触れられない距離

神崎

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豆ご飯

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 加藤啓介の葬儀から数日して、正式にトリビュートアルバムの話が沙夜の所にやってきた。十二組のアーティストの中で、「二藍」に演奏をして欲しい曲は、加藤啓介の曲の中でも少し異質な曲だったかもしれない。ロックなのに少し物静かな愛を語るような曲だった。「二藍」はどちらかというと未練がましい曲が多い。なのでどうそれをアレンジするだろうと思いながら、沙夜はその資料を見ていた。
 期間は割とあるだろう。今は新曲の打ち合わせの状態で、そのあとでしても遅くは無い。ただその場合アレンジはどうするだろう。翔に丸投げをしても良いが、そうなった場合ハードロックでのバラード曲のようになってしまうかもしれない。
「どうしようかな。」
 沙夜が言ってもいいが、ここのところ翔にアレンジのことで口出しをすると喧嘩腰になってしまう。こんなに融通の利かない男だっただろうか。そう思えてきた。
「泉さん。」
 声をかけられて、沙夜は隣の席を見る。するとそこには植村朔太郎がいた。
「どうしました。」
「こっちの方にもメッセージが来ていてね。加藤さんのこと。」
「またですか。」
 葬儀の時に柴田文昭が言っていた事は、脳天気な人が言うことだった。マスコミは貴理子のことを面白可笑しく書き立てている。加藤啓介が女癖が悪かっただの、愛人が何人も居ただの、隠し子が居ただの書き出され、妻もその息子も疲弊しているようだった。
「花岡さんは大丈夫?」
「えぇ。元々あまりプライベートを出しているわけでは無いですし、今はスタジオばかりですから。」
 遥人のようにドラマだ映画だモデルだと忙しければ、どこに居るかというのはマスコミにもわかるだろう。だが一馬はスタジオミュージシャンのような所もある。そうなればどこのスタジオにいるかなどは見当が付かないのだ。
「でもこれ以上ひどくなるようだったら、送迎をしないといけなくなるでしょうね。」
 沙夜がそう言うと、朔太郎は少し頷いた。
「本当ならそれが一番良いんだろうけどね。」
 なんせ沙夜は沙夜で手一杯なのだ。「二藍」のことであれば都合を付けるだろうが、一馬個人のことなどには手が回らない。
「すぐ飽きてくれれば良いんですが。」
「そうでも無いんじゃ無いのかな。」
「え?」
「つまりスキャンダルがあるからこそ、今度のトリビュートアルバムが売れるかもしれないというレコード会社の思惑もあって、あえて放置しているのかもしれない。」
「また迷惑な……。」
 スキャンダルの一つもあれば、興味の無い人でも手に取る可能性はあるかもしれない。だがそれは諸刃の剣だと言うことは沙夜も知っている。つまり潔癖なファンであれば、ファンを辞めるかもしれないと言うことだ。
「ところでさ、この元奥さんってのは葬儀にも乗り込んできたんだろう。」
「えぇ。ちょうど鉢合わせしまして。」
「え?本当に?」
「親族は縁を切ったと主張していましたが、奥さんはそんなことは無いの一点張りで。葬儀場からつまみ出されていました。」
「ずいぶん若い人なの?このインタビュー記事を見ると、手元しか写っていないけれど若そうな手元だと思ってさ。」
 そう言って朔太郎は電子版のウェブニュースに掲載されている記事の写真に写っている貴理子の写真を見せた。
「若かったですね。花岡さんの二,三個上くらいだと言っていましたし。」
 それにしてもどうしてこの人がそんなことを言い出したのだろう。男を作って出て行ったのに、その男から捨てられたのだろうか。
 まぁそんなことはどうでも良い。さっさとこの騒ぎが終わらないだろうか。そう思いながら、沙夜はまたパソコンの画面を見ていた。

