触れられない距離

神崎

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水炊き

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 高校に入った時点で咲良は、英語に特化したような資格を受けていた。だから担任からも、外国語大学へ行くといいという話をしていたが咲良はそれを拒否して美容師の道を行くという。そして外国へ行って、ヘアメイクの勉強をしたいのだ。だから語学はずっと勉強をしていたらしい。
 おかげで映画を観るときも字幕が無くても何となく言っていることがわかるし、外国のモノばかりを見たり聴いたりしていたようだ。
「そこまでして外国ねぇ。そう言えば、一馬も外国に呼ばれることはあるよな。俺は今度初めてだけど。」
 純はそう言うと一馬は頷いた。外国のプロデューサーに合わせて、外国でレコーディングをしたのがきっかけだった。その時に他のプロデューサーから声がかかり、違うアーティストのレコーディングをした。それを聞きつけた他のプロデューサーが一馬にまた声をかけて、時には外国へ行くこともある。本来なら、そのまま外国のレコード会社に籍を置いたりするのだろう。だが一馬はこの国にまだいる。
「どうしてそのまま外国にいなかったんですか?」
 咲良はそう聞くと、一馬は少し笑って言う。
「飯がまずくてな。」
「え?」
 そんな理由なのだろうか。食事なんかはどうにでもなるのだろうに、自分の実力が試せるのとスキルアップに繋がるとは思えなかったのだろうか。
「何でも大きければ良いというモノでは無い。コーヒーなんかバケツ一杯あるかと言うくらい大きなコーヒーでもらえるが、味も素っ気も無い。そんなモノしか無いところだからな。」
「あっちでもこっちの食材とかあるだろう?」
 治がそう聞くと、一馬は首を横に振る。
「冗談みたいな寿司が出てくるような店ばかりだ。あっちではウケているのかもしれないが、やはり俺はこっちにいたかった。それに奥さんもいるし、子供もいるから。」
 一番の理由はそれなのだろう。奥さんと子供を巻き込んで外国へ行きたくないと思っていたのだ。奥さんは驚くほど美味しいコーヒーを淹れることが出来るバリスタだが、あっちの国でのコーヒーはまた違う。受け入れられるとは思えなかったらしい。
「やっぱ、一馬は奥さん思いだよな。」
 治がそう言うと、一馬は首を横に振る。
「苦労して手に入れたんだ。離したくは無い。それに……あっちの方代わりと露骨だな。」
「露骨?」
「トップで居続けるアーティストやバンドというのは一握りで、入れ替わりは激しい。リスナーが飽きると言うことも考えられるが、それでも殿堂入りしたりトップに君臨するアーティストは、それなりにリスクを抱えている。」
 こちらよりもマスコミの取材は露骨なのだ。針の隙間を付くような報道をして、トップから転げ落ちるアーティストも沢山いるのだろう。
「そう言えば最近ニュースで見たよ。ジェニファーって歌手がいるじゃん。」
 遥人がそう言うと咲良は頷いた。こういう歌手が好きなのだ。
「パフォーマンスも歌も凄い上手で、あたし好きですよ。でも最近、何かおかしいですよね。」
 薬の噂もある。確かに最近の映像を見ると、目が異様にギラギラしていてそれを疑われてもおかしくない。
「マスコミが騒いでいたんだ。元恋人がベッドでのこととか、私生活を暴露したんだ。性癖は何かとか、何人目の恋人だとか。堕胎もしているとか。」
「そんなの必要なんですか?」
 音楽と私生活は別だと思っていた咲良にとっては、不思議だったと思う。だがあちらの国では、そういう事を暴露してゴシップ誌は部数を上げようと必死なのだ。
「必要なんだよ。そうしないと、自分が上がれないだろう。」
「あ……。」
 治の言葉で、咲良は言葉に詰まった。その元ネタは同業者からのたれ込みだと言うことに気がついたのだろう。
「人を押しのけて、自分が上がろうとするのが露骨なんだろうな。だから入れ替わりが激しい。そうやってのし上がったヤツが、ずっと頂点に居られるわけが無いんだから。」
