触れられない距離

神崎

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ジャーマンポテト

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 雨が続いたのは梅雨入りをしたからだろう。沙夜はそう思いながら会社の外を出て行った。傘をさすと、駐車場の方へ向かう。社用車は駐車場の隅の方にありその一台の車に近づくと、車の鍵を開けて運転席に乗り込む。
 今日はみんな練習スタジオにいて、そこからテレビ局へ向かう予定だった。音楽番組の収録があり、それは今度出る新曲のPRの為だった。
 その新曲は、ギリギリまで最終的な録音を待った。少しこだわりすぎたのかもしれない。それでも良い曲になったと沙夜は思っている。映画の主題歌になっていて、その映画にもちゃんとそっているようなモノだったし、映画が公開されればもっとしれ渡れるかもしれないのだ。
 練習スタジオに着くと、車を降りてまた傘をさす。そしてスタジオの中に入っていった。スタジオは地下にあり、他のスタジオではファッション誌の撮影や演劇なんかの練習に使われている。
 どこも音楽に使われるような所だが、「二藍」のような音が大きなバンドは、地下を指定することが多い。そちらの方が迷惑にならないのだ。
 地下への階段を下り、そのドアを開く。すると規則的な電子音が聞こえる。それはメトロノームの音だった。そして奏太の声が聞こえる。
「駄目。早くなってんじゃん。治。何考えてんだよ。お前がリズム崩してどうするんだ。あんたがリズムを引っ張ってんのに。一馬もそれに合わせて弾くな。お前だってリズム作ってんだろ?治を引っ張っていくくらいやれよ。」
 奏太は厳しいことを言っているようだ。沙夜はそう思いながら二つ目のドアを開いた。こういうところのスタジオは大体二重扉なのだ。
「純もこざかしいテクニックばかり使うじゃねぇよ。そのおかず要らない。翔は最低限音を変えるタイミングを間違えんなよ。」
 五人はタジタジなっているように思える。だがそれでも奏太の言っていることは間違いでは無い。沙夜はそう思いながら、その様子を見ていた。
「遥人。高い音が叫びすぎ。音が出ないからってムキになるな。」
「あー……。」
「あーじゃ無い。真剣にやれよ。」
 奏太は口が悪い。だが五人もそれが間違いでは無いと割り切って、その指導を甘んじて受けているようだ。まだ奏太が投げないだけましだろう。口は悪いが気は長いように思える。
 沙夜なら途中で投げ出してしまうかもしれない。
 そう思っていたときだった。遥人が沙夜に気がついて、そちらに声をかける。
「沙夜さん。」
「お疲れ様。お茶を買ってきたわ。それを飲んだら準備をそろそろしてくれるかしら。」
「あぁ。そんな時間か。」
 奏太は壁に掛かっている時計を見てため息を付いた。すると治や一馬も楽器を置いて、沙夜に近づいていく。
「ケーキ無いの?」
 治がそう聞くと、沙夜は首を横に振った。
「今日は少し時間が無くてね。」
「夕べ遅かったから?」
 純が西藤裕太からギターの指導を受けたのを、沙夜は付き添って見ていたのだ。ギターは詳しくは無いが、裕太のギターの腕は純とは雲泥の差だと思う。バンドを組んでいたとき、裕太はそのギターの腕を見込まれて海外のギターのメーカーから声がかかって、裕太のモデルのギターを発売したくらいだったから。
「西藤部長があんな真剣な顔をしていたのは初めて見たわ。夏目さんも良い刺激になったんじゃ無いのかしら。」
 すると純は苦笑いをして言う。
「西藤部長はサディストだよ。」
 その言葉に翔が少し笑った。予想通りだと思ったからだ。
「他は何か居ないのか?こう……師匠みたいなヤツ。」
 奏太がそう言うのもわかる。奏太が指導しているのは基礎の中の基礎のようなモノで、やはりギターやベースといったモノは素人なのだ。それならばもっとわかる人に指導をしてもらった方が良いと思っているのだろう。
「俺のベースはピアノだからね。」
 翔はそう言うと奏太は驚いたように聞いた。
「電子音はどこで習った?」
「大学の時から楽器屋のバイトをしていてね。そこでメーカーに呼ばれたときに、紹介してもらった編曲家かな。」
「ふーん。誰だろ。沙夜。あんた知ってる?」
「えぇ。多分望月さんでも知っている人よ。」
