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居酒屋
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写真を撮り終えたその画像を見て、沙夜は少し笑った。
すらっとした翔が黒いスーツと白いシャツを着ていて、斜に構えて立っている。こちらの方が足が長く見えるのだ。
奥には翔が普段使っている機材がある。キーボードやシンセサイザーなどがあり、バックの背景はオフホワイト一色。これだけで済ませようとしたのに、手にはバラの花束がある。五本のバラの意味は、「あなたに出会えた喜び」ということで、「二藍」の五人に出会えたこと、そして聴いてくれるリスナーに出会えたことの感謝が込められているように感じた。
「バラがいいアクセントになってますねぇ。」
「文字はどう入れますか?」
「この辺にですね。それから千草さんの名前はこの辺に。」
「良いですね。あと編集をして、こちらに送ってくれるのはどれくらいになりそうですか。」
沙夜はそう聞くと、デザイナーは少し笑って言う。
「二,三日くらいで出来ると思います。データーはこちらに送って良いですか。」
「はい。よろしくお願いします。」
歌詞カードが同封されているが、歌詞があるモノは三曲くらいしか無いので薄いものになりそうだ。あとは翔個人の写真であったり、スタッフの名前が載っていたりするが、この中に「夜」の名前を載せるらしい。これが世に出ることで、どうなるのかはわからない。
また「夜」が出てきたことで、インターネットの噂が飛び交うのだろう。ありも無い噂で、また沙夜は夜も眠れなくなるのだろうか。いや、今は違う。
足下に感じるアンクレットがそういっているように思えた。芹が側にいる。
「どう?写真。」
着替えを終えて翔がスタジオの中にやってきた。そしてその画面を見て少し顔を引きつらせる。
「やっぱ、キザっぽくない?」
「いいえ。そんなこと無いですよ。真っ赤なバラだったら少しキザに思えたかもしれないけれど、少し落ち着いた色ですし。ほら、これなんか女性が好きそうですね。」
そういって違う画面をデザイナーが見せる。そこには翔の顔のアップで、口元にはバラの花があった。まるでバラにキスをしているように見える。
「さすがにこれは違うなぁ。」
「そういうと思いました。これは無しで。」
「えぇー?」
デザイナーがそういうと沙夜は少し笑って言う。
「女性向けのモノであればこれでも問題ないと思いますけどね。広い範囲で聴いて欲しいアルバムでしょう?」
翔に聞くと翔は頷いた。
「もちろんだよ。マニアックな音楽にはなっていると思うけど、どんな機材で聴こうと、どんな状況で聴こうと、いい音で聴けるようにしてあるんだから。」
「そういう事です。幅広いというなら、異性向けのモノは載せなくても良いと思います。」
そういうとデザイナーは頷いた。だが惜しい写真だと思う。
「そう言えば、千草さんはもうファッション誌なんかには出ないんですか?」
そういわれて翔は首を横に振る。
「もう三十一になるんだから、今まで出ていたような雑誌はもう出れないですね。」
「大人向けの雑誌とかあるでしょう。そういうのとか。」
「呼ばれればって思うけど……進んでは出ないですね。俺、元々モデルでも無いから、あぁいうところでは萎縮してしまって。同じ生き物だろうかって思うし。」
「ははっ。話してみれば良いのに。彼らも普通の人間ですよ。」
それはデザイナー相手だからだ。モデルでも無い男がファッションモデルのような顔をしているのだから、モデルにとっては内心面白くないはずだ。遥人のように本格的に勉強をしてきたりその世界に精通している男ならともかく、翔は本当に素人なのだから。
「じゃあ、私はこれで失礼しますね。」
「はい。ありがとうございました。」
「沙夜。俺も出るよ。」
「駅まで一緒ね。行きましょうか。」
