触れられない距離

神崎

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水炊き

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 蓋を開けるとふわっと湯気が立ち、野菜や鶏肉、それに肉団子が顔を見せる。それを見て咲良はキラキラして目で見ていた。
「美味しそう。」
「本当。美味そうだな。」
 翔がとんすいを配る。中にはポン酢が入ったモノとごまだれが入ったモノの二種類あり、どちらも手作りだった。
「味が薄くなったら言ってね。それから好みで一味を入れても美味しいから。」
「俺、入れよう。」
 純はそう言って一味を手にする。
「俺もくれよ。」
 そう言って芹もそれを手にしようとした。だがそれが止まる。
「どうしたの?芹兄さん、辛いの好きじゃん。」
 芹はテーブルに一味を置くと、首を横に振る。
「とりあえず味を見てからにするかと思ってさ。」
 割と沙夜の作るモノはそのままでも美味しい。家にいたときには醤油やソースをかけて自分なりに味のカスタマイズをしていた。だが沙夜が作ったモノはあまり物足りないと思ったことが無い。
「変わったねぇ。芹兄さん。母さんからいつも何を食べているんだって言われてたのに。」
「そうなの?」
 沙夜も席に着く。隣には咲良がいて、その隣に芹。そしてその隣には沙菜がいる。沙夜のもう片方の向かいには翔が居た。芹との距離が離れている気がする。
 だがその距離は、咲良の誤解を咲良に深めているようだ。つまり、翔の側にいたいから沙夜はその向かいに座っていて、芹の側に沙菜がいる。このカップル達がこの家に住んでいるのだと思っていたのだから。
「あら。ごまだれも美味しいわね。」
 沙夜がそう言って白菜に付けたごまだれを口にして言う。
「だろう?ポン酢も良いけど、余所から来たお客様なんかは、ごまだれが美味しいって人も多かったから。」
「それ以前に鶏肉が美味いな。これ。スーパーの鶏肉みたいな感じじゃ無い。」
 純はそう言って肉を口にしていた。
「何か高級な料亭とかの鶏肉みたいな感じ。」
 遥人が言うと、沙夜は少し笑って言う。
「さすが、良いところのお坊ちゃまね。料亭なんかに行ったことがあるの?」
「さすがにいつもじゃ無いよ。兄が大学に受かったとか、俺がアイドルのデビューが決まったときとかだけ。」
 芸能人一家なのでそういう所によく言っていると思われがちだが、実際はあまり無い。父親単体でとか、母親単体で、というのは良くあったようだが、一家揃ってとなると厳しいのだ。
 それにあまり派手に動くと、マスコミがあそこの家はいつも豪遊していると記事になることも多い。だが遥人自身は、あまり一家で外食などはしたことは無い。ほとんど家で母親なり、お手伝いさんが作った食事をいつも口にしていた。だがそれもどこから来たのかわからないような贈り物の中のモノを料理していたように思える。だから遥人は割としたが肥えているのだ。
 それでもこういう料理が好きだった。特別に高級な食材を使っているわけでも無いし、手が込んでいるわけでも無い。それでも美味しいと思える。
「アイドルをしていたんですか?」
 咲良がそう聞くと、遥人は少し頷いて言った。
「昔だよ。アイドルグループにいてさ。」
「あぁ言うの、凄いクラスの女の子が好きなんですよね。でも「○○君がぁ」とか言ってるの見ると、何か腹が立つんですよ。あたし。」
「え?」
 普通の高校生くらいの女の子なら、そんな話題を言うだろう。それが普通だと思っていたから。
「何で?」
 治がそう聞くと、咲良は少し笑って言う。
「○○君って言っても、あたし達よりもずいぶん年上ですよね。人気があるグループの人の一番年下でも二十歳とか。」
「あぁ。それくらいかな。」
 もっと若いグループもあるが、確かに今一番勢いがあるのはそれくらいの年齢だろう。
「年上ですし、君付けって言うのがどうも抵抗があって。」
 だから咲良はずっと敬語だったのだろう。すると遥人は少し笑って言う。
「俺、アイドルの事務所にいたときには年上だからって敬語禁止って言われてたんだ。」
「え?」
「それから先輩でも君付けが基本。そうじゃないともしグループを組まれたときに、壁が出来るからって言ってた。」
