触れられない距離

神崎

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豆ご飯

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 会社に帰ってきて、沙夜は情報をまとめる。そしてその何もかもが、共通して言えるのは「一馬は真面目を絵に描いたような人で、音楽に対してストイックな人だった。そして女性関係に難があるというのは大きな誤解で、大学では恋人は一人しか居なかったはずだ。」と言うことだった。
 もしその女性が嘘をついていると言われればどうなることかわからない。鈴子のやり方を間近で見てしまったのだから。
 年寄りだろうと容赦はしない。笑いながら「出て行け」と言える人なのだ。そういう人が一番怖いだろう。
 そして一馬の書いた貰った文書をまたチェックする。そしてそれをプリントアウトすると、西藤裕太のところへ持って行った。
「部長。これが花岡さんの文書です。」
「あぁ。チェックするよ。で……裏は取れた?」
「えぇ。花岡さんは昔からあまり変わっていないようですね。ただ、みんな口をそろえて「二藍」と出会えて幸せだと。」
「そう思ってくれて嬉しいね。」
 すると沙夜も頷いた。だがおそらく鈴子のことは言わない方が良いだろう。この会社がどこと繋がっているのかはわからないが、鈴子の夫との妙な諍いはない方がいいに決まっている。
「この文書を送った上で批判をする人が出てきたらどうする?」
 すると沙夜は少し眉をひそめた。だがやることは決まっている。
「ある程度の覚悟をして貰います。根も葉もないことですから。これが全てだと信じていますし、もし批判する声が上がればこの証言をした人も嘘だと言われるでしょう。黙っていないと思います。」
 ある程度社会的に地位のある人ばかりから集めた声だ。信じない馬鹿はいないだろう。
「わかった。文書をチェックして、早速各所に送る。泉さん。明日から忙しくなりそうだね。」
「覚悟はしてました。」
「それに明後日は休みを貰っていたのに。」
「仕方ないですよ。」
 芹とでかける約束をしていた。もう新じゃがが出る季節になり、西川辰雄から収穫に来ないかと言われているばかりだったのでそこへ行こうかと思っていたのだが、それをキャンセルした。だが芹は行きたいという。一人で行くとは思えないが、やっぱり行くのだろうか。
「代わりの休みを貰ってくれるかな。それで無くても泉さんは……。」
「残業が多いんですよね。」
「その通り。」
「わかりました。都合を付けます。」
 文書を載せれば、もう一切一馬はこのことに言及しないのだという。その上で、テレビ局、ラジオ局、出版社などが呼んでくれるなら喜んでいこうというスタンスを持ったらしい。