そういって二人はスタジオをあとにする。本当に仲が良い二人なのだろう。デザイナーはそう思いながら、また写真をチェックしていた。
外に出るともう暗くなっていて、会社に戻って報告書を書いたら沙夜はもう退社時間になってしまうだろう。翔は今日はもう仕事は終わりなのだ。正月前からずっとスタジオに籠もりっきりだったので、今くらいはゆっくりした時間を得ているのだ。
明日はまたスタジオにもこり、今度はツアーの曲をアレンジするのだ。そこには沙夜の姿は無い。沙夜もこうして翔だけではなく、他のメンバーのところにもいつも行っているのだ。その上芹の面倒まで見ている。その仕事は激務だろう。
「沙夜。たまにはご飯を買ってきても良いんだけど。」
「今日はもう決めているから、料理をさせてくれないかしら。」
料理は沙夜の唯一の息抜きなのだ。それがわかっていたが、沙夜のことを考えると諸手を挙げてわかったとは言いがたい。
「朝は作ってくれたけど、今日はお弁当が無かったからね。」
「ごめん。朝は少しバタバタしていて。朝ご飯しか作れなかったわね。」
「ううん。そういう事もあって良かったよ。たまには外食をしたかったし。さっきのデザイナーの女性とカメラマンの男の人と、近くのそば屋へ行ったよ。」
「そば屋?」
「美味しかった。天ぷらもそばも美味しかった。」
「良いわね。そばなんていうのはあまり自分で打ったりしないから、外でしか食べれないものね。うどんなら打つことも出来るみたいだけど、今は無理かなぁ。」
「沙夜なら凄くこだわりそうだよ。」
「私を何だと思ってんのよ。」
いや。その通りだろう。きっと沙夜がうどんなんか打ち出したら、しばらくうどんが続くと思う。こだわって、こだわって作るのだろうから。
「今度は水餃子をするって言っていたね。」
「ツアーの前にみんながオフの日が一日あったわ。その日でどうかと言っていたけれど。」
「良いね。またみんなで餃子を包もうか。」
「えぇ。」
その時、駅前にあるパン屋が沙夜の目に止まった。もう時間が時間なだけに焼きたてを歌っているパン屋だが、数は少なくなっているようだ。それももう何割引とかをしているらしい。
「明日のお昼はサンドイッチにしたいわ。」
「良いね。パンを買っていく?」
「そうしようかと思って。私、ちょっとここに入るわ。」
「俺も行くよ。」
そう言って二人はそのパン屋に入る。するとやはり惣菜のパンや、甘い菓子パンも半額とか三十パーセント引きとかしていた。そして奥に食パンがある。もうあらかじめ切っているモノもあれば、まだ一斤のままのモノもあった。
「すいません。このパンを、サンドイッチ用に切ってもらえませんか。」
「はい。かしこまりました。十枚切りくらいでよろしかったですか。」
「はい。」
女性店員がそう言って食パンを手にすると、奥の方へ行ってしまう。そしてその間、翔はパンを見ていた。
「カレーパンがあるね。」
「今日は揚げ物はちょっとね。」
「昼はどうしたの?外で食べた?」
「うん……まぁね。」
西藤裕太と芹を引き合わせた。そして裕太は芹をうさんくさそうな目で見ていたが、結果、良い方向へ行っているのかもしれない。なんせ、紫乃と芹を引き離せたのだから。
「詳しいことは帰ってから言うわ。」
こんな店の中で話すことでは無い。と言うか外で話すようなことでは無いのだから。翔がどんな反応をするのかはわからない。
「サンドイッチの具って何にする?」
話を切り替えるように翔がそう聞くと、沙夜は半額になっているサンドイッチを見ながら言う。
「卵も良いわね。あとハムと、キャベツとにんじんのコールスローとか。」
「きんぴらゴボウを入れてよ。」
「きんぴらゴボウってパンと?」
「合うよ。母親が良く作っていたんだ。でもまぁ……母親のモノはいつもピリ辛だったけどね。」
外国へ戻る前に、翔の両親と会った。沙夜が台所をしてくれて良かったと言ってくれていたのが嬉しいと思った。こんな母親だったら、沙夜だって意地を張らずに済んだかもしれないのに。