 仕事が終わり、沙夜は電車に揺られていた。芹からのメッセージで、今日はエンドウ豆を貰ったという。貰ったというのは実家からだった。芹は実家へ数年ぶりにこの間帰ったらしい。
 その場に沙夜はいなかった。さすがにその場に沙夜が居たりしたら更に混乱させるだろうと思って、沙夜は近くで待機していた。
 芹の話によると母親は涙を流して喜んでいた。父親も芹が無事で嬉しかったのだろう。だが住んでいるところまでは教えなかった。実家は紫乃や裕太もやってくることもあるのだから、そこに芹が居ると知れば乗り込んでくるのは目に見えている。だが数人の男女と一緒に暮らしていると告げ、みんなで役割を果たしながら元気に過ごしていると知ると母親はせめてモノと食材の一つなどを芹に持たせるのだ。それが今日はエンドウ豆だったらしい。
 もう剥いてあるようなので、明日は豆ご飯をしようと思っていた。豆ご飯で一気に春が来るようだ。そう思いながら、沙夜は耳元で流れる加藤啓介の音楽に耳を傾けていた。
 そして最寄り駅に着くと、その駅のホームに降りた。豆ご飯は明日の朝から食べられる。そしてその夜まで続くのだ。とすると、夜ご飯は豆ご飯に合わせたモノが良いだろう。決して丼モノなどではいけない。
 そう思っていたときだった。
「マネージャーさん。」
 いくらマネージャーでは無いと言っても理解してくれない男が一人居る。望月旭すら、最近はやっとレコード会社の人だとわかってくれたのだが、相変わらず沙夜をマネージャーだと言い続ける男。
「お疲れ様です。天草さん。」
 やってきたのは天草裕太だった。何か用事でもあるのだろうか。
「ずいぶん難しい顔をしていたようだけど、何かあったの?」
 一緒の車両にいたのだ。だが沙夜はずっと思い込んであるような顔をしていたし、耳にはイヤホンがしていた。
「別になにもありません。」
「そう?ずっと眉間にしわを寄せていたようだけど。」
 そう言われて、沙夜は額に手を当てる。だが今はそんな顔をしているわけは無いのだ。
「今夜のおかずのことですかね。」
「一人暮らしだろうに。」
「いいえ。妹と住んでますけど。」
 芹と翔とも一緒に住んでいるとは言わない。それに妹が「日和」であることも話したことは無い。だが妹が誰かくらいはわかっているだろう。だがそれを口にされたことも無かった。
「ちゃんと自炊をしているのか。良い奥さんになれそうだね。」
 その考え方が嫌いだ。女だから結婚して料理などをしないといけないと言う決まりは無いのに、料理は女がするモノだと言われているようで嫌だ。だがそれにいちいち食ってかかっても仕方ない。
「そうですか。天草さんのところは奥様は料理が上手ですか?」
「そうだね。子供が生まれてからは、良く作ってくれる。それまではお互い忙しかったから、簡単なモノだったり買ってきたものが多かったけれどね。」
「良い奥様ですね。」
 うわべだけでそう言った。だが本当はどんな人なのかわかっている。芹を追い詰めた張本人なのだから。そして翔の家にまで追いかけてきた。それでも芹はもうばれても良いと思っているらしい。実家に立ち寄ったのが良い証拠だろう。
「お互い仕事しかしていないみたいでね。今日だって、俺の方が早く終わったから妻の実家へいって子供を引き取りに行くんだ。何か子煩悩みたいで嫌だけどね。」
「夫婦で仲が良いのは、子供にとって良い影響だと思いますよ。」
「マネージャーさんのところは仲が良くなかったの?」
「いいえ。普通ですね。ただ、もう周りは結婚している人も居るので、そう思っただけです。」
「あぁ。二十代後半だったか。」
「そうですね。」
 そう言い合いながら改札口をくぐる。もうここで別れてしまいたいと思った。それに芹が迎えに来ているかもしれない。だが裕太の方はそうでは無かった。
「ところで、この間の加藤啓介さんの葬儀には行った?」
「えぇ。」
「元奥さんって来てたの?」
「すいません。そのことは公言するなと会社から言われていまして。」
「そう言わないで。俺、口は堅い方だから。」
 嘘を言うな。裕太に言えば紫乃に知られる。それが一番怖かった。
「ゴシップ好きですね。案外。」
「そうかな。」
「知っていても知らないふりをするのが、この世界で生きるこつでしょう。そう思いませんか。」
 遠回しに話す気は無いと言っているのだ。それがわかり裕太は言葉に詰まる。
 そして行ってしまった沙夜の後ろ姿を見て、ため息を付いた。行き先はおそらく商店街の方だろう。
 携帯電話を取り出す。すると義母からのメッセージが届いていた。もうおむつの替えが無いのだと、早く連れて帰って欲しいというモノで沙夜を追いかけるのはこれで無理だろう。だが先程はプライドを傷つけられたのだ。いつか泣きを見るときが来ると思う。そう思いながら、マンションの方へ足を向けた。
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