触れられない距離

神崎

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居酒屋

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 会社に戻って来て、沙夜はパソコンを立ち上げる。今日はもう活動報告をするだけだ。ツアーの音源は今日は作られていないし、個々の活動が五人から送られてくるのをチェックして打ち込んでいく。
 治は今日は雑誌の取材だった。いつもだったら育児雑誌なんかのインタビューだが、今日はドラムの専門誌でその内容はドラムをしている人くらいしかわからないものだろう。それから吹奏楽の雑誌からのオファーもあり、パーカッションについての練習法をインタビューで受けたらしい。基礎は一緒なのだ。
 純は春に外国へ行く。そのレコーディングの打ち合わせをしたらしい。その内容は本当に沙夜でもギリギリわかると言ったところで、あとは本人達に任せれば良い。外国だというのが気になるところだが、純はあぁ見えてしっかりしている。変な声なんかには惑わされないはずだ。
 一馬は昼に会った。まだ練習が終わっていないらしく、報告が届いていない。あまり遅くならないとは言っていたが、何か問題があったのだろうか。
 遥人のことは担当マネージャーからの報告になる。どうやら夏あたりにドラマに出ないかという話があるらしい。ツアー中で無いだけましか。そう思いながら、それも打ち込んでいく。
 翔の活動は、ジャケット撮影。その写真を一枚、添え付けた。喪服のようだが、バラのおかげで割とスタイリッシュに見える。それでもキザな感じはどうしても抜けないかもしれない。
 活動報告を終えて、パソコンをシャットダウンしようとしたときだった。
「泉さん。」
 声をかけられてパソコンの向こうを見る。そこには西藤裕太の姿があった。
「あぁ。部長。昼間はありがとうございました。」
「いいえ。久しぶりに俺もあの店に行ったよ。懐かしかった。」
 音楽一本で食べていけるまで、あの店で働いていたのだ。正月前の忘年会シーズンは特に忙しくて目が回りそうだったのに、その足でライブで演奏をしていたことなんかを思い出す。
「活動報告は終わった?」
「えぇ。もう帰ろうかと。」
「その前にちょっと良い?」
 そう言って裕太は沙夜を席から立たせる。そしてオフィスの外へ連れ出した。その様子に朔太郎が首をかしげる。
「どうしたんですかね。部長と泉さん。」
 それはその隣にいる女性も気になったらしい。
「最近部長が泉さんに良く突っかかりますね。」
「うーん。」
 裕太は妻子持ちだし、沙夜に転ぶとは思えないがあまりにも二人で居ることが多いのだ。それにあらぬ噂を立てられないかと、少し不安に思っていたのだ。

