触れられない距離

神崎

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イチゴジャム

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 少し話をして、芹は帰っていく。今日は芹は休みを取っていたはずだ。だからこのままどこかへ行くのかもしれない。帽子を取ってさっぱりした格好だった芹は、きっと前とは比べものにならないほど声をかけられるだろう。それはつまり若い女性から。逆ナンパをされることもあるらしい。
 沙夜と付き合うようになってからは一切そんなことをしていないが、少し欲求不満だと思ったときにはそういう誘いについて行くこともあったらしい。だが芹に言わせるとそんなモノは排泄処理で、一人で処理をするのと変わらないのだ。
 日雇いの仕事をしていたときには付き合いで風俗へ行ったこともあるらしい。やはり客商売だなと感心していたようで、それは行為だけでは無くちゃんと客の気持ちに寄り添ってくれるような女ばかりだったからだろう。
 沙夜も経験が無いわけでは無い。沙菜にホストクラブへ行こうと誘われたこともあって実際足を運んでみたこともあるが、正直見た目だけだなと思って二度は足を踏み入れなかった。
 それも見た目だけなら翔の方がまだ綺麗な顔をしていると思う。それは好みかもしれないが、沙夜にとってはそんなモノなのだ。
 芹が持ってきた本に手を伸ばす。女衒の話で、口減らしのために田舎の農家に出向いた男が歳場も行かない女の子を遊郭に売り飛ばすのだ。その金額はまちまちだったが、生活が出来ないわけでは無い。だが懐とは反対に心はどんどんすさんでいく。
 母と子が涙の別れを惜しんでいても、どこか嘘っぽく演技だと思えた。
 だがある日。農家の一人の女の子を引き取った。薄汚く、ボサボサの髪で汚いぼろ布のような着物を着ていた。そして手足には叩かれたような跡がある。
 こんな女の子が売り物になるかと思っていた。だが売るには少し身ぎれいにしたいと、遊郭へ行く前に女の子の体を川の水で綺麗にした。するとそこから出てきたのは、真っ白い肌と青い目。まるでこの世のモノかと思うほどの美少女だったのだ。
 きっとこの女の子は高く売れる。しばらくこの仕事をしなくても良いくらい売れるだろう。遊郭でも上級の店に売れば更に自分の懐が温かくなる。そう思っていたのだが、なぜかその少女の目を見ているとそんな気になれなくなったきた。
 そのうち売りたくない。自分の手元に置いておきたい。そう思えてきた。二十も離れているような少女にどうして心を奪われたのかわからない。
 そこまで読んで沙夜は本をテーブルに置いた。そして外を見る。
 病院には迷惑をかけているのかもしれない。マスコミらしい人達がうろうろしていて、病院の外装を写真に収めようとしている。外来の患者や看護師などを捕まえては話を聞こうとしていて、病院にとっては迷惑な患者だろう。
 それでも沙夜を置いてくれているのだ。感謝をしないといけない。
 そう思っていたときだった。部屋のドアがノックされる。
「はい。」
 沙夜は声をかけると、そこからやってきたのは沙菜の姿だった。沙菜はいつも通り派手な格好だ。ミニスカートをはいているのは、もう大分暖かくなってきたからだろう。
「姉さん。大丈夫?」
「入院するほどじゃないんだけどね。」
「まぁ、姉さん働き過ぎだから、少し休んだ方が良いんじゃ無い?ほら。お土産持ってきたよ。」
 そう言って沙菜は先程まで芹が座っていた椅子に腰掛けると、白いバッグの中から本屋の包みを取り出した。
「本?」
「入院すると暇じゃん。姉さん漫画なんかは読まないし、活字が良いでしょ?これ、撮影スタッフで本の虫みたいな子が居てさ。その子から薦められた本。」
 沙菜はあまり本などを読まないのだ。だから言われたようにその本を買ってきたのだろう。包みを受け取ると、沙夜はそれを開けた。
