触れられない距離

神崎

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ジャーマンポテト

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 沙夜が大学の時、大学内の選抜で組まれたオーケストラとのピアノコンチェルトをする企画があった。よく聴いていた曲で、沙夜もお気に入りの曲だったと思う。だから沙夜はその演奏会に出てみたいと思い、そのコンテストに出たことがある。
 自分のしたい表現を我慢して譜面どおりに弾いた。悪くない出来だと思ったが、沙夜は落とされた。そしてそのオーケストラとコンチェルトをしたのは、小柄な女性だったと思う。小柄で手も小さいが、それを上回る技術と音の色気というモノがある気がした。それを聞いて、沙夜は音の色気とは何だろうと思うようになったのだ。
 それを沙菜に相談して大変な目に遭ったのだが、それはもうそれで仕方が無いと割り切っていた。
 そして今、その目の前にいるのはそのコンチェルトでピアノを弾いていたその女性だった。森という名前だったと思う。物怖じせずに石森愛に苦情を言っていた。
「映画の方が先だってうちの編集長が言ってたのに……。」
「それはそちらの伝言ミスでしょう。「二藍」のことを考えても、こちらで場を和ませた方が良いに決まっているわ。ね?泉さん。」
 話を振らないで欲しい。沙夜はそう思いながら、少し頭を下げる。すると森という女性も沙夜にやっと気がついて、頭を下げた。多分、気がついていない。そう思ってほっとしたのはつかの間だったのかもしれない。
「あれ?見たことがある人。」
「……泉です。」
「同じ大学のピアノ科の人じゃないかな。私、森澄香。」
「覚えてます。森さん。」
「やだ。同級生じゃない。敬語なんか要らないって。」
 出版社にはPRをして欲しいとこちらから売り込むのが定石だ。だから下手に出ていたのだが、澄香には通用しなかったらしい。
「とにかく今は、うちのモノがインタビューをしているわ。森さん。大人しく待っていて。」
「えー?あたし今から、小柳さんのところへ行く予定にしてたんですよ。」
「だったらそっちを優先したら?他の人を回してもらうようにあたしからそちらに言っておくわ。」
「せっかく「二藍」に会うのに。遥人にはインタビューしたことがあるから、あたしがいた方が良いって言われてたんですけど。」
「……。」
 どうも自己評価が高い。そういう態度は「二藍」のメンツは嫌がるだろう。遥人が車の中で怪訝そうな言葉を口にしていたのを思い出す。
「やっぱり森さん。あなたはその小柳さんの所へインタビューへ行った方が良いわ。」
 やんわりと愛はそう言って澄香を「二藍」から遠ざけようとしている。愛も会わせない方が良いと思っているのだろう。
「でも……。」
 ついに沙夜が口を開く。
「森さん。「二藍」には会わせられませんね。」
 沙夜がそう言うと、澄香は驚いたように沙夜を見る。
「え?泉さん。何でそんなことが言えるの?って言うか、何でここにいるの?」
 すると沙夜は咳払いをして言う。
「「二藍」の担当をしていますから。」
「担当?マネージャーみたいな?」
「マネージャーではありませんが、五人が動くときは同席しています。」
「え?それってマネージャーみたいなモノでしょう?」
「まぁ……そう取るならそう取ってもらっても良いんですけどね。「二藍」は気難しいという噂が立っているのをあなたは知っていますか。」
「知ってるわ。音楽に対して凄いプロフェッショナルな感じ。今度の新曲良いよね。とても音が澄んでいて。」
 そう取るか。クラシック畑の人には評価が高いのは目に見えていた。だが既存のファンはどう取るかは沙夜には不安な部分がある。
「そう?あたしには、泥臭さが無くなって物足りないと思ったわ。まぁ映画の曲だし、映像と合わせたときにどうなるかは気になるところだけど。」
 愛はそう言って少し首をかしげる。やはり耳が肥えたロックファンと言うところだろう。
「曲の云々はこの際置いておいて良いんです。問題はあなたの態度だと思いますが、どうですか。」
「え?あたしが何か?」
 本当にわかっていないのだろうか。沙夜はため息を付いて言う。
「栗山さんは私たちよりも年上です。栗山さんの立場に立ったとき、初対面のような女性から呼び捨てにされるのはどう思うでしょうか。」
