触れられない距離

神崎

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水炊き

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 出版社を出ると、翔はマフラーを巻こうとして辞めた。もう昼間はそこまで寒くなかったからだ。そのマフラーは、この間遥人から教えて貰った店で買ったもので、手軽な価格の割と品が良いと思う。それに手触りも良い。温かければ何でもいいと思っていたが、やはり良いモノはそれなりの品質なのだろう。
 インタビューは良かったと思う。隙があればプライベートのことを聞きたいと躍起になっているようなインタビュアーでは無く、純粋に音楽のことを聞かれていたから。つまりサンプルで配られている完成したCDのことだ。そういうモノが良かったのかもしれない。
「翔。」
 後ろから声をかけられて翔は振り返る。そこには芹の姿があった。
「芹。仕事か。」
「打ち合わせ。本格的に新しい仕事をするのにさ。」
 ライターの「草壁」として活躍しているのは、あの南の土地にいたときに聞いた。芹の仕事のことを何も把握していなかったが、まさか「草壁」だとは思っても無かった。それは翔にとっても寝耳に水のことだったのかもしれない。
「どんな仕事なんだ。」
「んー……死んだ歌手とかギタリストとかのことを書いて欲しいんだって。ちょっと世の中のイメージでは神格化しているような。それを別の切り口で書いて欲しいってことかな。」
「外に出ることが多くなりそうだな。そういうモノだったら。」
「良いよ。別にもう。引きこもる気も無いし。」
 芹は変わった気がする。外に出るのはおっくうだと、あの部屋に閉じこもり気味だったのに、もう今は何も無かったように外に出掛けることも多くなった。それはおそらく沙夜の影響なのだろう。
 沙夜は休みと言ってもあまり家に閉じこもっていない。どこへ行くのかというのはあまり口にしないが、帰ってくれば一つ二つとお土産を持っている。そのお土産で海へ行った、山へ行ったとわかるのだ。
「飯でも食べないか。持ってきているんだろう。」
「あぁ。どっかで食おうと思ってた。」
「そこに公園があるから、そこの東屋か何かで良いか。」
 だが芹は首を横に振る。この辺は一度沙夜と来たことがあるが、その時紫乃とで詳しそうになったのだ。出来ればこの辺は避けたいところだ。
「別のところが良い。」
「でも食べ物を持ち込めるような所ってあるかなぁ。」
「翔、このあとなんかあるの?」
「ジムに行こうと思ってさ。」
「おっ。ついに行くようにしたのか。」
 一馬から勧められたジムだった。その前に少しずつ自分なりに運動はしていたが、やはり一度目のジムはかなり疲れたし、次の日は腕が上がらなかった。それも二,三回すれば痛みはだんだん無くなっていくと一馬は言っていたが、いつになるかはわからない。
「お前も運動するか。」
「俺、ちゃんとしてんだよ。」
 ジムなんかに行かなくても、芹は割と体を動かしている。それにあまり食事をしないのだ。太る要素が無い。
「だったら駅で良いか。」
「良いよ。待合室とかでお茶でも買おう。」
 そういいながら翔は芹と共に駅の方へ向かう。その間も芹の方を見ると、やはり少し前よりもこざっぱりして綺麗になっている。それは沙夜の影響なのだろう。そう思うと少し腹が立ちそうだ。
 駅の待合室について、翔はそのままお茶を買う。そして芹に渡すと、ベンチで芹の隣に座った。
「翔はインタビューだって言ってたっけ。」
「うん。CDが出るし、今のうちにPRしておかないといけないから。」
「そうだったな。良かったよ。あのCD。あの歌を売ったっているヤツは売れそうだな。でもあれだけ歌えるのに、何で今まで出てなかったんだろうな。」
 すると翔は弁当を開けて、スプーンを手にすると芹に言う。
「大澤な。多分、プロデビューすると思えないんだよ。」
「何で?」
「あいつ、声楽もしたいらしくてさ。」
 確かに今までずっとバックコーラスやサンプルなんかを歌っていたはずだ。だがそれと同時にオペラのコーラスや合唱なんかをしている。つまり大澤帯人は、どちらかに絞れなかったのが今まで芽が出なかった理由なのだろう。