「同じ作家の本ね。こっちは官能小説だけど。」
「え?」
 こちらは遊郭の話だった。ベースになる遊郭での殺人事件の小説があり、そのサイドストーリーが主になる。殺人事件が主なベースの話だが、こちらは遊郭で働く女性の話が主体になるのだ。つまり濡れ場と恋愛のあれこれが主体なのだ。
「この作家はこれがきっかけで本格的に官能小説を書いていたわね。」
「そうなんだ。エロ作家?」
「そうじゃないんだけどね。これなんか違うみたいよ。」
 芹が先程持ってきた本を手にする。するとそのページをパラパラと沙菜はめくり、首をかしげた。
「駄目だわ。文字が細かい。」
「あなたらしいわ。」
 眼鏡があるから見えるのだろうか。小さい頃はあまり目が悪いという話を聞いていなかったが、いつから沙夜が眼鏡をかけるようになったのか。それを思い出して沙菜ははっとした表情になる。
「姉さんさ。もしかして……。」
「何?」
 沙菜は椅子から立ち上がると、そのまま沙夜の顔に手を伸ばす。そして眼鏡に手をかけた。
「あまり度が入っていないわね。これ、かけててもあまり意味が無いんじゃ無いの?」
 すると沙夜はその眼鏡を取ると、ため息を付いた。
「眼鏡をかけていると地味に見えるでしょう?しかも黒縁。だからあの時眼鏡が落ちて、地面に落ちたけれどガラスは割れなかったのよね。」
「でもかけなくてもやれるんなら別にかけなくても……。」
 本当は沙菜がAVに出るようになって、大学でもその噂が耳に付くようになった。その当時、沙夜がインターネットに自作の音楽を公開していたのと同時くらいで、沙菜のことは更に嫉妬に拍車をかけていたのだろう。
 だから眼鏡をして、なるだけ目立たないようにしていたのだ。だがそれを沙菜に言えるわけが無い。
「地味にしていた方が、ファンにいらない恨みを買われることは無いからね。」
「「二藍」のため?」
「えぇ。そうよ。」
 沙夜はそう言ってそう誤魔化した。男五人の中に居る女性なのだ。変な噂を立てられたくないというのは沙菜でもわかる。すると沙菜はほっとしたように沙夜の方を見た。
「傷は残るの?」
「本当、傷だらけだわ。この間の手の傷もあるし……まぁ、どれもそんなに目立たないけどね。女性が付けた傷だから、そこまで深くも無かったし。あなたは今日は仕事は?」
「これから。グラビアの撮影でさ。今日はみんなバラバラみたい。夕食は各自でって芹が言ってたし。たまには外でご飯食べてくるわ。」
「そう……。」
 明日には帰れるとはいえ、冷蔵庫の食材が気になるところだ。腐るモノは無かったかと考えていると、沙菜は少し笑って沙夜に言う。
「姉さんの考えているのなんかわかる。」
「何よ。」
「冷蔵庫の中身が気になっていたんでしょう?」
「そうよ。鶏肉を解凍していたのに。」
「今日のお弁当に入ってたよ。」
「え?お弁当?」
「芹が今日は朝と昼を作ってくれてた。芹腕を上げたね。姉さんが厳しく言っていたからかな。」
 何も言わなくてもしてくれる。それが嬉しかった。それを芹が言わなかったのは、ひけらかさなかったからだ。そういう所が芹の好きなところでもある。
「味噌汁はしょっぱくなかった?」
「良い味になってたよ。姉さんさ。芹と二人で住んでも苦労しそうに無いよね。」
 その言葉に沙夜は驚いて沙菜を見る。
「え?一緒に?」
「いずれは同棲して、結婚とかするでしょ?母さんのことは置いておいてさ。」
「どうかなぁ。その前に一悶着ありそうな気がするわ。」
「そうなの?」
 やっと裕太に話が出来たのだ。それは一歩前進かもしれない。だが裕太に姿を見られたと言うことは、おそらくこれから何をしてくるかわからない。
 裕太の側に紫乃の姿があるなら尚更だろう。
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