触れられない距離

神崎

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イチゴジャム

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 目を覚ますと、もう外は暗くなっていた。脇腹に鈍い痛みが走り、手には点滴の針が刺さっている。そしてスーツでは無く緑色の病衣だった沙夜は、すぐにここが病院だとわかったようだ。
 そして横を見るとそこには芹が心配そうにこちらをのぞき込んでいる。
「芹……。」
「気がついたか。どれくらい寝てたかなぁ。」
 外を見るともう暗くなっている。ずいぶん眠っていたようだ。
「……ごめんね。また心配させてしまったわ。」
「話、聞いたよ。あの女は花岡さんを狙っていたんだな。」
「私の角度からは見えなかったけど……あれは貴理子さんだったのね。」
 ヒステリックな叫び声が似ていると思った。まだ他のファンであればまだ救いようがあっただろうに。
「また傷が増えたな。」
「そうね……。」
「でもお前は辞めないんだろう。」
「えぇ。」
 沙夜はきっと自分が傷ついたので良かったと思っている。もし「二藍」のメンバーに何かあったら大変なことになるからだ。
「でも心配させるなよ。」
「えぇ。悪かったわね。ここまで来てもらって。」
「お前のためだから、別に何とも思わない。頼りにされているって思って、嬉しい。」
 沙夜はまだ青白い顔色のまま少し笑った。そして芹は沙夜の手を握る。
「俺、一度帰ってお前の荷物を持ってくる。何かタオルとか、洗面用具がいるんだってさ。」
「入院するの?」
「しなくても良いくらいだけど、このまま出るともっと大変な目に遭うだろうからって。良い上司だよな。あいつ。少し騒ぎが収まって退院しろって。お前も少し休んだら良いんじゃ無いのか。」
「そうね。あなたも食事の用意が簡単なモノだったら出来るようになったしね。」
「二,三日は翔や沙菜に我慢してもらうよ。」
 その言葉に沙夜は芹の方を不安そうに見ていった。
「ねぇ。翔達は無事なの?」
「あぁ。誰も傷つけられてない。今まだ警察かな。事情を聞かれて居るみたいだ。まだ戻ってきてないみたいだな。」
「そう……。」
 無事だっただけで嬉しいと思った。そう思いながら沙夜は芹から手を離す。
「もう行くんでしょう?」
「あとで来るよ。その前にさ……。」
 そう言って寝ている沙夜のベッドに近づく。そして軽く唇を重ねた。
「刺されて意識が無くなる前、私はやはりあなたの名前を呼んだの。芹って……。」
「聞こえた。」
「嘘。」
 少し笑い合い、芹はそのまま荷物を持って部屋を出て行く。そしてナースステーションの看護師に声をかけた。
「あぁ、泉沙夜の病室だけどさ。」
「意識は戻りました?」
「だから、多分点滴が終わったら自分で連絡すると思うわ。俺、荷物を持ってくる。」
「あぁ、もう表の玄関は開いてないんですよ。だから後ろの救急のところから入ってくださいね。」
「あぁ。」
 芹はそう言ってエレベーターホールへ向かう。その後ろ姿を見て、看護師はどこかで見た顔だと思っていた。だが誰なのかはわからない。患者か何かだったのだろうか。そう思いながら、また仕事に戻った。

