触れられない距離

神崎

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ピクトリアケーキ

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 あの時、奏太は何を思ってあの女に「自分で誘っておいてレ○プされたって女」などと言ったのだろう。音楽大学に受かって浮かれていたこともあるのだろうか。
 兄があんな剣幕で怒ったのを初めて聞いた。普段は物静かで、義理の母である奏太の母から早く結婚して欲しいと口やかましく言っていたのを、ほとんど無視したりしているような兄だったのに。あの女のことに関してはムキになっていたような気がするのが疑問だった。
 兄は手土産を持ってあの店に謝りに行ったという。奏太にはもう近づかせないでくれと、あの店のマスターが言っていた。だがあのコーヒーの味は、世界のどこを探してもない気がする。それくらい美味しいコーヒーだった。それにあのケーキだって絶品で、今日、沙夜が持ってきたケーキなんかの格が違うという感じがするような気がする。
 だがもう十年は経っていないが、かなり昔の話だ。味も音もまた神格化するのかもしれない。
 帰りながら奏太はふと、花屋を目にする。そこには色とりどりの花が飾ってあった。その花に足を止めていると、店員であろう若い女性が声をかけてきた。
「お探しですか。言ってくれればどんな花でも花束にしますよ。」
 そう言ってくれたが、花はあまり興味が無い。どんな花だと言われてもピンとこなかった。そう言えば、外国に留学していた時に金持ちの家に呼ばれてピアノを演奏したことがある。その時に、そこの娘のような女性から花束を渡されたが、その時すら薄っぺらい感謝しか伝えることは出来なかった。ピアノを弾くことで金はもらえるが、それだけだったから。
 頬を染めたその女の子を見ても、どうせ将来は誰でもセックスさせるような女になるのだろうとさえ思っていたのだ。
「……あれ?」
 店の奥を見ると、鉢植えでも切り花でも無いような花が、ガラスケースに陳列してあった。花にしては不自然だと思い、それに近づいていく。
「それはブリザードフラワーですよ。」
「ブリザードフラワー?」
「特殊な加工をしていて、水を与えなくてもこのままの状態です。」
 ドライフラワーと違って瑞々しい花だと思う。それがこのままだというのは、手入れも楽だろう。値札を見ても確かに普通の花よりは高めだと思った。だが花というのは女が好きだし、こういう特殊な花はあの女の心を開くのに使えるだろうと思う。
「これ、くれる?」
 奏太が指さしたのは、青い薔薇だった。青い薔薇というのは、自然では出来ない。おそらくこれも加工しているのだろう。加工だらけのモノはあの女が何を思うだろうか。
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ。」
 花はもらうばかりで人にプレゼントをしたことなど無い。それも既婚者にあげるのだ。変に誤解をされなければ良いが、一馬もいるのだから問題は無いだろう。それに謝罪に行くのに手ぶらというのは、奏太の常識でもあり得ない。
「お待たせいたしました。」
 紙袋に包まれた花を手にして、奏太は店を出て行く。そして駅へまた向かった。
 駅の構内にひときわ目立つ人が居る。遠巻きに女性達が何か噂をしているようだが、それを全く気にすること無くダブルベースが入っているケースを背負いながら、携帯電話の画面に何か打ち込んでいるようだ。
「花岡さん。」
 奏太は声をかけると、一馬は携帯電話をしまう。
「来たか。」
「夜になるとまだ冷えるな。温かいコーヒーでも飲みたいところだけど。」
「あっちで飲むと良い。連絡をしておいたら単品のコーヒーを残しておいてくれると言っていたから。」
 その言葉に奏太は少し違和感を持った。単品のコーヒーと言うことは違うコーヒーもあると言うことだろう。
「単品のコーヒー?」
「洋菓子店でな。ケーキに合わせてコーヒーを淹れているらしい。ケーキは要らないけど、コーヒーだけという場合もまた違うコーヒーがある。」
