触れられない距離

神崎

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サンドイッチ

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 ライブのスタッフから教えてもらった居酒屋は、二十四時を過ぎているのに店内はまだお客さんが沢山いて、三線を弾きながら指笛を鳴らしはやし立てるような声に合わせて踊っている。それは男、女関係ないように思えた。さすがに子供の姿は無いようだが、この土地ではこれが普通らしい。
「真夏だと更にこんな状況らしいよ。」
 真夏の昼間は地獄並みに暑い。外を出歩いているのは観光客くらいだ。早朝の涼しいときや夕方の暑さが納まったときに仕事をして、昼間は休んでいるらしい。暑すぎると病気にかかることもあるのだ。
「そろそろ海で泳げる季節になるらしいな。」
「もう?いくら何でも早すぎないか。」
 一馬の言葉に遥人は驚いたようにその窓の外を見る。
 誰もが知るというわけでは無いが、ファンであれば尚更「二藍」が居酒屋で打ち上げをしていると知れば、詰めかけてくるかもしれない。そう思って、個室がある居酒屋を紹介してくれたのだ。良いところで窓からは海岸が見えるし、店内の音楽も薄く聞こえるくらいだ。
「お待たせしました。」
 この土地で織られている藍色の前掛けを付けた女性の店員が、六人の飲み物を持ってきた。最初はビールで乾杯をする。ただし治だけは酒が飲めないし翔は断酒をしているのでウーロン茶を頼んでいたが。突き出しは海ぶどうだった。
「カンパーイ。」
 そういって六人はグラスを合わせてビールやウーロン茶を口に入れる。すると純は驚いたようにそのビールを見ていた。
「なんかこれ甘いな。」
「地元のビールだな。普通のビールよりも安い。町の方で買えば高くなるが、こっちでは普通なんだろう。」
 遥人はそういってまたビールに口を付ける。純はそもそもビールが苦手だった。苦いからだ。だがこのビールはとても飲みやすい。
「英二に仕入れてもらおうかな。」
「英二?」
 遥人はそう聞くと、純は少し頷いた。
「彼氏。」
「あぁ、そんな名前だっけな。」
 純に男の恋人がいるのはみんな知っていた。だがその姿を知るのは、「紅花」のライブを見に行った翔と沙夜、それに芹くらいだが。
 長い髪を一つにくくり、体格がいい男だった。それは純がそもそも誰が好きだったのかとわかるように思える。その男は、純の気持ちに気がつくことも無く付き合っていた恋人と結婚し子供も出来た。純が付け込む隙は元々無かったのだ。
 今は吹っ切れている。英二はセックスをしなくても恋人だと言ってくれるし、何より優しいのだから。
「三線って良いな。三味線とはまた音が違うみたいで。」
 翔がそういうと遥人は頷いた。
「琉球音階って言うんだよな。」
「あぁ、今音楽で流通しているのは西洋の音階なんだよ。」
「俺、こういう音も習わされてさ。」
 昔は親の薦めで民謡を習っていた遥人だったが、今となっては民謡を歌う気は無い。それでも基礎はここでしっかりと習ったせいか、発声の仕方、呼吸など、今でもそれは糧になっている。
「民謡だっけ。」
「本当だったら民謡から演歌ってなるはずだったんだよ。俺。兄は民謡教室よりもサッカーばっかりしていたから、父親は俺を演歌歌手にしたかったみたいでさ。」
 それが嫌で、何より同じ演歌歌手なんかになれば嫌でも父親と比べられる。それがもっと嫌だった。
「だから母親の薦めに従ったんだ。」
 翔がそういうと遥人は頷いた。
「あぁ。」
 小学校高学年ほどの時に、アイドルばかりいる事務所の面接を受けた。演歌とは逆だったが、ここの事務所は元々がミュージカルをするような舞台中心のアイドルばかりだったのだ。元々舞台女優だった母親が、その道に行かせたくてその事務所を受けさせたらしい。