 翔が起きると、もう大体朝食の準備は終わっている。大体が和食で、味噌汁や漬物、おひたしや卵焼きなどが食卓に並んでいる。今日は納豆もあるようだ。翔はそれを見て少し笑う。
「納豆は好きだな。」
「良かったわ。八百屋さんで少し良い納豆があると言われて買ってみたの。もし美味しいなら、また買おうかと思って。」
 明日は沙夜は休みのはずだった。だがその休みは返上になり、違う日に休みを貰うらしい。その話に芹は少し不機嫌そうだった。仕事を明日は開けていたのだろう。沙夜と二人で居れるチャンスを潰されたのだ。
「あ、ねぇ。ニュースで言われているよ。」
 テレビを付けていた沙菜が翔にそう言った。朝のニュースのエンターテイメントのコーナーで、一馬のことが言われていたのだ。
 一馬の文書は、出版社、テレビ局など各所に送られた。それが取り上げられているのだろう。
「まるで芸能人だな。」
「芸能人じゃ無い。翔もサングラスくらいした方が良いよ。ソロアルバムが出たくらいなんだから。」
 皿をな食べながら沙菜はそう言う。
「芹。お茶をついでくれないかしら。」
「あぁ。」
 芹はテレビ画面をちらっと見ながら、台所に入る。そして沙夜の隣に来た。すると沙夜は芹に小声で言った。
「来週に休みを取れそうなの。」
「ふーん。でもまたこういうことがあったら休みが潰れるだろ。」
「滅多にあることじゃないわ。その時は、ケーキを食べに行きましょう。」
「ケーキ?」
「花岡さんの奥様が勤めている洋菓子店。生菓子が春めいていて、美味しそうだったの。」
「そう言うのって期間限定だろう。早く行かないとな。」
「えぇ。だから来週。都合を付けてくれるかしら。」
「良いよ。」
 それだけで芹は口元だけで笑う。内心は嬉しかった。明日の楽しみは無くなったが、そのわくわく感は来週まで続くのだから。
 お茶を持って行くと、翔はそのニュースを見て少し笑っていた。
「一馬らしいな。」
「えぇ。真面目な文書ね。」
 大学の時は、貴理子と先輩後輩の仲だった。それ以上のことは無い。その時には恋人がいて、その人しか見ていなかった。
 そして以前のバンドを組んでいたときには恋人がいたり居なかったりした時期はあるが、妻と出会ってからはそういう事は一切無くなった。
 今は妻と子供しか見ていない。そして妻も子供も一般人であり、今後一切の取材などは出来ない。
 そんなことが書かれていた。これまで一馬の身辺を探っていたメディアも、その言葉に少し疑問を投げかけていたが、その裏付けをするように一馬の大学の時の同級生や周りの人間が証言している。もしこれが嘘だとしたら、その人間すら嘘の証言をしていることになるのだ。そんなリスクは負いたくないだろう。
 一気にネットニュースもテレビ番組も一馬を擁護するようなコメントを発している。そして苦しくなるのは貴理子の方だろう。
「この加藤さんの元奥様?」
「あぁ。」
「何か同業者みたいな雰囲気ね。」
 今は一般人であるので顔を写していないが、昔は深夜のテレビなどに出ていたこともある。たいしたことは言わないで、笑顔で胸の谷間や足を披露していたような要員で、週刊誌のグラビアなんかにも出て事があるのだろう。
「AVっぽい?」
「熟女枠で出ると人気が出そう。」
「紹介してあげたら?」
 沙夜がそう言うと、沙菜は首を横に振った。
「嫌よ。紹介してこっちのリスクを負いたくないわ。でも……まぁメーカーによっては話題だし取ることもあるかもしれないけどね。そういう人は一,二本出て終わり。」
「終わり?」
「勘違いしているから。自分は有名人だからって。」
 沙菜はそう言って、少し笑う。そういう人を何人も見てきたのだろう。その度に「痛い人だな。」と思っていたに違いない。脱いだから、セックスをしたからと言って売れるとは限らないのだ。
 その割にAVに出てしまったら、あとには戻れない。もう表舞台に立つことは出来ず、あとはストリップか風俗か、縁があれば結婚をする人もいるだろう。
「あたし、こういう女が嫌いだわ。」
 沙菜はそう言ってダイニングテーブルに近づく。テレビは付けたままの方が良い。普段は消しているが、一馬のことをどんな風に言われているのか気になるから。
「でもこれで一馬は表で堂々と歩けるわけだし、加藤さんの曲も本格的に取りかかることが出来るな。」
 翔もテーブルに近づいて椅子に座る。四人がテーブルに座ると、手を合わせた。
「「薊」ね。どういうアレンジにするつもりなのかしら。」
「二種類作るつもりだよ。」
「カラオケのようなモノは止してね。」
「わかってる。で、沙夜ならどんなアレンジにする?」
 翔は味噌汁を口に付けて、沙夜に聞いた。すると沙夜は少し箸を止めて言う。
「とりあえずベースラインはそのままかなぁ。それから栗山さんの声が引き立つようなアレンジにする。」
「ふーん。参考にするよ。」
 翔が考えているモノとは、やはり違う。ずっと思っていた。沙夜が作るモノと翔が作るモノは少し違うのだ。感覚がやはり女性と男性で全く違うのだろう。
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