 とっくに夜は更けている。それなのにおそらくまだ翔達は解放されていない。インターネットのニュースには、貴理子の名前に「容疑者」の名前が記されている。それを見て、本格的に貴理子はもう表に出られなくなるだろう。前科があれば外国へ行くことも難しくなるだろうし、あとは地方かどこかへ行くしか無い。そこで何をするかはわからないが、コツコツチマチマと仕事なんかはしないだろう。派手な女だからだ。そんな生活をするわけが無い。
 あとは手っ取り早く脱ぐか、風俗だろう。AVは無理だ。沙菜が言ったように、ある程度の常識が無ければそういう世界にはいれないのだから。
 そう思いながら、芹は駅へ向かっていた。その時だった。改札口に一人の男が立っている。それに気がついて目を合わせないようにやり過ごそうと思った。だが男が芹に近づいてくる。
「芹。」
 その人は天草裕太だった。芹は少し戸惑いながらも、裕太の方を見る。
「何だよ。」
「雲隠れしてたのは、あの女と暮らしていたからか。」
「関係ねぇよ。話しかけるな。」
 わざと冷たい言い方をした。そして改札口を抜けようとしたとき、芹の腕が捕まれる。
「ちょっと待てよ。」
「うるさいな。俺忙しいんだよ。」
「そんなサンダル履きで何が忙しいだ。まともな仕事をしてるのか。」
「あんたらに渡す金なんかねぇよ。」
 言われる前に言った。だが裕太は少し笑って言う。
「ある程度もらえば、黙っておく。」
「何を?」
「紫乃のことだ。」
 慌てて沙夜を追ってきたのだ。おそらく恋人なのだろうと裕太は踏んだのだ。そして沙夜はおそらく何も知らない。兄の嫁に恋い焦がれていたのだ。
「それ、言っても良いよ。」
 その言葉に裕太は驚いたように芹を見た。
「は?慌てて病院に駆けつけるような関係なんだろう。その相手が兄の嫁に手を出してたなんて……。」
「知ってるから。」
 そう言われて舌打ちをした。全部知っていて芹と一緒に居るのだろうか。そこまで寛容な女なのか。
「そんなことを……。」
「言っとくけど、あんたに渡す金なんか無い。あんたの借金は自業自得だろう?俺が何でそれに渡さないといけないんだよ。」
「弟だろう。」
 すると芹はわざと大きな声で言う。
「大した兄貴だよな。弟に自分の嫁をあてがって、罪の意識を植え付けて、金を巻き上げようとするんだからな。その上自分の音楽を否定されて、八つ当たりしてんのか。」
 その言葉に周りの人達が驚いたように二人を見る。すると裕太は慌てたように芹を止めた。
「そんなことを公で言うな。」
「恥ずかしいと思ってんだったら金の無心なんかするなよ。てめぇの腕で稼げば良いじゃん。せっかく音楽してるんだろ。こけ落とすだけじゃ無くて、自分の努力くらいしたら?」
 その言葉に、裕太は少し言葉に詰まった。その言葉はどこかで聞いた言葉だと思ったからだ。そしてふと思い出す。紫乃が不機嫌そうにある雑誌に載っているライターの記事を批判していたのだ。
「何?この草壁ってヤツ。何様なの?」
 その文章を裕太が見たときも思った。回りくどい言葉を使わずに、真っ直ぐストレートに伝えるその文章は、どこかで見たと思っていたのだ。
「お前……ライターをしているのか。」
 初めてジャズバンドとしてメジャーデビューをしたとき、芹が楽屋に挨拶に来た。その時に言った言葉外までも残っている。
「勢いだけでじゃ、長続きしないよ。」
 そしてそのあとにそのバンドのことが「草壁」の手によって書かれていた。そこでもやはり「勢いだけ」と書かれていて、憤慨したのを覚えている。
「うるさいな。もう関わるなよ。」
 芹はそう言ってパスを衣取り出すと、改札口をくぐっていく。それを裕太は追おうとした。だが芹はふと振り返って言う。
「咲良にもう近づくなよ。」
「咲良に?」
「あいつに言うことを聞かないと、裸にさせるとか言ったんだろ。そんなことで咲良が言うことを聞くわけないじゃん。あいつはあいつの道を歩いてんだから。」
 そして芹は階段を降りていく。その後ろ姿は、昔の芹とは違って見えた。それが更に腹が立つ。
 あの女が全てを変えた。やはりどうにかしないといけない。裕太は焦りながら、携帯電話の着信に出た。
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