触れられない距離

神崎

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イチゴジャム

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 食器を片付けている間にボウルに入ったイチゴを鍋に入れて、火にかけた。すると浸透圧でイチゴから出てきた水分が、徐々に煮立ってくる。潰さなくてもイチゴは更に煮溶けてくるのだ。
 ぷんと台所中が甘い匂いになる。
「美味そうだな。」
 翔はそう言ってその鍋の中を見る。
「結構あるな。どうするか……。」
 すると沙夜の言葉を思い出していた。ジャムは冷凍出来るらしい。
「余れば冷凍するか。」
「冷凍出来るのか?ジャムが?」
「出来るって沙夜に聞いたことがあるよ。」
 自分の方が沙夜を知っている。そう言われているようで少しむっとした。
「芹さぁ。俺の方が一緒に居る時間が多いんだけど。」
「ふーん……知ってるよ。」
「南の島にも一緒に行ったし……。」
「仕事だろ。良いから、そのレモンを二つに切ってくれないか。それから絞ってくれよ。突っ立ってないでさ。」
 すると置いているレモンが見えて、それを切れと言っているのだろう。芹はそのイチゴが煮立ってきて、焦げないように混ぜている。その手が重くなってきたら、レモンと蜂蜜を入れて完成するのだ。
「……今更どっちが知ってるとかどうでも良いだろ。でも付き合ってるのは俺だし。」
「そうだけどさ。現実味が無い。」
「何で?」
「両親とか身内に沙夜を紹介出来ないだろう。沙夜の両親にしてもだ。お前は仕事は何をしているっていわれたらなんて答えるんだ。」
「フリーライター。」
「そんな答えで普通の両親が、納得すると思うか。それに……沙夜の両親の話は聞いたことがあるのか。」
 沙夜から聞く両親はあまり良い印象では無い。父親は娘二人に無関心だったし、母親はモデルから芸能人にさせようと、幼い娘二人を連れて躍起になっていたという。沙夜がモデルを辞めてピアノをしたいと言ったときも、ただそのピアニストの姿だけを見てそうすれば良いと言ったらしい。浅はかだと思う。
「あるよ。あまり話が通じそうに無い。」
 沙夜にお見合いを進めてきていると聞いた。その相手はどこかの企業の社長の息子とか、専務の息子とか、そんなところばかりだ。稼ぐような人と結婚させれば娘は苦労しないし、何よりもその子供がまた二人が出来なかった芸能人にさせられると思っているのだ。その祖母だというステータスが欲しいだけで、娘の幸せなどは考えていない。
「そんな母親にお前は話が出来ると思っているのか。」
「話が出来ない人じゃ無い。言葉が通じるんだ。外国人か?その母親は。それとも宇宙人か何かなのか。」
「……。」
「長い時間をかけても説得する。」
 それくらい時間をかけても良いのだ。それくらい沙夜には価値があると思うから。
「沙夜自身もどうなんだろうな。」
「え?」
「お前と一緒になりたいと思っているのか?」
「……まだわかんねぇよ。でも……。」
 何度かセックスをした。感じやすい沙夜の体は、少し間違えば痛みに変わるだろう。そして昔のことを思い出すかもしれない。その手加減は難しいのだ。
「沙夜の気持ちもわからないのに、一人で結婚とか言っているのか?」
 レモンを搾りながら、翔は少し笑う。それは嘲笑のような笑いだった。あまりそういう笑いを翔が浮かべたことは無いが、それだけ沙夜を取られたくなかったのかもしれない。
「結婚とかまだ考えてない。でも……俺は、沙夜の側にいたいんだ。」
「……。」
「一番大事だから。」
 翔はその言葉にため息を付く。
「芹は今度、ラブソング書けるよ。」
「書く。」
 その歌詞に沙夜の作った曲を載せたい。それは芹が一番思っていたことだった。セックスをするよりも多分、そうしていた方が芹も沙夜も気持ちが楽になると思ったから。
「でも……お前には言って無かったかもしれないけど、沙夜は俺ともキスをしたことがあるから。」
「え?」
 木べらを混ぜる芹の手が止まった。そして翔の方を見る。だがすぐに我を取り戻して、また鍋の中をかき混ぜ始めた。
