテンダーが気がついて、後ろにある瓶を手にする。
「これ、飲んでみます?」
「いいや。酒は演奏のあとの方が良いだろうから、今は良い。」
 するとバーテンダーはその言葉に、瓶を後ろにしまう。
「お酒を飲まないの?」
 沙夜が近づいてきて、そう聞いてきた。すると一馬は沙夜の方を向いて言う。
「会社の上の人もいるんだろう。そこでミスは出来ない。」
「そんなに堅く考えなくても良いと思うけれど。余興なんだし。」
「まぁ……そうだが。一応これで飯を食べているし、プライドもある。」
「ご立派。」
「沙夜さんは一次会でどれだけ飲んだんだ。」
 すると沙夜は肩をすくませる。
「どれくらいだったかしらね。隣の席の女性がボトルでおいていた方が良いんじゃ無いかと言っていたけれど。」
「沙夜さんらしいな。」
 それでも顔色一つ変わらない。その上あんな演奏を出来るのだ。きっと酒で気分が悪くなったりすることは無いのだろう。
「しかし、明らかに場違いだな。ジャケットくらい着てくれば良かったか。」
 一馬はそう言ってウーロン茶を手にする。確かにそうかも知れない。濃い色のジーパンとシャツの一馬はスタッフのようにも見えるのだ。だが背中に背負われているベースが、余興に来てくれたのだと誰もが納得する。
「着るモノなんか気にするの?」
「普段は気にしない。」
「だったら別に良いんじゃ無いの?二次会なんだから、かしこまった人もいるだろうけれど、仕事のあとに来たという人もいるわ。」
「それもそうか。」
 沙夜も演奏の前だからだろう。ウーロン茶を受け取ると、その場をあとにしようとした。すると一馬が声をかける。
「沙夜さん。」
「何?」
 すると一馬は沙夜を呼び、その後ろ頭に手を伸ばす。
「櫛が落ちかけてた。」
「あぁ……ありがとう。」
 後ろ頭に刺されている飾りのことだろう。後ろなのでわからなかった。そう思いながら一馬にそれを直して貰う。
 その様子を奏太は悔しそうに見て、そして視線を外した。自分のつけいる隙が無いように見えたから。
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