触れられない距離

神崎

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ブイヤベース

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 ライターの仕事が一段落して、芹はコップを手にする。入っているコーヒーはもうほとんど無い。そう思いながら、新しいモノを入れるかと、立ち上がったときだった。玄関のチャイムが鳴る。コップをテーブルに置いて、芹はそのまま部屋を出ると玄関の方へ向かった。ドアスコープから外を見ると、そこには藤枝靖の姿がある。そう言えば来ると言っていたな。そう思いながら、芹はドアの鍵を開けた。
「渡先生。ごめん。遅くなって。」
「良いよ。今、俺も仕事が一段落付いたんだ。中入る?今コーヒーでも淹れようと思ってて。」
「そうしてくれるとありがたいよ。喉が渇いててさ。」
「お茶が良いかな。そしたら。」
 そう言って靖を家に上げる。靖を家に上げるのは、いつものことだった。靖は仕事だから来ているという感じで、「二藍」のように沙夜や翔にべったりというわけでは無い。割とドライな男だった。そして芹が望んだことだが、歳もキャリアも靖の方が下なのだが、芹は堅苦しいのを苦手としている。だから平口で接して欲しいと言った。それが少し友達同士のような感覚になる。靖もやりやすいと思っていた。
「あ、これ。うちの実家から届いたからお裾分けを。」
 そう言って靖はバッグからドレッシングを取りだした。
「ドレッシング?」
「うちの実家は海辺のところで、こう言うのを作ってこう……物産館みたいなところで売る人が居るんだ。その人が開発したのはいつも好評で、インターネットとかの取り寄せも来るくらいのモノ。これ、新製品。」
「ふーん。うち、ドレッシングってほとんど使わないんだよな。でももらうよ。たまには新しい味も良いかもしれないし。」
「へぇ。一度会ったあの女性が作ってるの?」
「そう。料理すげぇ上手いよ。」
 靖はここでのことを会社で口にするのは、石森愛の前くらいだ。渡摩季は、気難しくて他で靖が渡摩季の情報を漏らせば、渡摩季はすぐに雲隠れをする。そういう噂が立って、周りも靖や愛に渡摩季のことを聞こうともしない。
「でも、ずいぶん遅くなってたな。何かあったのか?」
 お茶を淹れて、部屋に戻ってきた芹は靖にそう聞くと、靖はため息を付いて言う。
「他の出版社なんだけどさ。ほら、最近、出版社勤務で書評とか書いている女性がいるのわかる?」
「天草紫乃?」
「そう。」
 靖はお茶を一口飲むと、またため息を付いた。
「その人が、渡摩季と対談をさせて欲しいと言ってきてね。」
 やはりそう来たか。芹は首を横に振る。その様子に靖は少し笑った。
「だと思った。」
「俺、あんな色気が歩いてるような女が一番嫌なんだよ。それで無くても外には出てないのに。」
「顔を隠してインタビューを受けている記事もあるだろう?それを見て、渡先生が顔を隠して、映るのは天草さんだけなら良いんじゃ無いかって結構しつこかった。」
 その言葉に芹はお茶を口にすると、靖に言う。
「良いか?絶対受けるなよ。それ。」
「……え?」
 思った以上に芹はそれを嫌がっているような気がした。女だから嫌なのだろうか。いや、違う。ここの家は女も住んでいるのだ。しかもそのうちの一人はAV女優。紫乃とは違うが、やはり色気が歩いているような女なのだ。
 女が嫌いというわけでは無さそうだし、色気がある女が苦手というわけでは無いが、紫乃をそこまで嫌うのは何なのだろう。
「何かあったの?」
「んー……。」
 紫乃と何かあったとは言いたくない。だが上手いいい訳が見つからなかった。何といおうかと思っていたときだった。
「俺、他で漏らさないよ。」
「わかってるよ。お前のことは信用してる。だから家にも上がってもらってるんだ。信用してなきゃ、ここに呼ばないよ。」
 その時芹の携帯電話が鳴った。それを手にしてメッセージを見る。すると沙夜からのメッセージだった。先程、純が食事をしに来ると言っていたのだが、それに望月奏太も来たいと言っているという。芹は頭を抱えた。
 ここにあの男が来る?まだ翔と一緒に沙夜が暮らしていることも知らない男が?そこまでしつこい男だったのだろうか。