 そう言って沙夜は携帯電話を取り出す。そしてその人の画像を映し出した。
「この人よね。」
「うん。」
 すると奏太は驚いたように翔とその携帯の画面を見比べた。
「すげぇ。マジで言ってんの?」
「そうだけど。」
「映画とかの音楽に使われたらどれだけ取られるかわからないようなヤツじゃん。翔。あんた相当恵まれていたんだな。」
「そうでも無いよ。その人からは本当に基礎の基礎しか教えてもらっていなかったし、あとは独学だよ。」
 お茶を受け取ると、翔はそのお茶を口に入れる。そして遥人の方を見ると、遥人はまだお茶に手を付けずに、携帯電話の画面を見ているようだった。
「遥人。お茶を飲めよ。」
 治が声をかけるとやっと遥人は携帯電話をしまって沙夜の所へ向かう。
「思った以上に英語が難しくてさ。」
 外国でライブをするその英訳が遥人の元へやってきて以来、遥人は外国人の英語の講師についてもらってその発音を勉強していた。それはおそらく楽器の演奏よりも難しいかもしれない。
 自分が信じていた発音が全て否定されていたのだから。
「一馬はベースはどこで習った?」
 お茶を飲みながら一馬はそう聞かれて、思い出すように言う。
「そうだな。俺は、音楽の大学を出ているからそこがベースなのかもしれない。ジャズのリズムを習ったのは……。」
 言いかけて止めた。昔を思い出したからだ。
 ジャズ研に入り、今まで吹奏楽やクラシックなどでしていたリズムと違うと思いながら、ひたすらCDを聴いていた。そんな一馬に声をかけたのは天草裕太だったと思う。聴くよりも弾く方が近道だと言っていた。
「誰から習ったの?」
 純が聞くと、一馬は首を横に振る。
「大学のジャズ研のヤツだな。前のバンドでデビュー前に、何度かそういう講師とマンツーマンで習っていたことはあったが。」
「まぁ、普通ならそうするだろうな。沙夜。あんたさ。」
 最近奏太は沙夜のことを名字で呼ばない。翔以外はみんな「さん」付けをしているのに、図々しいと思う。だが沙夜はあまり気にしていないようだった。
「そうね……でもこのジャンルって言うのはあまり世に浸透していないから、講師と言われても困るでしょうね。」
「「Glow」が似たようなジャンルだろう?」
「そうだけどね。」
「それから習うとかは出来ないのか。」
 すると沙夜は少し迷っているようだった。裕太の話によると、「Glow」のメンバーのうち一人は亡くなったり、もう音楽の世界から足を洗っている人も居るのだ。そんな人に講師を頼むというのは気が引ける。
「一度西藤部長に相談をしたいわ。」
「そうしてくれよ。俺だって限度はあるんだし。」
 すると沙夜は携帯電話を取り出すと、その旨を裕太に告げる。そして携帯電話を閉じると、時計を見た。
「片付けをしてくれるかしら。それから千草さんは言われている機材を運んでもらっているけれど、こっちから持って行くモノはあるのかしら。車に積み込める?」
「いけるよ。これだけで良いんだ。」
 メインのキーボードだった。
「ギターとベースと……あのさ。そんなに車に乗るのか?」
「乗るのよ。楽器は手持ちにしてもらうし。」
 五人は片付けを始めるのを見て、沙夜はふと思い出したように言う。
「外は雨が降っているの。ビニールが要るわね。」
「ゴミ袋とかで良いのか?」
「えぇ。車にあるから取ってくる。」
 すると奏太がそれを止めた。
「良いよ。俺取ってくるから。後ろのトランクか?」
「えぇ。だったらお願いね。」
 そう言って沙夜は鍵を奏太に手渡す。そして奏太はスタジオを出て行った。それを見て治はため息を付く。
「想像はしてたけど厳しいな。」
「え?」
 沙夜はそう聞くと、治は苦笑いをして言う。
「そりゃね。俺も自信満々で演奏していたわけじゃ無いんだけど……ちょっと落ち込むよ。」
 すると一馬もため息を付いて言う。
「俺も言えなかったのが悪かった。治が興奮するとリズムが速くなるのはわかっていたのにな。それに合わせるからそれでいいと思ってた所が甘かった。」
「お前なぁ。わかってるんだったら言ってくれよ。リズム隊だろ?俺たち。」
「わかっているよ。」
 最近、治と一馬はこういうことで言い合いをしている。そして翔と純も同じような感じだった。必死なのは遥人でその四人の事に気がついていない。
 沙夜の中で頭が痛い問題だった。
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