触れられない距離

神崎

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ブイヤベース

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 エビの殻を剥いて、背わたを取る。する必要があるのだろうと言われたら良くわからないが、要は見た目の問題かもしれない。沙夜はそう思いながら竹串でその背わたを取っていた。
「それ、背わたを取ってるのか?」
 なすを切って水に浸けていた芹がそう聞いてきた。
「うん。見た目の問題かしらね。こういう処理って。」
「背わたには砂が入ってることが多いんだって言ってた。」
「あら。そうなの?知らなかったわ。芹に教えてもらうことがあるなんてね。」
 すると芹は少し笑う。料理のことで沙夜が知らないことがあるのが嬉しかったのだ。この間、暇なときにそういうサイトを見ていて良かったと思う。
「殻は取ってあるんだ。」
「うん。煮込むときに必要だから。」
 塩水で少し洗い、そのあとお茶を淹れるときのパックに入れて煮込むのだ。そしてエビの仕込みが終わるとパットに広げて、白身魚と一緒に下味を付ける。
「タラは高くなかったかしら。」
「もう終わりだったからそうでも無かったよ。」
 天板にクッキングシートを敷いたモノに、なすやズッキーニ、鶏のもも肉なんかを並べたモノに塩、ブラックペッパーなどで味を付ける。ブラックペッパーを振りながらちらっと芹はソファーで談笑をしている三人を見た。沙菜はこういう時に盛り上げるのが得意なのだ。下ネタが苦手な純にも合わせているように思える。
「この間のスタッフは、趣味でバンドをしていると言っていたわ。K町のライブハウスでたまにサックスを吹いているみたい。」
「へぇ。サックスって事はジャズかな。」
 純はそう言うと奏太は少し笑って言う。
「サックスだからジャズとは限らないだろう。スカとか、ロックでも使うことはあるんじゃ無いのか。」
「スカって?」
 沙菜は音楽にそこまで詳しいわけでは無い。確かにアイドルをしていたときには、ダンスをしながら歌っていたこともあるが、それはただそうしろと言われたからだろう。音楽ばかりしていた沙夜もそんな音楽には興味が無いようだったし、見たとしてもダメ出ししかしない。そこでもプロ意識が強いのだ。
「こういうヤツ。」
 純は有名なそのスカバンドの動画を見せる。すると沙夜は笑いながら言った。
「良いね。こう言うの。夏に聴きたいな。」
「夏はスカとかレゲエのイベントが多くなるな。まぁ、元々あっちの方の音楽だし。」
「本場のスカってどんな感じなんだ。」
「酔っ払ってたりラリってたりする奴らばっかりでさ。」
 純もなるべく馴染もうとしている。もしこの男が担当になるならば、嫌でも馴染まないといけないだろうと思っていたのだろう。それに一馬が言うように、音楽の知識も技術も格段に上に思える。そういう所を吸収しようとしていたのだ。
 その様子に芹は、台所の方を三人は見ていないと思って沙夜に話しかけた。
「なぁ。あいつさ。」
「あいつ?」
 芹の視線の先には奏太がいた。芹にとっては嫌な存在なのだろう。音楽のことも、仕事のことも、沙夜とは対等かそれ以上なのだ。そして連弾をしたとき、沙夜も奏太も高揚感に包まれたという。
 それにそのあと、奏太は沙夜にキスをしたのだ。嫉妬するし、出来るなら関わりたくなかったし、家にも来て欲しくない。なのに堂々とソファーに腰掛けてお茶を飲みながら、談笑しているのを見ると腹が立つ。
「早く帰ってくれないかな。」
 そんな芹の気持ちはわかる。沙夜だってこの場にもし紫乃が居たり、沙夜が知らない芹の周りの女性がいたりしたらいらつくだろう。と言うか沙夜の方が怒りの沸点が低い。多少自分が嫌な女になってでも追い出すかもしれない。まだ芹は握手をしたりするだけ心が広いと言えるだろう。
「翔が良いと言ったのよ。なんだかんだでも翔がここの家主だし。」
「何考えてんのかな。担当とその担当アーティストが同居しているなんて、あっちからばれないかと思わないのかな。」
「多分、それは無いわね。」
「え?」
「あぁ見えて、望月さんは頭が良いと思うの。そんなことをしたら誰が一番不利益になるかわかっているから、そんなことを売ったり口にしたりしないわ。」