「こだわってるな。」
「それでずいぶん悩んでいた。」
 喫茶店の時にはメインはコーヒーだったり紅茶であったり飲み物がメインだったが、洋菓子店はケーキがメインなのだ。飲み物はおまけであり、ケーキの味を引き立たせるモノだというスタンスがある。
 だから一馬の奥さんはメインのパティシエといつも二人三脚で動いているのだ。
「パティシエって事は男だろ?女はパティシエールって言うし。それって、嫌じゃ無いか?」
 きっと一馬よりも居る時間は長い。なのに拘束時間は相当長いのだ。
「俺が妻と出会った時もその男と一緒に居た。同居していたんだ。」
「同居?一緒に住んでいたのか?」
「幼なじみだった。あの事件があってもあの男は妻の言うことをずっと信じていた。家族はみんなメディアが言うように、妻が男達を誘ったというのを信じていて非難していたのを、あの男と妻の祖父だけが妻の言うことを信じていた。そしてもう一人妻の言うことを信じていた人が居る。」
「兄か。」
「あぁ……。あの事件は警察でも妻が誘ったということにしておけば良いというスタンスだったが、雅さんだけは違うと言って時効が切れても個人で捜査をしていたようだ。」
「だから兄さんは出世出来なかったんだよ。キャリア組なんだし、兄さんのキャリアを考えれば警視総監にでもなれるはずだったのにな。」
「今は警察学校にいると言っていたか。」
 警察の第一線からも外されたのだ。それでも自分の与えられた仕事だと言って懸命に仕事をしている。そしてその息抜きは、洋菓子店を回ってケーキを口にすること。雅の妻や子供と一緒に買ってきたケーキを家で食べるのが一番の幸せだと言っていた。奏太からすると、雅は貧乏くじを引かされたと思う。それでも天下りをして暇な閑職に就けと言われないだけましだ。
「最近の若いヤツは音を上げるのが早いと言っていたよ。」
「雅さんらしい。」
 一馬は少し笑うと、向こうから金髪の男がやってきた。それは遥人だった。一馬はそれほどでも無いが、遥人は有名人なのだ。変装の意味も込めてサングラスをかけている。
「待ったか。」
「それほどでも無い。忙しかったんだろう。」
「インタビューだよ。珍しいよな。純と一緒だなんて。」
「キラキラした者同士良いんじゃ無いのか。」
「キラキラ?」
「髪の色が。」
「金髪なのは今度のドラマのためだよ。」
 遥人は今度ドラマに出る。その主題歌も「二藍」が担当することに決まった。
「どんなドラマなんだ。」
「今時な感じがするドラマだよ。テーマはマッチングアプリなんだってさ。」
「ふーん。」
 そんなモノには興味が無いし、今は出会いは求めていない。
「じゃあ行くか。電車はあの路線だ。」
「もう少し行ったらK町だな。帰りに翔のイベントを見てくるか?純もこの後行くっていってたし。」
「保護者かよ。」
 三人はそう言い合いながら、改札口をくぐる。
「あのクラブは最近評判が良いな。有名なDJもライブをしたりするらしいし。」
「あぁ。一馬はあの辺に住んでいるんだっけ。」
「出身もそうだ。」
「あんなところに住宅街があるんだな。」
「酒屋をしている。兄が継いでいるが。」
「ふーん……。」
 一馬がここまで言うのは初めて聞いた。遥人と出会ったときには、他のメンバーにも自分のことを話すのは嫌だと思っていたところがあるのに、この男には話が出来ると思っているのだろうか。
 遥人はそう思いながら、持ってきた紙袋を握り直す。
「そう言えば、望月さん。」
 遥人はそう言って奏太に声をかける。
「何だよ。」
「沙夜さんと仲が良いのか?」
「仲?」
 そう言って奏太は馬鹿にしたような目で遥人を見る。仲が良いというのは、男女の関係のような意味合いがあると思うから。
「純がこの間、あんたと沙夜さんが手を繋いでいたというのを見たって言ってたから。」
 その言葉に一馬は驚いて、奏太を見る。すると奏太は手を振ってそれを否定した。
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