触れられない距離

神崎

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 まさか遥人からその言葉が出てくると思ってなかった。そしてそれを言うべきなのか沙夜は少し迷っていた。芹が「草壁」なのは、翔も知らない。翔は芹が「渡摩季」であることは知っているが、ライターのことは話したことは無いだろう。
 それもそうだ。芹は涼しい顔をして「草壁」という名前を使いながら、「二藍」のことも記事にしていたのだから。もっとも「二藍」の批評は良くも無く悪くも無くと言ったところだった。
「翔は知らないっていってたけど、沙夜さんは知っているんじゃ無いのか。」
「どうして私が知っていると思うの?」
 携帯電話を膝の上に置き、沙夜は遥人に聞く。
「親しそうだったから。」
 その言葉に沙夜は不機嫌そうに遥人に言った。
「嫌な言い方ね。「二藍」だけでは無くて、芹にも親しいような言い方だわ。ただの同居人なのに。」
「それだけじゃ言わないよ。俺らとだって二人で仕事へ行くこともあるだろう。」
「そうね。」
「……「草壁」って言うライターじゃ無いかって思ってるんだ。俺は。」
 当たっている。そう思って沙夜は翔の方を見た。すると翔は何も気がついていなかったのだろう。オロオロしながら沙夜を見ていた。
「辛口のライターだよな。「JACK-O'ーLANTERN」が解散したのも、あのライターが厳しく批評したって聞いたし、それに……「紅花」も相当厳しいことを書かれていたよ。」
 治がそういうと、純も頷いた。
「でも当たっている。聴く耳が確かなんだろう。」
 一馬もそういって酒のリストに目を落とした。もうビールが無くなってしまったからだろう。焼酎に移りたいと思っていたのだ。
「一馬はあまり批評とかは気にならないのか。」
 純がそう聞くと、一馬は頷いた。
「音楽は合う合わないというのは確実にある。全ての人に認められようというのはエゴだと思うから。ただ音楽を選ぶときの参考にはなると思う。」
「……。」
「その言葉だけで手に取ってもらえるか取られないか。その影響は確実にあるが、その「草壁」という人物は確かな耳と、はっきりした批評が好まれているんだろう。それが芹さんだというのであれば、あぁやっぱりかと思うくらいだ。だからといって芹さんに対する対応が悪くなったり、持ち上げたりする必要は無い。」
「ふーん。芹さんはともかくとしてもさ、ネットのレビューとかは気にならないか。」
「それは更に気にならない。あれはただの素人が書いているだけだ。」
 バッサリと言い切って、料理を運んできた店員に焼酎を頼んでいた。すると沙夜も同じモノと頼む。沙夜ももうビールが無くなってしまったからだ。
「一馬は大人だよな。翔と同じ歳の割に。俺の方がオロオロしちゃったよ。」
 純はそういって減らないビールに口を付けた。飲みやすいとは行っても所詮ビールだし、あまりアルコールに強い方では無いからだろう。
「純は気になるのか?」
 治がそう聞くと、純は頷く。
「俺、エゴサーチとかしちゃうタイプでさ。耳の良いやつなんか、あそこでミスをしたってわかってるんだよなぁ。その度にへこむ。」
「辞めとけ。辞めとけ。」
 治がそういうと、翔の方を見る。翔が一番そういう事をしてそうだったからだ。それに何より翔は芹と一緒に住んでいる割には、そういう事は全く知らなかったのだ。ショックかもしれない。
「あのさ。翔。」
「……ん?」
「なんで芹さんのことを知らなかったんだ。」
 すると翔は驚いたように治に言う。
「まだ沙夜は何も言ってないよ。その「草壁」って人が芹だったとも何も言っていないのに。何でみんなはそんなに早とちりしているんだろうって思ってた。」
 その言葉に沙夜は少し笑う。確かにそうだ。先走るにもほどがある。
「沙夜さん。本当はどうなんだ。」
「ごめん。それは私には答えを言えない。たとえ芹が「草壁」だとしても、それは会社と個人で契約していることだと思う。その条件を私は知らない。と言うことは「Music Factory」は関わっていない。または私に知らされていないことだと思うの。それを安易に「そうかも知れない」なんて事は私には言えないから。」
