触れられない距離

神崎

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豆ご飯

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 葬儀場の入り口で、喪服を着た女性が葬儀場の中に入ろうとして取り押さえられていた。取り押さえていたのはおそらく加藤啓介の親族だろう。
「あたしに断り無く何で葬儀なんかしてるのよ。」
「あなたはもう妻でも何でも無いでしょう。」
「そんなことは書類上の事だけよ。あの人は別れてからもずっと会ってくれていたのだから。」
 どうやらその女性が暴れたらしく、送られてきた花輪が横になっていた。それを葬儀場の人が立て直している。だがその控え室にいた人達はその音に驚いて、外に出てきた。それは一馬や沙夜も同じだったように思える。そして一馬はその女性を見たことがあった。
「貴理子さんか。」
「えぇ。そうみたいですね。」
「相変わらず激しい女だな。」
 加藤啓介は四度結婚している。一度目は今の奥さんであり、その奥さんは下積み時代の加藤啓介を支えていたらしい。売れないバンドマンを食べさせるために必死で働いていた。だがバンドで売れ出した頃、加藤啓介の側に寄ってきた女がいた。つまり寝取られたのだ。一度目の妻はその時は子供が居なかったので、ある程度の金を持たせて離婚した。しかし程なくして二番目の妻は、病に冒されてこの世を去る。その二番の妻にも子供は居なかった。そして三番目の妻は、今大騒ぎをしているこの女だった。年頃は一馬の二,三個年上。そして一馬の大学の時のジャズ研の先輩でもある。
 色気が歩いているような女で、音楽というよりも音楽をしている男が好きな女だと思う。部内でも穴兄弟が何人いるのかわからないほどだ。もちろん、その中には天草裕太もいるのだろう。口にはしないが。一馬も言い寄られたことはある。だが一馬はその当時、高校生の頃から付き合っていた女性がいて貴理子は全く相手にしていなかった。
 だが去年、加藤啓介が病に冒され、介護が必要になってきたと知るとさっさと離婚し、家を出たのだという。病人の介護をするために結婚したのでは無いと言い捨てて。そのあとその一番最初に結婚をした女性が、再婚して出来た息子を連れて啓介の元へ戻ってきたのだという。その夫は、亡くなったらしい。
 かいがいしく啓介に寄り添い、啓介もそれに報いようと出来る限り息子に音楽を教えていた。血の繋がりは無くても息子は本当の息子のように可愛がっていたと思う。
 だから息子は親族の席にいるのだ。それに誰も文句を言う人はいなかったと思う。なのに貴理子が乗り込んできて全てを邪魔していた。
「あの人は別れたくなかったのよ。あたしだけを愛していたんだから。そんな地味な女とか、血の繋がりの無い息子なんか可愛がるわけが無いでしょう。ちょっと……引っ張らないでよ。」
 口汚く罵りながら、関係者につまみ出されていた。だがマスコミが外を張っている。それに何を言うかわからないだろう。
 だがマスコミもアホでは無い。貴理子の主張だけを聞いて記事にすれば、自分たちの雑誌に謝罪文を載せる羽目になる。だがその主張を聞いて裏が取れれば話は別だろうが。そのために、一馬を始めこの場にいた人はマスコミに追われるかもしれない。
「やれやれ。台風みたいな女だ。」
 ドラムの男はそう言ってまたお茶に口を付ける。するとその場にいた葬儀場の人がその男に声をかけた。
「お茶を入れ直しましょうか。」
「あぁ。そうします。お願い出来ますか。」
「わかりました。」
 ずいぶんぬるくなってしまったのだろう。すると沙夜はそのレコード会社の男、柴田文昭という男に声をかける。
「柴田さん。これからは少し騒がしくなるかもしれませんね。特にこういう話があるなら、あの女性が乗り込んでくる可能性があります。」
「えぇ。それを会社としても危惧をしてます。」
 おそらく貴理子がここに乗り込んできたのは、自分が妻であるために加藤啓介の遺産、つまり曲の著作権料などを主張したいのだろう。つまりは金だった。
「離婚はされているのですよね。」
「えぇ。表沙汰では今の奥様と加藤が不倫をしていたと言うことで、慰謝料を持たせた上で家なんかも付けて離婚は成立しています。ですが……本当は、貴理子さんの方に不適切な関係があったとか。ですが、表向きには加藤さんの女癖の悪さが原因ですよ。」
 それは噂だけだ。真っ向から信じることは無いだろう。
「考えられなくも無いですね。貴理子さんは昔からそういう人でしたから。」
 一馬はそう言うと入れ直されたお茶にまた口を付けた。
「特に花岡さんは、気をつけた方が良いと思いますよ。」
「え?」
 沙夜は驚いて柴田を見る。
「昔から花岡さんは性に奔放だというイメージがあります。今は違うようですけど、何を書かれるのかわからないのが、マスコミですから。」
 やはり沙夜とは違って、百戦錬磨のレコード会社の社員だ。そういう事も抜かりは無い。
「変装した方が良いよ。とりあえずサングラスとか……。」
 ドラムの男がそう言うと、隣に座っていた女性が笑い出す。
「花岡さんがサングラスかけたら、本当にヤクザっぽくなるわ。またはマフィアとか。」
「あぁ、あっちのアジアの方のマフィアだな。」
 その言葉に一馬はため息を付いた。だが今の格好にサングラスをかけた自分を想像して、それも間違いでは無いかと思い直す。だがまたそれが一馬をへこませた。
「花岡さん。サングラスはともかくとしても、若干の変装は必要かもしれないわ。帽子を後で買いに行きましょう。」
「そうするか。でも帽子は苦手なんだよな。しょっちゅう忘れるし。」
「忘れないように名前でも書いておくか。」
「幼稚園に通っている息子じゃあるまいし。」
 少し笑いが起きた。そういう空気が啓介は好きだったのだ。しんみりと過去を語る葬儀よりも、笑って送り出して欲しい。きっと啓介ならそう言うだろう。