「渡先生?」
「あー……。家に今日さ……客が来るんだよ。でもそいつ、俺が何をしているとか同居のこととか知らないんだ。」
「隠さないといけないの?」
「翔は著名人だろ?それが女と一緒に住んでいるなんて知られたら、世の中どんな目で見るかわからないだろう?」
「そんなの気にする?」
「するんだよ。噂好きの女とか、ネット民とか。」
「そんなの音楽に何の影響があるの?」
 靖は嫌みで言っているのでは無い。本当にそう思っているのだ。素晴らしい音楽を作っている人や、素晴らしい文章を紡ぎ出している小説家の私生活などは全く興味が無いらしい。
「無いよな。」
「だったらそんな噂は無視だね。「二藍」の音楽って凄い俺好きなのは、隙が無い音楽だから。その音楽をキープ出来ているのに、私生活がどうだって言う方が野暮だと思うけど。」
「……俺のことだって知られたくない。」
「黙っておけば渡先生のことはばれないと思うけど。あと何かその人が来て、嫌なことがあるの?」
「……ねぇな。」
「千草さんが良いって言うんだったら、別に来てもらっても良いんじゃ無いのか?」
 しかし芹はまだ迷っているようだ。その間にもグループにしてある沙菜のメッセージが書き込まれていた。沙菜は奏太がここに来るのは嫌らしい。だがそれでも翔が良いというなら、受け入れるという。
「俺さ……。」
 靖は少しため息を付いて言う。
「何?」
「叔母さんに当たる人が初恋だったんだ。」
「は?」
「叔父は、再婚でさ。その前から色んな人……ここみたいな感じかな。男女四人で同居していた。もっと古い家だったけど。」
「……。」
「初めて会ったときは叔父とそんな仲じゃ無かったと思う。見た目はキツいのに優しかったし。だから結婚したいと実家に連れてきたとき、凄いショックだった。その上、俺が大学へ行くのに出てくるっていう話をしたら、その家に住めば良いって言われて。」
「下宿みたいな?」
 すると靖は少し頷いた。
「大学の途中で子供が生まれてさ。叔母は少しヒステリーっぽくなった。けど叔父がそれをずっとカバーしてるのを見て、俺には出来ないって思ってさ。」
「……。」
「それからもう叔母への気持ちは吹っ切ったし、俺は叔父にどう逆立ちしても適わないんだなって思って。」
「よく吹っ切ったよな。それ。」
「自分でも思う。話は逸れたけど……叔父はもう割と出版社の中でも上の地位に居るんだ。で、叔母は作家。でもこの二人が付き合っていたとき、まだ叔父の前妻は生きていたんだ。」
「生きていた?」
「意識は無いけど生きてた。」
 ベッドの上で五年間寝たきりだったのだ。新婚旅行の帰りの事故であり、毎日病院へ叔父は通っていた。外から見れば叔父は献身的な旦那だと思う。だが実際は不倫をしていたのだ。意識が無い妻を裏切って。
「それは事実だし、外に出て自分の地位が無くなっても仕方が無い。叔母も作家として生きれなくなっても仕方が無いと言っていた。それだけ二人は覚悟をして付き合ってたと思う。その二人に比べて渡先生は、まだ漏れていないことに臆病になっているだけだと思うんだよな。」
 そういわれて芹は黙ってしまった。確かにそうかも知れない。
「臆病になってるだけかもしれないよな。」
「多分、俺あまり話は聞いていないけれど、渡先生は人を信用しきれてないところがあると思う。でも……信用してくれないのは、信用されていないと言うことにもなると思う。だから……何が起こるかわからないけれど、その客って言う人が他の人が嫌なら仕方が無いけれど、受け入れて悪い方向に向かうんだったらそれは「自分の見る目を養えた」と思えば良いんじゃ無いのか。」
 すると芹はその言葉に少し頷いた。そして携帯電話を手にすると、グループでメッセージを送る。翔が良いなら呼んでもかまわないと。
「あのさ……藤枝。」
「どうした?」
「その話するのは、客だけなら良いよ。でも俺、天草紫乃には会いたくないんだ。」
 芹はそういって少し戸惑いながら、靖に話をする。すると靖はその話を聞きながら、面倒だがやはり紫乃には断りを入れておこうと思っていた。
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