「誰が不利益って……そりゃ……。」
 翔のイメージは悪くなるだろう。沙夜と住んでいただけならまだしも、沙菜というAV女優と一緒に住んでいるのだ。もしかしたら三人でセックスをしているなんていう記事も出るかもしれない。今までゲイのようなイメージと王子様のイメージは失墜するだろう。
 それでもそれは翔のイメージダウンであり、だからといって音楽に何の影響があるだろう。
 沙夜は担当を外されるかもしれない。それでも会社側はそれに対して「クビ」だとは言えないだろう。一部の会社の人間は翔と沙夜が同居をしていることは知っている人も居るのだから。
 だとしたら一番影響が大きいのは、奏太だろうか。「二藍」のイメージを悪くしたり、その記事を売ったと言うことだ。目先のことでおそらくクビに追い込まれる。「二藍」の担当どころでは無くなるだろう。
「そういう事なのよ。」
 沙夜はそう言って鍋を取りだした。そしてそれを火にかけて、オリーブオイルとニンニクを刻んだモノを入れる。するとふわっと香りが立ってきた。
「でも……俺には翔がもっと何か狙いがあると思うけどな。」
「狙い?」
「翔っていつもニコニコしているけれど、割と腹黒いところがあるからさ。俺、楽器屋で鬱になったっていう話も聞いているけど……本当にそれが真実とは思ってないから。」
 心から信用はしていない。そう言われているようだった。
 温まった鍋にエビとタラを入れる。じゅっという音がした。そして芹も天板に広げた食材を手にしてオーブンの中に入れる。
「本当かどうかはわからないけれど……それを知っている大澤さんと話をしたとき、やはり大澤さんも翔が立ち直ってくれて良かったと言っていたわ。」
「大澤?」
「翔のアルバムにゲストボーカルで歌ってくれた人。」
「あぁ……凄い良い声の人だろう。あいつなんでデビューしないんだ。」
「本人がそれを望んでいないからでしょう。それに大澤さんがデビューをしたいのはあくまで、声楽の話だと言っていたし。」
「声楽って事はオペラとか?」
「えぇ。」
「オペラってますますわからないな。俺。」
 芹らしい言葉だと思った。沙夜はそう思いながら、魚やエビの焼き具合を見た。少し焼いてから取り出すのだ。
 その時だった。
「ただいま。」
 翔の声が聞こえてきた。帰ってきたのだろう。その声が奏太にも聞こえて、奏太は思わずソファーから立ち上がる。聞いたことのある声だと思ったからだろう。
 そしてリビングのドアが開いた。そこにはやはり翔の姿がある。そして奏太の方を見ると、少し笑った。
「望月さんと純。いらっしゃい。」
「あんた……やっぱり千草さんの家だったのか。」
「えぇ。まぁ、正確には親の家だけどね。親が海外へ移住して、その家に住んでいる感じだけど。んー、美味しそうなニンニクの匂いがするね。ブイヤベースだと言っていたけれど、どんな感じ?」
「初めて作るから緊張するわ。」
 沙夜はそう言うと、翔は少し笑って言う。
「お店で食べるものなんかと比べたりしないよ。安心して。」
「えぇ。私なりにアレンジとかもするかもしれないし。」
「期待してる。」
 タラとエビを取り出し、そしてその空いた鍋に今度はスライスしたタマネギを入れる。ブイヤベースというのはほとんど野菜が入らない。こちらではスープのイメージが強いが、どちらかというと向こうでは魚介の煮物のような扱いになるのだ。
 だが野菜は入れた方が美味しい。そう思ってジャガイモも用意している。
「千草さん。あんた、泉さんの姉妹と、その男と……。」
「男女四人の生活だけど、何か問題がある?」
「あるだろ。AV女優じゃねぇか。」
 その言葉に沙菜が反論する。
「何が問題なのよ。」
「絶対ばれたら……。」
「ばれないように気をつけているんだよ。望月さん。」
 純はそう言ってお茶に口を付ける。そして奏太を見上げた。
「沙菜さんは、節度を持っているよ。AV女優だからって、トイレでセックスなんかするほど性も溜まっていないみたいだし。」
 その言葉に奏太は頭を掻いた。それは自分がしたことだからだ。
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