触れられない距離

神崎

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連弾

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 不思議な気持ちのまま、沙夜はハードロックの部署へ戻ってくる。部署の中には、半分ほどしか社員はいない。他の人達は普段の沙夜のようにバンドのレコーディングなどに付き添っているのだろう。沙夜の隣のデスクにいる植村朔太郎も今はいない。自分のバンドに付き添っているのだろうか。
 珍しく西藤裕太がこの時間にデスクにいて、パソコン作業をしている。昼前くらいまではいないのが普通なのだが、何か仕事があるのだろう。だがちょうど良い。
 沙夜は裕太の所へ行くと、裕太も少し笑って沙夜の方を見る。
「お疲れ様。望月君に会ってきたんだって?」
 朔太郎に伝言をしていたが、それを聞いていたのだろう。沙夜は少し微妙な表情のままだ。おそらく良い初対面とは行かなかったのだろう。
「部長。少しお話が。」
「ここではまずいのかな。」
 沙夜が「夜」である事は、この中では裕太しか知らない。なのでこんな公の場で言えないのだ。
「えぇ。」
「わかった。今から俺は休憩に入るから、泉さんも一緒にどうかな。」
「今日はお弁当を持ってきていまして。」
「俺も今日は弁当なんだ。天気は良いし、そこの裏にある公園にでも行かないか。」
「わかりました。それで。」
 沙夜はそれだけを言うと自分のデスクに戻ってきた。その態度で望月奏太と何があったのかはわかる。沙夜はきっと迷っているのだ。