すらっとした翔が黒いスーツと白いシャツを着ていて、斜に構えて立っている。こちらの方が足が長く見えるのだ。
奥には翔が普段使っている機材がある。キーボードやシンセサイザーなどがあり、バックの背景はオフホワイト一色。これだけで済ませようとしたのに、手にはバラの花束がある。五本のバラの意味は、「あなたに出会えた喜び」ということで、「二藍」の五人に出会えたこと、そして聴いてくれるリスナーに出会えたことの感謝が込められているように感じた。
「バラがいいアクセントになってますねぇ。」
「文字はどう入れますか?」
「この辺にですね。それから千草さんの名前はこの辺に。」
「良いですね。あと編集をして、こちらに送ってくれるのはどれくらいになりそうですか。」
沙夜はそう聞くと、デザイナーは少し笑って言う。
「二,三日くらいで出来ると思います。データーはこちらに送って良いですか。」
「はい。よろしくお願いします。」
歌詞カードが同封されているが、歌詞があるモノは三曲くらいしか無いので薄いものになりそうだ。あとは翔個人の写真であったり、スタッフの名前が載っていたりするが、この中に「夜」の名前を載せるらしい。これが世に出ることで、どうなるのかはわからない。
また「夜」が出てきたことで、インターネットの噂が飛び交うのだろう。ありも無い噂で、また沙夜は夜も眠れなくなるのだろうか。いや、今は違う。
足下に感じるアンクレットがそういっているように思えた。芹が側にいる。
「どう?写真。」
着替えを終えて翔がスタジオの中にやってきた。そしてその画面を見て少し顔を引きつらせる。
「やっぱ、キザっぽくない?」
「いいえ。そんなこと無いですよ。真っ赤なバラだったら少しキザに思えたかもしれないけれど、少し落ち着いた色ですし。ほら、これなんか女性が好きそうですね。」
そういって違う画面をデザイナーが見せる。そこには翔の顔のアップで、口元にはバラの花があった。まるでバラにキスをしているように見える。
「さすがにこれは違うなぁ。」
「そういうと思いました。これは無しで。」
「えぇー?」
デザイナーがそういうと沙夜は少し笑って言う。
「女性向けのモノであればこれでも問題ないと思いますけどね。広い範囲で聴いて欲しいアルバムでしょう?」
翔に聞くと翔は頷いた。
「もちろんだよ。マニアックな音楽にはなっていると思うけど、どんな機材で聴こうと、どんな状況で聴こうと、いい音で聴けるようにしてあるんだから。」
「そういう事です。幅広いというなら、異性向けのモノは載せなくても良いと思います。」
そういうとデザイナーは頷いた。だが惜しい写真だと思う。
「そう言えば、千草さんはもうファッション誌なんかには出ないんですか?」
そういわれて翔は首を横に振る。
「もう三十一になるんだから、今まで出ていたような雑誌はもう出れないですね。」
「大人向けの雑誌とかあるでしょう。そういうのとか。」
「呼ばれればって思うけど……進んでは出ないですね。俺、元々モデルでも無いから、あぁいうところでは萎縮してしまって。同じ生き物だろうかって思うし。」
「ははっ。話してみれば良いのに。彼らも普通の人間ですよ。」
それはデザイナー相手だからだ。モデルでも無い男がファッションモデルのような顔をしているのだから、モデルにとっては内心面白くないはずだ。遥人のように本格的に勉強をしてきたりその世界に精通している男ならともかく、翔は本当に素人なのだから。
「じゃあ、私はこれで失礼しますね。」
「はい。ありがとうございました。」
「沙夜。俺も出るよ。」
「駅まで一緒ね。行きましょうか。」
そういって二人はスタジオをあとにする。本当に仲が良い二人なのだろう。デザイナーはそう思いながら、また写真をチェックしていた。
