触れられない距離

神崎

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カレーうどん

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 報告書を作成するのは、本人の報告と依頼主の報告と照らし合わせながら作っていく。本人が手応えありと思っても依頼主はそう思っていないこともあるからだ。
 そして今日が仕事が休みだとその報告書は必要ない。だが五人ともその報告書を作らない日はあまり無いようだ。
 沙夜が休みの日は次の日にまとめて報告書を提出したりしていたが、今は奏太がいるので割とその辺の自由はきき始めている。二人が休みの時にはそうも言っていられないが。
「……栗山さんはドラマの読み合わせね。」
「あいつ、ドラマはあっちの国へ行く前にクランクアップするのか。」
「そうみたい。それと並行して英語の練習もしているわ。あなたから聞いてどう?」
「良くなっているよ。あいつ結構努力家だよな。今でもカフェでコーヒーくらいは頼めそうだ。」
 遥人のレッスンの相手は、治の奥さんの知り合いである外国の女性だった。元々英語教室の先生らしく、遥人は女性の自宅でレッスンを受けている。だがその間もその女性の子供から茶々を入れられて、集中出来ないと愚痴っていた。
「花岡さんはレコーディングね。アイドルのデビュー曲みたい。」
「アイドルね。遥人の後輩になるんだろう。」
「そうみたいね。」
 同じ顔をしたような男が六人で写真に写っていた。キラキラした笑顔で、衣装もまたキラキラしている。甘い砂糖菓子のような顔立ちだと沙夜は思いながらその写真を見ていた。
「どいつが好みなんだ。」
 からかうような奏太の口調だが、沙夜は首を横に振る。
「特に好みなんか居ないわね。同じ顔に見えるわ。」
「色気も何も無いな。」
「曲調がロックなのかしら。」
「そうでも無いよ。サンプル聞いたらまぁ……普通のアイドルの曲っぽい。初恋がどうだとか、君のために云々って感じ。」
 そんな曲のベースを一馬が弾いているのが惜しいと思う。だが一馬は必要とされるならどこへでもというスタンスなのだ。
「女性アイドルのベースを弾くこともあると言っていたし、アニメのサントラの曲も弾くと言っていたわね。かと思えばジャズバーでジャズをライブで弾くこともあるし……本当、花岡さんを見ているとジャンルとはって思うわ。柔軟で羨ましい。」
 沙夜はそう言って少し笑う。その横顔を見て、奏太はやはり違和感を持つ。沙夜がそこまで一馬を想っているのかと思えるような言葉だったから。やはりこの二人が付き合っているのだろうか。一馬が「草壁」だという証拠も無いが、一馬の音楽の知識とこの柔軟さがあれば、確かに「草壁」としてライターをしていても違和感は無いだろう。そしてその一馬と沙夜が付き合っている。一馬の奥さんを裏切って。
 そう思うだけで腹が立つ。沙夜の貞操観念の無さも、一馬の身勝手さも、全てがいらつくし、そこまで非常識だというのも腹が立ちそうだ。
 そう思っていたとき、ふと沙夜と奏太のデスクの間に何か落ちているのに気がついた。それは名刺のようだった。それを拾い上げると、そこには有名な大手の弁護士事務所と、男の名前が書いてあった。
「弁護士?」
 まさか一馬との離婚調停とかに向かっているのか。そう思って思わず声に出してしまった。
 奏太の言葉に報告書を書いていた沙夜が奏太の方を振り向く。奏太はその名刺を沙夜に見せた。
「弁護士って……お前、何か訴えられるようなことをしているのか。」
 そう言われ、沙夜は少し笑う。
「そんなことはしないわ。その人は望月旭さんのレコード会社の担当の女性の息子さんの名刺。」
「息子が弁護士か?」
「えぇ。たまたまお会いしたのよ。スタジオで。望月さんのところのレコード会社の顧問をしているみたいね。」
「若いの?」
「私よりも一つ年上くらいね。」
「俺と同じくらいの歳で、顧問弁護士か。エリートじゃん。」
「そうかも知れないわね。隙が無さそうだったし。」
 全く違うことだった。そう思ってほっとしながら、名刺を沙夜に返そうとしたときだった。裏に手書きの文字が見えて、またその名刺を見る。
「番号?携帯の番号みたいな……。」
 そんなモノが書かれていたのか。沙夜はそう思ってその名刺を受け取ると、その番号を見る。おそらく走り書きとかでは無い。二種類名刺を用意していて、プライベートの番号を書いているモノとそうで無いモノに分けているのだ。遊び人の根性はまだ抜け切れていないように見える。そしてぞっとした。まだ誠二は沙夜を狙っているように感じたからだ。
「どうした。顔色が悪くなったぞ。」
 そう言われて、沙夜は首を横に振った。
「別に何でも無いわ。」
 名刺を捨ててしまおうかと思ったが、そんなことをすれば翔の立場が悪くなる。そう思ってその名刺をケースの中にしまった。仕事で連絡を取ることも無いだろう。ここの会社には違う顧問弁護士がいるのだから。