 天気が良い春の日は、この公園で一休みしている人も多い。コンビニなんかの弁当を持って、携帯電話を見ながら食事をしているサラリーマンや、OLなどが行き交う中、沙夜と裕太は少し離れた東屋へやってくる。人は確かに多いが、それに耳を傾ける人はいないだろう。裕太が目立っていたりバンドを組んでいたときの事を知っている人が居ても、その姿をちらっと見るくらいだ。休憩をしているのはわかっているので声をかけるような野暮な人はいないのだろう。
「珍しいですね。お弁当なんて。」
「きっとついでなんだよ。今日は他で食べる用事は無いって言ったら用意してくれてね。」
「ついで?」
 保冷バッグに入っている弁当箱を取りだした裕太は、その弁当の中身を沙夜に見せる。ウィンナーがたこの形に切られていたり、ポテトサラダにコーンが入っているのを見て、少し子供向けだと思っていた。
「今日は子供の学校の遠足でね。ついでに用意してくれたんだ。」
「野菜嫌いだとか。」
「あぁ。その割には辛いものとかが好きでね。普通の子供がいる家庭とかだったら、子供に合わせてカレーは甘口で作ったりするだろう?」
「聞いた事はあります。」
 治の家はカレーを二種類作っているらしい。子供が食べる甘口のカレーと、大人が食べる辛口のカレーだ。手間だろうが、奥さんはルーを変えるだけだからと言っていつもそうして用意しているのだという。優しい人だと思った。沙夜ならどちらかに寄せるだろう。
「うちはみんな辛口で用意するんだ。だから学校で出されるカレーが甘すぎてカレーじゃないみたいだって言っていてね。あいつは大人になったら酒を飲むようになるんだろうな。」
 裕太は忙しい中でも子供とのコミュニケーションを忘れないらしい。歳を取ってからやっと授かった子供が可愛いのだ。見た目は遊んでいるように見えるが、子煩悩で浮気などするタイプでは無い。天草裕太とは全く違うようだ。
「うちはカレーはいつも甘口ですね。」
 沙夜はそう言うと自分の弁当箱を開いた。生姜焼きの入っている弁当は、今朝用意したモノだ。
「甘口?」
「妹は刺激物が一切駄目なんですよ。辛いものを食べると顔が真っ赤になって汗が止まらなくなるので。」
「へぇ……。それで同居人は何も言わないの?」
「辛くしたければタバスコを足して欲しいと言ってます。辛口のモノを甘くするのは難しいので。」
「なるほどね。」
 翔と沙夜の妹である沙菜とあともう一人で四人で一つの家に住んでいる。それは知っていたが、食べ物の管理は全て沙夜がしているらしい。その代わりに他の事は同居人に任せている。そうやって四人で生活をしているのだ。
 沙夜は他人とのコミュニケーションが取れないわけでは無い。気を遣って、気を遣われて生活をしている。それは仕事でも垣間見えて、どうしてもと言うときには裕太を頼ったりする事もあるのだ。
 それは沙夜が裕太を信用しているから。そしてその相手に望月奏太が入るというのはどうなのだろうか。裕太との会話は悪くないとは思ったが、実際働くのは沙夜なのだ。沙夜がどう思うか、そして「二藍」のメンバーがどう思うかが一番重要だろう。
「部長。それで、望月さんの事なんですけど。」
 沙夜の方から話を振られた。唐揚げを口にして、裕太は沙夜の方を見る。
「どうだった?」
「「二藍」のメンバーに会わせる前に少し気になるところがありますね。」
「気になるところ?」
「望月さんは大学の時の私の同期でした。」
 それは裕太も知っている事だった。大学名を見て沙夜の方を見たくらいだから。しかも同じピアノ科なら知っていてもおかしくないだろう。なんせキャリアだけ見ると、奏太の方が圧倒的に実力があるように見える。それだけに沙夜と衝突しないだろうかと思っていたのだ。
「有名なコンクールなんかでグランプリの経歴があるだろう。」
「えぇ。同じコンクールに出て、私は入選止まりのモノでしたから。」
「君が入選?」
 音楽的なセンスや実力を見れば、入選というのもおかしな話だと思った。クラシックには素人の裕太でも沙夜の腕はかなりの実力だと思う。なのに入選という結果になってしまったのは、何か理由がある。
「えぇ。私は型に填まったクラシックというのが昔から苦手だったから。」
 大学入試の時に我慢をして譜面どおりに弾いた。だから入学の時には、沙夜の評価は良かったのだろう。だが大学に入ってしまえば我慢が出来なかったし、ステージの上だと尚更だった。
「私は型にはめられたモノは苦手で、いつも余計な事ばかりしていたからですね。評価外とか規格外と言われた事も相当ありました。」
「でも望月君はそれでいつもグランプリを取っていたとか。」
「えぇ。私の方から聴いてもまるでCDのようなピアノだなと思っていました。」
 それは褒めているのでは無い。いわゆる個性が無いと沙夜は言いたいのだが、それが評価されるのがコンクールの世界なのだろう。ミスがない、余計な事をしないなど項目は沢山あるだろうが、それも含めて忍は高評価だったのだ。
「音楽的には問題無さそう?それとも「二藍」のメンバーに余計な事を言いそうだった?」
「後者ですね。余計な事を言いそうで批判を受けるのが目に見えます。」
 プライドが高そうだからだ。おそらく洋ロックの部門でも容赦なくそう言った事を言って、反感を買っていたのだろう。
「なるほどね。」
「余計な仕事が増えるのはごめんです。」
「だったら断るかな。」
 それならそれでかまわない。また人選をしなければいけないが、音楽大学を出たような人というのは結構いるので、その中から選んでもらえば良いのだ。
「ただ、気になる事はありますね。」
「望月君が気になる事?」
「えぇ。例えば海外の渡航歴が結構あるとか。」
 歳は一緒だが社歴が奏太の方が短い。それは海外を放浪していたからだというのは裕太も知っている。
「色んな所へ行っていたらしい。だから言語が堪能だ。だから洋ロックの部門にいるんだけどね。泉さんも日常会話くらいならいけるだろう?」
「本当に日常会話くらいしか出来ないんですよ。それにそれ以外の言語が来るとお手上げです。今度海外のフェスに呼ばれていますが、その受け渡しも少し不安ですね。」
「英語では無いしね。でもそれば心配しなくてもいい。現地へ行けばコーディネーターもつくし、受け渡しは人を付ける予定にしている。君はその人越しにコンタクトをしてもらえば良いから。」
「それは助かります。」
 ほっとした。だがこういう話はこれから多くなるかもしれない。だったら何かしらの対策をしないといけないだろう。
「それから何かあった?」
「「夜」のことを聞かれました。」
 その言葉に裕太の箸が止まる。恐れていた事だったから。
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