触れられない距離

神崎

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連弾

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 雨が降っていて、芹は傘をさして沙夜を迎えに行く。時間的にこの電車に乗っているはずだと思ったから。
 電車が行ってしまい、降りてきたサラリーマンやOL、学生なんかを見ていると、見覚えのある人が降りてきた。それは何度か会ったことがある。花岡一馬だった。一馬も芹に気がついて近づいてくる。
「芹さん。」
「沙夜が乗ってなかったか?降りた電車。」
「いいや。車両が違ったんじゃないのか。」
 一馬は背中にダブルベースを背負っている。そのベースが濡れないようにと、サイズの大きい傘をさしていた。おそらく恋人同士なんかが、二人で相合い傘をするためのモノかもしれないが、一馬にとっては自分が濡れても良いから楽器は濡らしたくないと思っていたのだ。弦楽器は湿気に弱いから。
「あんたはなんかこの町に用事なの?」
「うちのから、パシリをさせられてな。」
「パシリ?」
 こんなに体が大きいのに、奥さんの言うことをホイホイ聞いているのだろうか。そんな男だったのだろうか。
「誤解するなよ。別にいつもしているわけじゃない。たまたま仕事が終わったのがこちらが早かったし、途中下車をすれば気軽に立ち寄れる町だからな。」
「そういうことにしておくよ。」
 一馬の奥さんは、洋菓子店へ行った時に見たことが何度かある。気が強そうで、沙夜によく似ていると思った。だが沙夜の方が若干怒りの沸点が低い。その分、冷めるのも早いが。
「スパイスの専門店があるだろう。」
「商店街の方だな。あっち。」
「あぁ。そうか。そこで買ってきてほしいものがあるらしくて……。」
 一馬の妻は、隙があれば新製品の案を練っている。子供の世話をしながらしていることで、時には買い物にも出れないことがあるのだろう。だからそういうときには一馬が進んで奥さんの手伝いをするのだ。
「……沙夜さんを待っているのか。」
「あぁ。ちょっと複雑な事情もあってさ。」
「裕太か?」
「うん。まぁ、最初はほとんどはそうだったな。兄さんには沙夜とデキてることも知られているし、何をしてくるのかわからないから。」
「そうだな。」
 裕太は著名人でもあるから、あまり大きな事はしないかもしれない。だがその妻となれば別だろう。紫乃が沙夜に何をしてくるのかというのは気がかりだったのだ。
「それにしても最近ずっと遅いけど、そんなに「二藍」は大変なことをしてるのか。」
「そうでも無いな。アルバムの打ち合わせをこの間したが……。あぁ……そうだった。」
「何かやるのか?」
「夏にヨーロッパの方で音楽フェスがあるだろう。大規模なヤツだ。」
「あぁ。有名なフェスだろう?衛星中継してる。」
「あれに呼ばれたんだ。」
「え?凄いじゃん。だったら、毎年出てるマックなんかと肩を並べるのか?」
「かもしれない。この国からは俺らだけらしいんだ。」
「へぇ……。」
「まぁ……俺はあまり歓迎しないな。」
「どうして?いい話じゃん。」
 すると一馬はため息を付いて言う。
「あっちの方ではこっちの国の文化がブームらしい。アニメだったり、ドラマだったり、家の両親が向こうに渡っていて片言ながらもこちらの言葉を使って挨拶をされることもあるらしいし、他人を呼んで食事をする時もこちらの料理を一品添えると凄く喜ばれるんだ。ヘルシーだとね。」
「ヘルシーねぇ。」
 あちらの料理はオリーブオイルやチーズをふんだんに使っているモノが多い。だからさっぱりしているこちらの料理は好まれるのかもしれない。
「だが俺は一貫性のブームだと思っている。」
「……弱気だな。」
「飽きられた時のことを考えているんだ。」
 そうなった時に「あんな人達がいたね」とか言われたりするのだ。そんな惨めな思いをしたくないと思う。
「だったら爪痕を残して帰れば良いんじゃ無いのか。」
 芹はそう言うと一馬は首を横に振る。