「いつ?」
「南の島に行ったとき。」
 ホテルの一室で、キスをした。芹が好きだと言わせたくなくてやった行為だったが、後悔はしていない。好きだったから。
「大人しくされていたのか?」
「舌を噛まれた。」
 沙夜ならそれくらいしそうだと思う。案外気が強いからだ。
「でもしたかったんだ。」
「お前さぁ。そんなに強欲だったっけ?沙夜だって嫌がってただろう?だから噛まれたんだよ。」
「でも答えてきたんだよ。」
「……。」
 芹はため息を付くと、またそのイチゴ液の粘度を調べる。大分いい感じになってきたようだ。
「でも沙夜が求めているわけが無い。無理矢理……。」
「だったら早い段階で舌を噛んでるだろう。」
「違う。」
「沙夜だって……。」
「違うって言ってんだろ。沙夜を淫乱みたいにいわないでくれ。」
 すると翔も黙ってしまった。その搾ったレモン汁を取ると、芹はその鍋の中にそのレモン汁を入れた。そして蜂蜜を少し入れる。そしてまたかき混ぜると火を止めた。
「そんなつもりで言ったんじゃ無い。ただ……沙夜は、俺でも答えてくれたんだ。」
「もう良いよ。別に。二度は無いんだろう。」
 あらかじめ煮沸消毒をして置いた瓶にジャムを入れる。結構大きめのモノでも二つは出来そうだ。パンは滅多に食べないので、あとはヨーグルトに入れたりして食べるくらいだろう。冷えたらジッパー付きの袋に入れて、粗熱を取ったら冷凍庫に入れる。そうすれば年中食べれるだろう。
「あるかもしれない。」
「……無いよ。」
「男と女なんだし、何かあるかわからないだろう。」
「無いよ。二人っきりになんか……。」
「家の中ではお前がさせないかもしれない。でも一歩外に出れば違う。」
「……。」
「かといって沙夜が担当を外れることは無いだろうな。きっとこれから新しいアルバムが出たり、ツアーに回る。レコーディングに海外へ行くこともあるだろうし、沙夜の話では海外のフェスに呼ばれているらしい。その時は、沙夜も一緒に行くだろう。」
「その時何があってもわからないと?」
「そういう事だ。」
 すると芹は瓶の蓋をぐっと閉めると、翔を見上げて言う。
「もし沙夜をレイプするようなことがあったら、沙夜が何を言っても、沙菜が止めても、俺は沙夜を連れて出ていくから。」
「……。」
「沙夜がそんな目に遭うのを見たくないんだ。」
 処女をレイプのように奪われたのだ。そんな目に二度と会わないで欲しいと思う。
 その時リビングのドアが開いた。するとそこには沙菜の姿がいた。
「ただいまぁ。何か凄い良い匂いがするね。何作ってるの?」
「お帰り。ジャムを作ってるんだ。」
「凄い。ジャムって作れるの?」
 沙菜の明るさが今はありがたい。芹は少し笑うと、沙菜に瓶を見せる。
「やった。明日パンね。」
「買ってねぇよ。明日買おうと思ってたんだけど。」
 すると沙菜は得意げに手に持っている紙袋を見せた。
「これ、スタジオの側で新しいパン屋さんが出来てさ。食パン買ってみたの。明日の朝、パンにしない?」
「良いね。そうしようか。」
 すると芹はジッパー付きのその袋の熱を見る。まだ粗熱が取れていないようだ。
「風呂にでも入ってから、冷凍庫だな。こっちは。」
 芹の様子に沙菜も少し疑問に思ったのだろう。こそっと翔に耳打ちをした。
「何かあったの?芹。」
「ちょっと俺が言いすぎてさ。」
「……。」
 すると芹は風呂場の方へ足を運ぶ。するとそのあとを沙菜が追いかけてきた。
「何だよ。」
「……手洗いうがいでしょ?」
「風呂沸かすから、お前から入れよ。」
「良いの?先で。」
「いつもそうしてるじゃん。」
 すると沙菜が手を洗いながら芹に言う。
「……ねぇ芹さ。」
「何だよ。」
「姉さんはまだここに居た方が良いと思うの。」
「何で?」
「芹一人では姉さんを守れないから。」
 沙夜が刺されて、一番辛かったのは芹だと思っていた。だが一番辛かったのは沙菜なのだろう。血を分けた双子の姉なのだから。
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