 やってきたのはオフィスの隣にある会議室。そこで沙夜は裕太から携帯電話の画面を見せられた。そこには今日、一馬と一緒に電車に乗って同じ駅で降りた沙夜達の後ろ姿。
「は?これが何だと?」
「もう一枚あってさ。」
 それは正月に山に登ったところだった。有名な神社があり、そこで配られていた甘酒を飲みながら、芹のことや一馬の奥さんのことを聞いていたのだが、世の中にはそんなことはわからないだろう。
「……。」
「一馬君と何かあるのかって聞いてきたよ。」
「誰がですか。」
 その言葉に裕太は口をつぐんだ。おそらくこの写真の送り主は紫乃なのだろう。あれだけ紫乃を信用してはいけないと言ったのに、それでもその画像の事を聞こうとするのだ。どれだけ馬鹿なのだろう。
「……誰でも良いですけど、その画像の送り主が想像するようなことはありません。」
「既婚者と正月に山へ行って仲良く甘酒を飲むようなことをするの?」
「偶然会っただけです。」
 あのあとに一馬の奥さんが務める洋菓子店へ足を運んでみたが、奥さんもそのことは知っていたようで、何もやましいことは無いと思っていたようだ。
 と言うか、一馬は結婚するまで紆余曲折あったのだ。それを棒に振って他の女と出かけるようなことはしない。奥さんは何があっても一馬を信じているのだ。一馬だって奥さんが務めるその洋菓子店は男ばかりのところなのだ。それにそこのオーナーとは一時期恋人同士だったこともある。一馬だって疑おうと思えば疑うことが出来る。
「一対一の付き合いはあまり良くない。特に既婚者なら尚更だ。」
「……世の中はそういう風に見てくれないって事ですか。」
「その通りだよ。五人とか四人とかそういう単位で移動しているならともかく……。」
「今日、写真スタジオへ行きました。千草さんの撮影を見るためです。その帰り、駅へ行くのに千草さんと一緒になりましたけど、それもまずいと?」
「……。」
「千草さんだけでは無く、「二藍」のメンバーで尚且つ「二藍」に関することであれば、なるべく行くようにしていましたけど、それもまずいですか。」
 そうなると仕事に支障が出ることになるだろう。その言葉に裕太は黙ってしまった。男ばかりのバンドで担当が女だったから良くないのだろうか。いや。元々「二藍」は沙夜を女として扱っていないように見える。
 裕太はその携帯電話の画像を改めて見る。確かに男と女がデートをしているようにも見えるが、その距離は確かに恋人と言うには遠い。
 おそらくメッセージの内容で、裕太もそう思ってしまったところがあるのだろう。沙夜にも大分失礼なことを言ってしまった。
「ごめん。ちょっと早とちりを……。」
「その画像は紫乃さんからじゃ無いんですか。」
 すると裕太は少し頷いた。その反応に沙夜はため息を付く。
「渡先生があれだけ嫌っているのに、どうしてまた紫乃さんのことを?」
「真実ならば、これが世に出る前に謝罪をしたいだろうと言ってきたんだ。」
「しかし真実では無かった。花岡さんとは何も無いんですから。」
「……どうしてあいつはそんなことを……。」
「電車で一緒になりました。私は気がつかなかったんですけど、花岡さんが気がついてくれて。」
「……。」
「別の車両に移りました。花岡さんも顔を合わせたくないと。」
「どうしてそこまで?」
「花岡さんにも色目を使っていたそうです。それだけでは無く、花岡さんの奥様の職場にも行って、そこで店員にずいぶん言い寄っていたとか。その店員は恋人がいるから、はっきり無理だと言ったみたいですけど、そんなことはお構いなしなようでしたから。」
「……そうか……。」
 やはり昔からあまり変わっていないらしい。裕太はため息を付くと、椅子に座った。そして沙夜を見上げると裕太は言う。
「でっち上げたいようだね。紫乃は。その方向が君に移ってきている。」
「だと思います。面白くないんでしょうね。渡先生が他の出版社の世話になるというのが。」
「……わかった。上司として、ちょっとあっちにも脅しをかけることにしよう。」
「え?」
 すると裕太は少し頷いて言う。
「紫乃には噂があるんだ。作家と寝ているとね。」
「本当ですか?」
 だが沙夜はそれくらいならしそうだと思っていた。なんせ紫乃なのだから。
「確信は無いよ。でもあっちも確信の無いことででっち上げようとした。もしこれが世に出て、「二藍」が責められるようなことがあればこっちもその手を使うしか無いね。紫乃が担当している作家は、亡くなった方も含めると結構な数になるのだから。」
 きっとその中にゴーストライターを使っていた人も居る。そしてそのゴーストは芹がしていた可能性だってあるのだ。
「部長。大丈夫なんですか。そんなことをして。」
「大丈夫。あちらとの関係は元々無いんだ。それに……あっちは何本か訴えられている案件もあるしね。」
「訴えられている?」
「根も葉もないことを言われているようだ。部数を上げるためにやったことかもしれないが、プライドは無いのか。」
 裕太自身もそういう事があるのだ。別に隠し子がいると噂をされたのも、紫乃がいる出版社が出した雑誌から言われていることなのだから。
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