触れられない距離

神崎

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豆ご飯

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 春の雨は、まだ冷たく降り注いでいる。雨のせいで道は暗く、沙夜と一馬の着ている喪服に溶け込むようだった。道の先には明かりが付いている建物があり、その建物の先には、人混みとマスコミらしい人達が取り囲んでいる。
「マスコミは面倒だな。」
 一馬はぽつりとそう言った。だが行かないわけにはいかないだろう。
「何も答えなくても良いわ。そう言われている。」
「そうだな。話せと言われても良くわからないことも多い。」
 一馬はそう言ってその建物に近づいていく。するとやはりマスコミが一馬にカメラを向けて写真を撮り始め、テレビカメラが一馬を写している。そしてマイクを向けようとしたが、沙夜がそれを止めた。
「すいません。故人を偲びたいので、今は遠慮してください。」
 そう言って二人はその建物の中に入っていく。入り口の側には看板が立っていて、故人の名前が書いていた。そこには「加藤啓介」の名前がある。
 違和感を感じたのは一年前ほど。食事が美味しくなくなったり、歌っていても声がかすれたりしていたらしい。病院で検査をしたときには、手遅れだった。夏に歌番組に出たときにもかなり無理をしていたらしい。
 香典を渡し、包みを貰うと祭壇へ向かう。そこには加藤啓介が楽しそうにマイクを持っている姿が写真で飾られている。そしてその遺体はその前にあるらしい。
 他の人がしているように、二人は列に並ぶと焼香をして手を合わせる。一馬は感慨深いだろう。
 元々一馬はジャズのベーシストというイメージが強かった。それが「二藍」がデビューする前に出たイベントの動画を見て、加藤啓介はロックも弾けると一馬に声をかけたのだ。今までいたベーシストが病気になり弾けなくなったからだ。
 それからちょくちょくライブやレコーディングに呼ばれた。その度に一馬は全てが勉強に繋がっていたと思う。学ぶことは沢山あった。そして最後に会ったときにも「また一緒にライブをしよう」と言ってくれたのを覚えている。
 手を下ろして一礼をする。そして身内が並んでいるその列へ二人は向かった。喪主は奥さんだった。ショートカットだが着物を着ているし、化粧も慣れていないことがわかる。それでも喪主を立派に務めていると思った。
「加藤さんにはとてもお世話になりました。」
「あなたのことは主人から良く聞いていました。とても優秀だと。あなたのベースに合わせて歌うのが楽しいと。」
 隣には息子がいる。この息子はドラマーで治をずっと目標にしていた。この場にふさわしくないであろう金髪の姿だったし、一緒に住んだのも病気になってからと考えると一年ほどだったからだっただろう。だが息子はずっとお父さんと言って、加藤啓介に馴染んでいたように思えた。この息子が加藤啓介の心残りだろう。まだドラマーとしてはまだ自立していないのだから。
「どうぞ。お茶を飲んでいってください。」
「はい。そうさせていただきます。ありがとうございます。」
 別室に簡単におかしやお茶やコーヒーを振る舞っているらしい。昔であれば食事をさせるのであろうが、今はそんな時代では無いのだ。もちろん二人もそんな経験は無い。葬儀などには行ったことがあるが、大体そんなモノだろう。
 長机とパイプ椅子があり、周りを見渡すと加藤啓介の親族やレコード会社の人、一馬と同じようにスタジオミュージシャンもチラチラと見える。そして元々組んでいたバンドのメンバーの姿も見えた。バンドを組んでいたが解散してソロになったのは、特に仲が悪いからとかそういう理由では無い。確かに人気はあったバンドだが、その分そのバンドらしさというモノをリスナーからは期待される。それが嫌だったのだろう。
 同じ年頃のバンドメンバーが三人。元々五人だったが、一人はもう亡くなっているのだ。
「花岡さん。」
 声をかけられたのは同じスタジオミュージシャンだったドラムの男。最初の時から一馬とは気があっていたように思える。