 そう言い出したのは社長だった。そして社長はみんなに愛されていたように思える。それでも周りのマスコミは、それを嫌な風にしか取らない。アイドルとしてデビューをした人はみんなその社長と寝ているとか、そんなことを噂されているのだ。
「そんな噂があるのは知っているよ。でも遥人って、女が好きだよな。」
 治はそう言うと、遥人は頷いた。
「社長は結婚してるよ。表には出てないけど、子供もいる。海外にいるって言ってたかな。」
「そんなことを言っていいのか?」
「良いよ。お前らだから外に漏れないと思ってるし……。」
 しかし芹は違う。この間芹の口から聞いたのだ。ライターである「草壁」だと言うこと。フリーライターの怖いのは、金のためにネタを何でも探ろうとするところなのだ。
「書かねぇよ。そんなこと。」
 遥人の気持ちを察したように芹はそう言うと、遥人はほっとしたようにまた野菜を口に入れる。
「大体、俺、アイドルとかは書かねぇし。何を歌っても同じじゃ無いか。あいつら。曲自体も薄っぺらくてさ。ダンスの切れだけだろ。」
 すると咲良も頷いた。
「言える。海外の「Millennium」ほど音楽にこだわりがあるみたいじゃ無いし、かといってダンスグループに比べると切れが悪いわ。」
 咲良もまた音楽に厳しいのだろう。その辺は兄弟揃ってなのだ。
「咲良さん。」
 ずっと黙っていた一馬が口を開いた。すると咲良は向かいに座っている一馬を見る。正直、咲良は少し一馬が怖いと思っていた。長髪で、背が高く、がたいが良い。それに少し強面なのだ。体が小さい皿に取っては少し、驚異なのだろう。
「どうしました。」
「アイドルはそこまで捨てたモノじゃ無い。俺はな。このバンドに入るまで……まぁ今でもすることはあるが、アイドルのライブや音楽番組なんかのバックで弾いていたことがあるんだ。」
「へぇ……。」
「奴らはただ笑顔で歌って踊っているだけじゃ無い。自分に何があろうとも、夢を与えられる存在であろうと思っている。」
 昔、アイドルのコンサートのバックで弾いたときだった。その控え室から怒鳴り声がしたのを覚えている。何事か、仲間割れかと思っていたが事情は違ったようだ。
「次の日に知ったが、そのアイドルグループのうちのメンバーの一人の親が、ライブの前に交通事故に遭って意識不明の重体になったらしい。」
「え……それって一刻でも早く駆けつけたいって思わないんですか。」
「本当ならそうだろう。ライブの前に知らされて、あの男に病院へ行けとメンバーが説得していたらしい。だがそのコンサートには二,三千人のファンが、奴らを待っているんだ。それを捨てて母親の所へ行きたくないとあいつは言っていた。それに母親もそれを望んでいないと思うと。」
「……。」
 脳天気な集団だと思った。内容の無い歌詞に、軽い音楽に合わせて、踊って歌っているだけだと思った。だが実状は違うらしい。
「そうなんだ……。」
 遥人はその話を聞いてあのメンバーかと思っていた。あの男は、結局ライブをやり遂げてその足で病院へ駆けつけたのだ。幸いにも母親は持ち直し、今は後遺症が少しあるモノの普通の生活をしているらしい。
 一馬はビールを口にすると、咲良に言う。
「何の仕事でも楽をしている仕事は無い。あんたも美容師になりたいんだったら、それなりに覚悟を決めないといけない。尚且つ……海外へ行きたいんだろう。」
「えぇ。そうです。」
「海外は厳しいと思うが。」
「どうしてですか?」
 ムキになったように咲良が言うと、一馬は咲良を見下ろして言う。
「この国の人は割と曖昧で通じるところがある。言わなくても感じてくれることとか、汲み取ることが出来る。だがそういうのはあっちでは通用しない。黒、白、これしか無いから。」
「……。」
「まずは語学留学をしてみたらどうだろうか。」
 一馬はそう言うと、また鍋の具に箸を付けた。
「そうだな。咲良。そうしてみたら良いかもしれないな。お前が行きたかった……。」
 芹もそう言うと、咲良は首を横に振る。
「言葉なら勉強しているわ。大丈夫だもん。」
「咲良。」
 ここまで聞き分けが無かっただろうか。芹は複雑そうに咲良を見た。
「あたし……二十歳までに海外へ行きたいの。そこで美容師になりたい。それに……家を離れたいから。」
 その言葉に芹は驚いたように咲良を見る。そしてため息を付いた。家を出たいというのは、おそらく別の理由があるからだ。
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