 すると治は納得したように頷いた。
「そうだったな。悪い。沙夜さんを責めるようなことを言って。」
 遥人はそういって沙夜に頭を下げる。すると沙夜は手を振って遥人に言う。
「嫌……。頭なんか下げないで。」
「俺も少し……先走ってさ。この間の仕事でそういう話を聞いて、俺もそうかも知れないって思っただけだし。」
「仕事?」
「モデルの仕事。」
 珍しい仕事だったと思う。文学雑誌の表紙と、中のインタビューの仕事だった。普段どんな本を読んでいるかとか、どんなジャンルが好きかなどが聞かれ、遥人も本は嫌いではないので素直に答えていたという。
「その現場でさ。帰ろうとしたときに、ちょっと話が聞こえてきてさ。」
 そもそも遥人がその現場に呼ばれたのは、元「JACK-O'-LANTERN」のサリーこと紗理那の都合が悪くなったからだった。紗理那はそれに文句を言っていたらしい。
「「草壁」というライターが「JACK-O'-LANTERN」の批判をずいぶんしていたらしい。長続きしないとか、すぐに解散するとか。音楽的にもボーカルだけが置いてけぼりになっているとか。」
 前に奈々子が言っていたことだ。おそらく芹も同じことを思ったのだろう。
「それでその「草壁」って誰なんだってずいぶん調べたら、ライブ会場なんかによく見る顔があって、それが芹さんじゃ無いかって言ってたよ。」
「……。」
 だとしたら、芹は大分顔が割れていることになる。インターネットなどで顔がばれるのも時間の問題かもしれない。
「しかし、それだけで芹さんを疑うのもなぁ。そもそも芹さんがただの音楽好きだったらどうするんだ。」
 治が言うのもわからないでも無い。
「芹が音楽好きってのはわからないな。」
 翔がそういうと、沙夜の方を見る。
「そうかしら。部屋にはヘッドホンがあったりするから、音楽を聴いているのかと思ってたわ。」
「いいや。あれはライターとしての仕事を録音して書き起こすためのモノだろう?音楽は聴いてるのかな。「二藍」のことも聞いたことは無いし。」
 まさかここまで疑っていないとは思ってなかった。沙夜は少し驚いて、翔の方を見る。
「……マジで言ってる?」
 沙夜の座っている膝のあたりから声がして、翔は驚いてその下を見る。すると沙夜の携帯電話が起動していた。そしてその画面は、通話の画面になっているようだった。つまり誰かにこの会話を聞かせていたのだろう。そしてその相手は安易に想像出来る。芹なのだ。
「芹?」
 すると沙夜は携帯電話をテーブルに置く。その画面には芹の名前とスピーカーという文字がある。
「芹さん?」
「最初から聞いていたのか。」
 すると沙夜は口を押さえて、五人に言う。
「ごめんね。やっぱり他人のことだし、本人が居ないところであぁだこうだ言うのは、ちょっと気が引けてね。」
 沙夜らしい選択だと思った。すると芹が声を上げる。
「俺、「草壁」って言うんだよ。ライターの時の名前。」
 その言葉に遥人は驚いていた。
「芹。それ……言って良いの?」
 沙夜はそう聞くと、芹は少し黙ったあとに口を開く。
「石森さんには許可をもらってる。」
「……石森さんって、あの年末に来ていた編集長?」
 翔がそう聞くと、芹は言葉を続けた。
「あぁ。あの人が、音楽雑誌に関わってきたときくらいからの付き合い。まさかこんなに話題になると思ってなかったみたいだ。顔を隠したいって言い出したのは、俺が言い出したこと。ちょっと事情があって、顔バレはしたくなかったんだ。」
 その言葉に一馬はおそらく天草裕太のことだろうと思っていた。裕太が率いる「Harem」のことも芹は厳しいことを書いていたのだから。
「俺は、翔のことも信頼している。そしてその翔が信頼しているあんたらなんだ。だからライターのことを言った。だからそれが表に出ることは無いと思ってる。」
 芹の言葉に、沙夜は少し心が痛かった。翔のことを信頼しているのに、翔は沙夜にキスをしてしまったのだ。それは不可抗力だったかもしれない。それでも拒否しようと思えば出来たはずだ。
 それを大人しくキスをされてしまったのは自分の甘さだったからかもしれない。
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