 だが受かってみれば舞台に上がったは良いが、ミュージカルよりも先輩グループのバックダンサーのような仕事ばかりだった。そして中学生の時にグループを組まされると更にミュージカルの舞台なんていう仕事は無くなってしまったのだ。それに母親があらか様にがっかりした顔になっていたのを覚えている。
 それでもライブを見に来た母親は、こういう道もあると応援してくれたのだ。
「遥人って何でそのアイドルグループ辞めたの?仲違い?」
 治がそう聞くと、遥人は首を横に振った。一馬のようにはめられたとか、方向性の違いというわけでは無さそうだった。
「いいや。俺、あのアイドルグループの奴らとは別に仲が悪いわけじゃ無いよ。普通に今でも連絡は取ってるし。遊びに行くこともあるから。」
 グループを辞めて、事務所も辞めたのは、自分がしたい音楽がここには無いと思ったから。それから、母親が死んだのもきっかけだったのかもしれない。
「母親?」
「俺がステージでキャアキャア言われているのを見て、誇らしいと思った。だけど俺自身がしたいことはそういうことなのかって言われてさ。」
「不満だったのか。」
 一馬もそう聞くと、遥人は首を横に振った。
「俺はそこまで不満とは思ってなかった。軽い音楽でも何でも、音楽であればそれでいいと思ってたんだけどな。母親にはそう写ってなかったみたいだ。」
 嘘の笑顔。ダンス。演技。全てが母親には遥人が嘘の顔をして演技をしているように見えたらしい。
「人生一度きりだから、やりたいことをやれば良いっていわれたよ。だから、グループも抜けて事務所も辞めた。元々ハードロックが好きだったしそっちの方へ行きたいなって思ってて、知り合いのバンドで歌ってみたらこれが全然駄目でさ。」
 笑いながら遥人はまたビールに口を付けて言う。
「だからまた歌のレッスンに通って……でもそこでもまたアイドルに戻るんじゃ無いのかとか言われて、だから覚悟のためにこれを入れたんだ。」
 首元に触れる。そこには入れ墨があった。入れ墨なんかを入れていたら、アイドルにもう戻られない。ピアスも開けて、わざとちょっと悪ぶった格好をした。だが鏡の向こうの自分が、笑っている。そして格好だけになるなと言われているような気がした。
「だから入れ墨か。」
 一馬はそういうと、遥人は頷いた。
「それでもアイドル時代にした事ってのは、未だに糧になってるよ。そりゃ、ここで歌うのが一番良いけど、演技もモデルも別に嫌いじゃ無いし。この間のミュージカルは、楽しかったな。また声の出し方を勉強しないといけないって思えた。」
 遥人はそういって少し笑い、運ばれてきたつまみに箸を付ける。
「ある程度の覚悟ってのは必要だよな。遥人の場合は、もう後戻りをしない覚悟だったんだろう。」
 治がそういうと遥人は頷いた。
「あぁ、そうだよ。……沙夜さん。」
 沙夜はずっと黙っていたが、急に遥人から声をかけられてそちらを見る。
「何?」
「今の話、本当だと思う?」
「嘘を言ってどうするの。こんな所で。」
「……いや、誰かに話をするのかなって思って。」
 その言葉に沙夜は驚いたように遥人を見る。
「誰かって何?」
 沙夜はそう聞くと、遥人は咳払いをして言った。
「芹さんに言う?」
「芹に?」
 芹の名前に沙夜は不思議そうな顔をする。すると、治が遥人を止めようとした。
「遥人。それ以上……。」
「沙夜さん。この際はっきりしておきたいんだ。芹さんってライターをしているだろう。そのライターの仕事って音楽ライターじゃ無いのか。」
 その言葉に沙夜は言葉を詰まらせた。そして携帯電話を握りしめる。この五人にそれを言って良いのか迷っているのだ。
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