 帽子をいくつか買い、一馬はそのまま家に帰っていった。そして沙夜も会社へ戻り、雑務をこなす。喪服で仕事をしているというのが少し違和感だが、事情が事情だけに誰も何も文句を言う人はいなかった。
 パソコンをシャットダウンして、もう帰ろうと思ったときだった。西藤裕太が戻ってきた。他の部署に用事があったらしい。それを見て沙夜は立ち上がると裕太の所へ向かう。
「部長。少しお話があるんですが。」
 その言葉に裕太は少し身構えた。沙夜に男が出来たという話を聞いている。まさかその男と結婚するとか、妊娠をしたという話では無いだろうかと思っていたのだ。今沙夜がいなくなっては、「二藍」の引き継ぎが出来る人間がいない。そう思って裕太は沙夜の方へむき直す。
「どうしたの?」
「先程の加藤さんの葬儀で、加藤さんが所属するレコード会社……「Morris」ですね。そこの柴田さんという方からお話があって。」
 そう行って沙夜は名刺を取り出す。仕事の話だ。それに少しほっとした。
「柴田さんは俺も知っている人だ。俺が担当業務をしていたときに、良く顔を合わせていたな。」
「そうなんですか。でしたら話が早いかもしれませんね。」
「え?」
「加藤さんのトリビュートアルバムの話があるそうです。正式には発表はされていませんし、今後正式な文書として依頼が来るかもしれませんが。それに「二藍」が参加をしないかという話をされました。」
 すると裕太は少し考えているようだった。
「加藤さんと懇意にしていたのは一馬君だけだろう。」
「そうですね。「二藍」のデビュー前からの付き合いだとか。ですから、花岡さんが他のアーティストのバックで弾くというのであればわかるんですけど、「二藍」となるとこちらの都合もあるでしょうし。」
「レコード会社の枠を超えて、そうしたいとなるとやはり上にも聞かないといけないだろう。他のアーティストはどうだろうか。」
「乗り気だそうです。もしレコード会社が渋っても、アーティストが直談判をすると。」
「強気だねぇ。わかった。正式に文書が来て、上に伺いを立てよう。泉さんは、「二藍」のメンツに話をしてくれないか。」
「わかりました。」
「ところで……泉さんは加藤さんの音は聞いたことがある?」
 すると沙夜は少し頷いた。
「何度か耳にしたことがありますね。アルバムをがっつりと持っているわけではありませんが。」
「良い曲が沢山あるよ。でも……加藤さんらしさというのはどのアーティストがしても無理かもしれない。」
 自由に音楽を作るような人だ。それが加藤啓介の味なのだろう。
「無理に加藤さんらしい音を目指さなくても良いと思いますが。」
「まぁ……その辺はレコード会社との兼ね合いを見て、打ち合わせをしてみます。」
「それから……葬儀は変わったことは無かったかな。」
「えぇ。まぁ……。」
 沙夜はそう言って、少し微妙な表情になる。それは何かあったと言うことを表していて、啓介は食い気味に沙夜の話を聞いていた。
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