外に出るともう暗くなっていて、会社に戻って報告書を書いたら沙夜はもう退社時間になってしまうだろう。翔は今日はもう仕事は終わりなのだ。正月前からずっとスタジオに籠もりっきりだったので、今くらいはゆっくりした時間を得ているのだ。
明日はまたスタジオにもこり、今度はツアーの曲をアレンジするのだ。そこには沙夜の姿は無い。沙夜もこうして翔だけではなく、他のメンバーのところにもいつも行っているのだ。その上芹の面倒まで見ている。その仕事は激務だろう。
「沙夜。たまにはご飯を買ってきても良いんだけど。」
「今日はもう決めているから、料理をさせてくれないかしら。」
料理は沙夜の唯一の息抜きなのだ。それがわかっていたが、沙夜のことを考えると諸手を挙げてわかったとは言いがたい。
「朝は作ってくれたけど、今日はお弁当が無かったからね。」
「ごめん。朝は少しバタバタしていて。朝ご飯しか作れなかったわね。」
「ううん。そういう事もあって良かったよ。たまには外食をしたかったし。さっきのデザイナーの女性とカメラマンの男の人と、近くのそば屋へ行ったよ。」
「そば屋?」
「美味しかった。天ぷらもそばも美味しかった。」
「良いわね。そばなんていうのはあまり自分で打ったりしないから、外でしか食べれないものね。うどんなら打つことも出来るみたいだけど、今は無理かなぁ。」
「沙夜なら凄くこだわりそうだよ。」
「私を何だと思ってんのよ。」
いや。その通りだろう。きっと沙夜がうどんなんか打ち出したら、しばらくうどんが続くと思う。こだわって、こだわって作るのだろうから。
「今度は水餃子をするって言っていたね。」
「ツアーの前にみんながオフの日が一日あったわ。その日でどうかと言っていたけれど。」
「良いね。またみんなで餃子を包もうか。」
「えぇ。」
その時、駅前にあるパン屋が沙夜の目に止まった。もう時間が時間なだけに焼きたてを歌っているパン屋だが、数は少なくなっているようだ。それももう何割引とかをしているらしい。
「明日のお昼はサンドイッチにしたいわ。」
「良いね。パンを買っていく?」
「そうしようかと思って。私、ちょっとここに入るわ。」
「俺も行くよ。」
そう言って二人はそのパン屋に入る。するとやはり惣菜のパンや、甘い菓子パンも半額とか三十パーセント引きとかしていた。そして奥に食パンがある。もうあらかじめ切っているモノもあれば、まだ一斤のままのモノもあった。
「すいません。このパンを、サンドイッチ用に切ってもらえませんか。」
「はい。かしこまりました。十枚切りくらいでよろしかったですか。」
「はい。」
女性店員がそう言って食パンを手にすると、奥の方へ行ってしまう。そしてその間、翔はパンを見ていた。
「カレーパンがあるね。」
「今日は揚げ物はちょっとね。」
「昼はどうしたの?外で食べた?」
「うん……まぁね。」
西藤裕太と芹を引き合わせた。そして裕太は芹をうさんくさそうな目で見ていたが、結果、良い方向へ行っているのかもしれない。なんせ、紫乃と芹を引き離せたのだから。
「詳しいことは帰ってから言うわ。」
こんな店の中で話すことでは無い。と言うか外で話すようなことでは無いのだから。翔がどんな反応をするのかはわからない。
「サンドイッチの具って何にする?」
話を切り替えるように翔がそう聞くと、沙夜は半額になっているサンドイッチを見ながら言う。
「卵も良いわね。あとハムと、キャベツとにんじんのコールスローとか。」
「きんぴらゴボウを入れてよ。」
「きんぴらゴボウってパンと?」
「合うよ。母親が良く作っていたんだ。でもまぁ……母親のモノはいつもピリ辛だったけどね。」
外国へ戻る前に、翔の両親と会った。沙夜が台所をしてくれて良かったと言ってくれていたのが嬉しいと思った。こんな母親だったら、沙夜だって意地を張らずに済んだかもしれないのに。
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