「それでなくても俺らの音楽は、純粋にハードロックとは言えない所もある。違和感の爪痕を残すようなことをしていいのかって。」
「そんなこと思わねぇよ。」
「……。」
「良いと思う気持ちは、万国共通だろ。こっちのヤツだって、洋楽聞いたりするんだから。」
「思ったよりも前向きだな。あんたは。」
 すると芹は少し笑って言う。
「俺は本当は前向きじゃない。兄さんとその嫁から逃げ回っていたんだから。あんたがそう思うのは、あんたが後ろ向きになってるからじゃないのか。」
 一馬はそう言われて、心が少し痛かった。思ったよりも自分がイライラしていたのだろう。だからどうしても斜にしか構えられなかったのだ。
「そうかも知れないな。どうも……昼に嫌なヤツと会ったからかもしれない。」
「嫌なヤツ?」
 レコード会社に呼ばれたのは、今度デビューする新人歌手のバックでベースを弾いて欲しいという依頼だったから。その仕事自体は別に悪いことではない。
「翔も別の仕事でレコード会社に来ていたようだ。帰りが一緒になって一緒に出るかって言う話をしていた時だった。沙夜さんが誰かと言い合いをしていてな。」
「同じ職場のヤツ?」
「になるかもしれないと言っていたか。ハードロックの部門に来るのはかまわないが、「二藍」には関わらないで欲しいと思う。」
 一馬はあまり人を好き嫌いで言う方ではないが、その相手は相当拒絶している。珍しいこともあると思っていた。こんなに嫌うのは昔のバンドのメンバーくらいかもしれない。
「誰?それ。」
「……望月という警官がいてな。妻がずっと世話になっている。」
 芹もその話を聞いたことがある。性被害者なのに、いつの間にか幼い頃から淫乱な女だと言われかけたと。それは大きな誤解だったと証明してくれたのが、その警官だったのだ。
 そしてまだ捕まっていない加害者を、まだ追っているのだ。
「世話になっているんだな。」
「その親族でな。多分……沙夜さんと同じくらいの年頃だろう。口に蓋が出来ないタイプで、妻が毛嫌いしている。」
「つまり怒らせるようなことを言ったのか。」
「あぁ。そんな人が入ってきて欲しくない。」
 口で失敗するのが目に見える。そうなればカバーするのは、沙夜しかいない。そして沙夜は楽になるためにあの男をいれたのに、する必要の無い仕事をまた抱え込まないといけないのだ。
「でもそう言ってられなく無い?」
「は?」
「さっき自分で言っただろう?海外のフェスに呼ばれているって。あっちの方は、外国人だろうと容赦なく母国語を使うんだ。沙夜はそこまで言語に詳しくないだろうし、苦労してるんだろうな。」
「らしい。だからといってあの男を入れるのは……。」
「男?」
「あぁ。男だ。外国を放浪していて、言語に明るい。だがその分トラブルも多いのは、洋ロックの部門でも評判だし。」
「……。」
 沙夜の側に男の影がまた出てきた。それは「二藍」のように仲間だとか、家族だとか、そんなレベルではないもっと近い存在になるのだろう。
「芹さん。」
「何だよ。」
「不安が顔に出ている。」
 すると芹は少し頷いた。
「不安だよ……。沙夜に……。」
「他の男に目移りするような女だと思っているのか。」
「……。」
 そうは思わない。だが沙夜はあの南の島から戻ってきた時、芹に謝ったのだ。無理矢理とはいえ翔とキスをしてしまったと。案外押しに弱い女なのだ。
「沙夜がそんなことをすると思わないけどさ……。」
「不安だったらがっちりと掴んでおけ。たまには外に出て気分を変えてみると良い。俺もたまに奥さんと出掛けることもあるんだから。」
「どうせ子作りしかしてないんだろう。」
「二人目が欲しいからな。」
「ガッツガツしても駄目なんじゃないのか。」
「お前は少しガツガツした方が良い。」
 芹と沙夜が付き合うようになって数ヶ月ほど。だが数えるほどしか二人になっていない。
 だが沙夜を自分のモノにしたい。それだけは譲れなかった。翔にも、その見たことの無い男にも。
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