 二人は会社を出ると、沙夜はそのまま駅へ向かう。奏太は家に帰ったようだ。
 車を使わなくても夜だから翔に声をかける人も少ないだろうし、マスコミもそこまで追ってこないだろう。そう思いながら、電車に乗り込んだ。
 まさかプライベートの番号を書いていると思ってなかった。誠二とはもう関わりたくないと思っていたのに。だから沙夜は誠二からレイプまがいのことをされたあと、誠二からの連絡が来ないようにと携帯電話の番号を変えたし、沙菜も誠二からの連絡は取らないようにしていた。
 沙夜がそういう処女の失い方をして、一番ショックだったのは沙菜だったと思う。沙菜は初めてセックスしたときのことを、いつも沙夜に言っていた。
 沙菜がセックスをしたのは十三歳くらいだっただろうか。相手は学校の先輩だったと思う。その時も沙夜はピアノばかりを弾いていた。防音が効いている部屋でピアノを弾いているときが、沙夜が一番楽しいことだと信じていたからだ。
 だがその日の夕方。沙菜は興奮したように帰ってきたのを覚えている。それはその先輩とついにセックスをしたということだった。
 沙菜は初めてだったのにもかかわらず、痛みも無く、更にオーガニズムにも達して、その感覚は今まで生きていた中で、感じたことも無いような感覚だったらしい。
 その良さを沙夜に事あるごとに語っていたが、沙夜は相手にすることはほとんど無かった。人は人だし、自分は自分だというスタンスを崩さなかったのだ。
 だが大学に入ると音の色気が無いという評価に、沙夜は唖然としていた。音の色気とはと自問自答する日々に、沙菜が心配そうに相談に乗ってきて紹介されたのが誠二と言う男。
 だがそれが全ての間違いだった。
 快感どころかあんな形で処女を失いたくなかったという。後悔しか残らなかったのだから。もし、処女を失った相手が芹だったらどれだけ嬉しかっただろう。沙夜は最近ずっとそう思っていた。
 そう思いながら、沙夜はスタジオへ足を運んでいた。町の明かりは昼間と違って、バーや居酒屋の明かりが付いている。ビジネス街に見えたが、夜になればこういうところが開いているのだろう。それに引き寄せられるようにサラリーマンやOLが中に入っていく。こういうところで一杯酒を飲むのも悪くないなと、沙夜は思っていたがふと家にカレーの残りがあることに気がついて、その気持ちを払拭させる。
 芹や沙菜はもうあのカレーを食べただろうか。自分や翔の分はあるだろうか。そう思いながら、足を進める。その時向かいから、見覚えのある人がこちらに向かってきていた。
「沙夜さん。」
 嫌なヤツに会った。そう思いながら沙夜は出来るだけ笑顔になる。
「今晩は。高梨さん。」
「やだな。俺と君の仲じゃ無いか。前と一緒の口調で、平口で良いよ。」
「いいえ。今は立場も違いますし、そちらのレコード会社の顧問弁護士なんでしょう。」
「何人か居るうちの一人ってだけだよ。それにこの一件だけでは無いから。」
 若いが優秀なのだろう。大学の時に付き合っていたときにもそれは思っていた。頭は良いように思えるが、悪知恵も大分働くように思える。
「これから望月さんのところへ?」
「えぇ。千草がまだスタジオにいるので。」
「大変だよね。弟さんが不倫していたとか。」
「調べたんですか。」
「嫌でも週刊誌なんかの記事は目に留まるから。」
 まだトップニュースなのだろう。もう少し違うことを記事にすれば良いのにと思うが、女性週刊誌なら不倫や浮気、熱愛などは格好のネタなのだ。
「マスコミが千草に話を聞きたいと思っているみたいですが、千草は弟さんとはあまり連絡を取り合ったりはしなかったみたいなので、何も話せないようなんですよ。それなのに無理矢理話を聞こうとしている人もいるから、付いてやらないといけないので。」
「担当ってそんなこともするんだ。」
「……お母さんはそうなさってなかったですか。」
「そうしていたみたいだけど、望月とはそんなにべったりとはしなかったから。まぁ……そんなにマスコミに追われるようなことも無かったからかもしれないけど。」
 見た目と違い女関係も真面目だし、薬の噂も出たことは無い。そんな人はマスコミには味気が無い取材対象なのだ。いや。「二藍」にネタがありすぎるからいけないのだろうか。
「そういう事なので、私は先を急ぎます。失礼しますね。」
「あぁ。沙夜さん。」
 行こうとした沙夜に誠二は声をかける。
「何ですか。」
「名刺の裏の番号。俺のプライベートの番号だから、いつでも声をかけて。」
「かけることはありませんね。さようなら。」
 すると誠二は手を沙夜に伸ばしてくる。そしてにやっと笑った。
「何ですか。」
 あの時の顔だ。ゾクゾクする。嫌がっていても沙夜は体は正直なのだ。一度だけ抱いたあの反応も嘘では無いのだと思える。
「強がらなくても良いから。」
「は?」
「俺の番号に連絡する気が無ければ、そちらの番号を教えて。こちらから連絡するよ。」」
「嫌です。離して。」
 その時だった。沙夜に駆け寄った足音が、沙夜の腕を引く。その力で誠二の手が離れた。
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