「あ……。やだ。さすがにこの平口では「二藍」の前には立たないよ。」
 誤魔化すように澄香はそう言うが、沙夜は更に続ける。
「それまでの「二藍」の音楽は聴いていますか?」
「新しいアルバムは。」
「それより前のモノは?」
 すると澄香の方が沙夜に食ってかかる。
「そんなの関係ないじゃん。大事なのは新曲なんでしょ?それを売りたいからPRに来ているんじゃないの?」
 確かにその通りだ。だが音楽の話以外は、五人は出来ない。映画雑誌と言うことも会って、映画については話をするだろうがそれ以外のことは厳しいだろう。事前に渡されている質問事項は当たり障りのないことばかりだが、この女性であればそれも怪しいと思う。
「イレギュラーのことを聞かれても困るんです。あなたがもしインタビューをしたいと言って、もし事前に渡されている質問事項以外のことを聞くなら、遠慮なく口は挟みますから。」
「……。」
 やりにくいだろうがそれでもいいのかと言われているようだ。澄香はぐっと拳を握りしめる。その様子に愛が声をかけた。
「やはり違う人にインタビューをしてもらいましょうか。そちらの編集長に話をしておくわ。森さん。あなたはその小柳さんという人のインタビューに行って来たら?」
 愛はそう言って携帯電話を取り出す。すると沙夜は納得したように頷いた。
「そうしてもらえますか。」
 すると澄香は沙夜を見ていった。
「あなたあれよね?」
「何ですか。」
「大学の時、ネットで音楽を公開してたでしょ?「夜」っていう名前で。」
 一瞬戸惑った。だがすぐに冷静を装うことが出来る。いつも沙夜はそうしていたのだから。
「違いますね。そういう噂は立ちましたが、別人です。」
「嘘。だってネットで……。」
 すると沙夜はため息を付いて澄香に言う。
「ネットの噂なんかを信じるんですか。それでも編集者なんですか。馬鹿みたい。」
 その言葉に澄香の顔が赤くなる。確かにインターネットで噂が立っただけだ。本名と大学名、最寄り駅まで晒されたのを覚えている。そしてそれが沙夜だったことも澄香は覚えていた。だからこの女が「夜」だと言うことは噂程度だが真実味はあり、音を聴けばそうかも知れないと納得も出来る。
 その後「夜」は自分のことがばれそうになって、「夜」は姿を消した。アカウントも消され、本格的に誰なのかもわからなくなり、沙夜もその口を閉ざしたように見えた。
 だが「二藍」の千草翔のソロアルバム、そして「二藍」のアルバムや新曲に三倉奈々子の名前がなくなった途端、「夜」の名前が出てきた。そして沙夜が関わっているなら沙夜が本当に「夜」だというのは明確かもしれない。それを追求したくて澄香はまた口を開こうとした。だが沙夜は冷たく切り捨てた。生意気な女で、こんな態度であれば敵も多いだろう。
「はい。おしまい。」
 愛は電話を終えると、強引に二人の間に割って入る。すると沙夜は大人しく引き下がった。
「すいません。森さん。少し頭に血が上りました。昔のことを引き合いに出されるとどうしても抑えが効かなくて。」
「……。」
 不機嫌そうに澄香は腕を組んだ。
「泉さんが「夜」っていう人だって聞こえたけど、何なの?それ。」
 すると澄香は不機嫌そうに言う。
「大学の時に素人が自作の曲をインターネットに公開するようなサイトに、うちの大学の人が載せてたって噂になったんですよ。」
「問題があるの?それ。金銭の取引があっても、バイトくらいなら大学だって何も言わないんじゃ無い?」
 すると澄香は手を振って言う。
「素人の作った音楽でちやほやされているんですよ。所詮その中で人気があるってだけなのに。」
 事実だが言い方に棘がある。沙夜はそう思いながら澄香の話を聞いていた。
「それが泉さんだって言うの?」
「そういう噂が流れたんです。大学の時。」
 すると愛は首をかしげて言う。
「それが泉さんだっていう証拠もないわよね。アカウントはもうないんでしょう?」
「え……まぁそうですけど。」
「もしそれが真実だとして泉さんが「夜」という人だったとして、何の問題があるの?」
「……特にないです。」
「言いがかりは止して頂戴。さ、あなたはもう行って良いわ。代わりの人が来るから。」
「え?本当に他の人に?」
「当たり前よ。」
 そう言われて、澄香は憎々しそうに沙夜を見ながら、来た道を帰っていった。そしてその後ろ姿を見て沙夜はため息を付く。
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