「遥人なんかもドラマに出たり映画に出たりして役者をしてたりするし、モデルなんかもすることもある。でも「二藍」が基本だってのは変わってないらしいんだ。だからどちらもやりたいってのはよっぽど器用じゃ無いと出来ないから。」
「で。そいつは声楽をしたいと。」
「みたいだ。俺のアルバムで歌ってはくれたけど、これっきりにして欲しいと言われているし。あまり世に出ると、声楽の世界でも「ポップスを歌っている」と思われて声がかからなくなることもあるから。」
 だが帯人には家庭がある。その辺を考えると、自分の好きなことだけを突き詰めるのは多少のリスクがあるだろう。だったら食べれるポップスを歌った方がまだ可能性としては高い。
「ふーん。難しいな。それ。」
「そうかな。普通の会社員なんか、自分の好きなことをしている人ってのはほとんど居ないんじゃ無いのか。」
 自分はそれが出来なかったのだ。円滑な人間関係も作れなかったのに、自分が社会に適合していないのでは無いかと、一時は自分を責めたこともある。だが違った。手を差し伸べてくれた三倉奈々子に今は感謝しか無い。
「沙夜は売り出したいみたいだけどな。」
 芹はそういうと、翔はスプーンを止めた。その口調が、沙夜が何でも自分に話をしているといわれているように感じたから。
「あ……悪い。」
 芹はそういってすぐに謝った。すると翔が首を横に振る。
「いいや。俺も敏感になりすぎたんだ。」
 吹っ切れよう。そう思っていたのに、まだ沙夜の顔を見ると好きだと思うし、キスをまたしたいと思う。あのホテルでの一室をリアルにまだ思い出すから。
「翔さ。やっぱ苦しいんじゃ無いのか。俺だけでもあの部屋出ても良いんだけど。」
 すると翔は首を横に振る。
「無理はしてない。俺、いくつだと思ってるんだ。失恋くらい何度も経験しているんだから。」
「ふーん。強気だよな。」
 そういって芹はまたドライカレーに口を付ける。だが翔はずっと思っていた。いつか、芹の側から沙夜が自分の所に来ないだろうかと。嫌がらずに素直に、翔を求めて欲しいと思う。
「そう言えばさ。」
「ん?」
「芹は兄が居るよな。」
 すると芹のスプーンが止まった。だがそれは一瞬ですぐに翔に反論する。
「翔も弟が居るよな。いつか言ってたわ。沙菜が凄い自分勝手なセックスする男だって。」
「そんなことまで沙菜に言っているのか。」
「別に普通だろ。それも頼まれたみたいだったし。」
「頼まれ?」
「あぁいう女優ってのは足の引っ張り合いが露骨なんだろ。誰でも従順にさせるような男を一人くらいキープして、芽が出そうな女優を薬漬けにしてこの世界から下ろそうとするような。」
「……慎吾がそんなことを?」
 薬などはしていないと思っていたが、まさかそういう事も手を出しているとなると、少し話が違ってくる。
「まぁ、俺の勝手な想像だけど。昔のパンクロッカーみたいだよな。」
 話をすり替えられた。そう思って翔はまた話を戻す。
「兄は天草裕太だろう。」
 すると芹はスプーンを置いてお茶を口に入れる。やはり言わないといけないのだろう。
「あぁ。そうだよ。」
「……探していると言っていた。芹のことを。行方不明になっているって話だけど。」
「会えば金をせびられるから、会いたくないだけ。実家にも借金があって、帰る度に金、金言ってるみたいだし。」
「そんなに?」
「そもそも、その金があるから実家に負担をかけさせたくなくて、バイトのつもりでライターを始めたんだよ。そしたらその金目当てに近寄ってきてさ。」
「……。」
「だから会いたくなかっただけ。」
 すると翔はその言葉に首を横に振った。
「でもいずれは解決させないといけないだろう。」
「何で?」
「もし沙夜を嫁に貰いたいとか思っているなら、尚更だ。家と家の繋がりが本人タチだけで成り立つと思うなよ。」
 それで大変な目に遭っている人が居る。それは一馬だった。一馬の嫁は、実家に帰りたがらないらしい。孫の顔一つ店に帰らないのは、実家の母も嫁も意地になっているからだろう。
 沙夜も家に帰りたがらない。それに芹も家に帰れない。なのに結婚したいというのは、何も考えていないことだと思う。そんな男に沙夜を渡したくなかった。
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