 その言葉を沙夜は少し天草裕太を思い出していた。露骨に「二藍」を引き下ろそうとしている。自分の実力を棚に上げて。だから翔のステージに火を付けたりしたのだ。それが無理だと思ったからか、今度は翔のソロアルバムに参加をしたいと言い出したのだ。すり寄ろうとしていたのか、それとも何か策を考えていたのかはわからない。
「俺が外国に籍を置かなかったのは、奥さんや子供だけの問題じゃ無い。そう言うところがあるから嫌だったんだ。」
 一馬ははっきりした両親がいるわけでは無く、今の両親は養父母になるのだ。実の両親ははっきりしない。父親に至ってはヤクザかもしれないのだ。それを暴かれ、責められるのが嫌だったのだろう。
「そっか……前に言ってたな。両親がはっきりしないって。」
「母親は死んでいる。それだけはわかっているが。」
「……。」
 咲良は不安そうにその話を聞いていた。すると沙菜が声をかける。
「でも咲良ちゃんは芸能人になりたいわけじゃ無いんでしょう?」
「そうですけど。」
「だったら別に外国へ行っても……。」
「甘いよ。」
 治がそう言うと沙菜は口を尖らせる。
「何で?」
「見えないところの方が危ないんだよ。足を引っ張ってさ。」
「……。」
「俺の知り合いだって外国へ行って画家になるって言ってたけど、すげぇボロボロになって帰ってきたんだよ。」
「ボロボロ?」
 外国へ行ったその女は、強制送還でこの国に帰ってきた。その時の様子を良く覚えている。ぼろ布のような服を着ていて腕には入れ墨があった。そして小汚い売春宿にいたのだという。
「マフィアに因縁を付けられて、そのまま売られたんだ。一日中客を相手にしないと消えないくらいの借金を抱えさせてさ。そのままこの国に帰ってきたら、病院に入ったよ。」
 違う国ではこの国では違法になっているモノも、合法になっていたりするのだ。だからその女性は薬を抜くための治療をしていたのだという。だが三ヶ月もしないうちに、その女性は自殺をした。売春宿にいた期間はそこまで長い期間では無い。だがその記憶が、女性を苦しめていたのだ。
「俺、咲良ちゃんが外国へ行くってのはあまり賛成しないね。親御さんは何か言っているの?」
「……まずは美容師の免許を取ってからって言ってます。だからとりあえず美容学校へ行ってから……。」
「何年?」
「二年です。」
「その間に気が変わると思っているのかな。」
 すると咲良は首を横に振る。
「外国へ行かないにしても、この土地は離れた方が良いっていわれてます。あの……こんなことを言っていいのかわからないけど……。」
 ちらっと咲良は芹の方を見る。すると芹はため息を付いて言った。
「紫乃さんが何か言ってきているのか?」
「紫乃?」
「兄嫁だよ。」
 すると翔は驚いたように芹を見る。まさかそれを口にするとは思っていなかったからだ。そしてちらっと沙夜を見る。すると沙夜は冷静に酒を口にしているように見えるが、その指先が震えている。おそらく沙夜は全て知っていたのだろう。
「あれ?芹ってお兄さんいたの?」
 沙菜がそう聞くと、芹は頷いた。
「いるよ。今はミュージシャンだな。」
「……もしかして……。」
 遥人は驚いたように芹を見る。そう言えば髪を切ってどこか誰かに似ていると思っていた。だが誰だったのかわからなかったのだが、やっと思い出した。
「天草裕太?」
 すると芹は頷いた。その名前に一馬もため息を付く。真実を言ったからだろう。
「そう言えば似てるな。何だ。有名人の弟と妹かよ。」
 純がそう言うと咲良は首を横に振って言う。
「裕太兄さんとは関わりたくないんです。ごめんなさい。あまり言いたくない。」
 あまり良好な兄弟関係では無いのだろう。
「でも咲良。紫乃さんから何か言われたんだろう。それを相談しに来たんじゃ無いのか。お前がいきなり連絡してくると思えなかったから。」
 すると咲良は少し頷いた。そして周りを見る。おそらく芹は自分から天草裕太の弟であるなんて事は言いたくなかったはずだ。なのにそれを口にしたのだから、この人達には芹も信頼を置いているのはわかる。だから咲良もそれを口にした。
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