「どうも。お疲れ様です。」
「こっちでお茶でも飲もうか。」
 一馬と沙夜は言われたように、そのドラムの男やキーボードを弾いていた女性やコーラスをしていた女性達の輪の中に入る。
「正月前だったか。音楽番組に出る予定にしていたんだろう。」
 すると沙夜は頷いた。
「急にキャンセルをされたとか。」
「起き上がるのも無理だったみたいでさ。最初は喉をやられて、そこから体中の色んな所にガンが転移したみたいだ。」
「そうね……やはり骨にまでガンが進行したら、もう無理だったんでしょうね。」
 すると一馬はお茶を一口飲んで、少し頷いた。
「それでも抗がん剤の治療はしなかったんだ。最後までステージに立ちたいって。」
「加藤さんらしい。」
 音楽が薄く流れている。それは加藤啓介の音楽と共に、時にはバンド時代の曲も流れている。バンドをしていたのも加藤啓介には良い思い出だったのだ。
「「二藍」はそんなことは無いのか。」
 ドラムの男から聞かれ、一馬は首を横に振った。
「まだ解散という言葉も出てませんね。どちらかというと、みんなで進化していこうという感じです。」
「それでもいつか「二藍」らしくないと言われるときが来るわ。」
 キーボードの女性の言葉に一馬は首を横に振った。
「みんな我が儘なんです。やりたいことしかして無いから。」
「それだと、ファンが付いてくるのかしら。」
 ハードロックのイメージが強い。だがクリスマスにそのイメージをガラッと変える演奏をしてみた。「二藍」らしくないという声もあったが、ほとんどは好意的な意見が多かったように思える。
「付いてくる人だけで良いと思います。幸いにも、今はそれでも聞いてくれる人が居て良かった。」
 一馬はあまり饒舌では無い。そしてその言葉も選んで話をしているようだ。「二藍」の人達と話をしている時とは違うのだろう。
 その時、その輪に一人の男がやってくる。
「どうも。お疲れ様です。」
 それは沙夜でも知っている男だった。加藤啓介の所属しているレコード会社の社員で、そのチーフ担当者で柴田文昭と言う。年頃は五十代ほどで、白髪交じりで伸ばしっぱなしの髪型にいつもは身なりに無頓着な男なのはわかる。だが流石に葬儀の時であればちゃんと髪を櫛でとかしているようだ。だがそれが返って歳よりも老けて見えるように思える。
「お疲れ様です。」
 沙夜は挨拶をすると、その男は少し笑って沙夜に言う。
「「Music Factory」さんには今度、正式に話があると思うんですけど、少しこちらで企画がありまして。」
 こんな場で、仕事の話をするのだろうか。だが沙夜はちらっと啓介がライブをしている画像を見る。楽しそうにしている啓介なので、きっとしんみりと故人を偲ぶような真似をされたくないと思っているだろう。前に進むように仕事の話をするのは、啓介の意思でもあるかもしれない。
「はい。どうしました。」
「トリビュートアルバムの話があるんですよ。加藤の。」
「トリビュート?」
「えぇ。加藤のバンド時代の曲、ソロになってからの曲などを他のアーティストがカバーをして、一枚のアルバムにしようと。そこでコメントも載せようかと思いまして。」
 いい話だと思う。そうすれば、コメントを発表しなくてもファンには意思が伝わるだろうから。
「いい話ですね。」
「えぇ。その中に「二藍」さんを入れられないかと。」
「え……。」
 がっつりと関わっていたのは一馬だけだ。他のメンバーはそこまで繋がりがあるわけでは無い。一馬が個人的に他のアーティストのバックでベースを弾くのであれば、話はわかるが「二藍」としてはどうなのだろう。
「……少しメンバーと話をしてからでも良いですか。」
「お願いします。あぁ、これ、俺の名刺です。」
「頂戴いたします。ではこちらの名刺も。」
 そう行って沙夜はバッグの中から名刺入れをとりだして、男に手渡した。その時だった。
 外から大きな物音がして、その場にいた人がざわついた。
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