触れられない距離

神崎

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居酒屋

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 表面上は冷静に聞いているように見える。だが芹の手は拳が握られて、力がこもっている。ずっと我慢しているのだろう。探さないで欲しいと言っていたのに、芹の姿を探そうと躍起になっているようだ。
 そうなってくると一番心配なのは、妹であり両親だろう。あの手、この手を使って芹の居場所を聞こうとしているのが目に見えるから。だがここまでまだ来ていない。と言うことは家族は全く芹のことを話していないと言えるだろう。
「部長はどうしてその……天草さんの弟さんですか。探していると思いますか?」
「家族だからだろう。いきなり行方不明になったと聞いている。」
 やはり自分たちがしたことは表に出していない。芹をあれだけ追い詰めたのも二人は黙るつもりなのだ。
「いきなり?」
 沙夜はそう聞くと、裕太は煙草を消していった。
「俺の兄もそんな感じだったから。」
 西藤裕太には上に兄弟が二人居る。裕太は末っ子だったのだろう。その二番目の兄が、いきなり音信不通になったのだ。
「連絡が付かなくなったのは俺がデビューしてからのことだから、兄は三十手前だったか。転勤で地方へ行っていたんだが、ある日から全く連絡が付かなくなったんだ。捜索願なんかを出して、会社や周りにも呼びかけた。だが……半年位したときか。警察から連絡があったんだ。」
 樹海の中で首を吊っていたという。変わり果てた兄の姿に裕太は愕然としたのを覚えている。
「だからいきなりいなくなったってのが気になったのか。」
 芹はそう聞くと、裕太は頷いた。
「あとから警察に聞かれた。自殺にしてはおかしいと。」
 兄の死体には傷が沢山あった。全身に煙草を押しつけられたような火傷の跡、切り傷や打ち身などもあり、歯もほとんど無くなっていたのだ。
「……○クザか何かに脅されたな。」
「だと思う。だから紫乃の義理の弟というのもそんな目に遭っているのでは無いかと思うと、他人事では無い感じがしてね。」
 そういう事情があれば、力になってやりたいと思うのかもしれない。それは裕太の優しさなのだ。だがその優しさにつけ込むのが紫乃であり、天草裕太で芹を探しているというのも別の理由があるのでは無いかと思ってしまうのだ。
「紫乃は天草の家が冷たいと言っていた。芹のことを聞いても、連絡が無いのは無事な証拠だからと言って取り合ってくれないと言っていてね。もっと本気で探せば良いのにと言っていた。だが警察に捜索願も出さない。ただ……住所変更なんかはしていないから、税金なんかを納めるのに振り込みがされている。それだけで「生きている」と思えるだけだと言っていた。」
 裕太にとっては芹の家族は冷たい家族なのだ。自分たちが兄が居なくなってどれだけ探したと思っているのだろう。それなのに「生きているから良い」と言える芹の家族のほうが異常に見えたのだ。
「……例えばだけどさ。」
 芹はそう言って、裕太を見る。
「その天草裕太ってヤツ?そいつに存在を知られたくないって思ってんのかもしれないよな。」
「天草裕太に?」
「何でかはわからないけど。俺、探偵じゃ無いし。」
「……。」
 すると沙夜はふと思い出したように裕太に言う。
「……お金かもしれないですね。」
「お金?」
「花岡さんが前に組んでいたバンドで、メンバーが借金を重ねていたという話を聞きました。その保証人にメンバーがなっていて、花岡さん以外の人はほとんど保証人になっていたそうですね。」
 一馬だけがかたくなに保証人の欄にサインをしなかった。それがバンドに亀裂を起こさせた原因なのだ。
「と言うことは、天草裕太も保証人になっていると?」
「えぇ。だから借金を返す義務がある。借りた本人に支払い能力が無ければの話ですが。」
 十分あり得る話だった。確かに紫乃から何度かその借金の保証人になってくれないかという話があったが、家族のこともあり裕太もその話を断り続けている。そのうちに連絡が来なくなったと思ったら、この間その話とは別に「渡摩季」の話が来たのだ。
 どうしてそれがうさんくさいと思わなかったのだろうか。
「だがその場合、その弟にそれ相当の収入がある場合になるだろう。その見込みがあると思うから紫乃達は弟を探していると?」
「そこまではわかりませんね。私も探偵ではないので。」
 これ以上は言えない。沙夜もその口を閉じて、お茶にまた口を付けた。温かいお茶がすっかり冷めてしまったようだ。

 芹と別れて、沙夜と裕太は会社に戻ってきた。沙夜はそのまま写真スタジオへ向かう。翔が自分のアルバムを出すそのパッケージの写真を撮っているはずだから。
「私、そのまま行きますね。」
 すると裕太が沙夜に声をかける。
「泉さん。今日の俺の話は外部には黙っていてくれないか。」
「……お兄さんのことですか。」
 その言葉に裕太は頷いた。
「実は、兄の葬儀をしていたとき、乗り込んできた男がいてね。」
 やはり兄は借金で首が回らなくなり自殺に見せかけて殺されたのだ。そこで両親は、自分の親から譲り受けていた山を手放してその借金を帳消しにした。それからは繋がりは無い。
 それから裕太が「Glow」で大成をしたとき、その山は無事買い戻された。それからは兄のことは無かったように両親は過ごしている。
「俺も話されたくないことがある。そして君たちにもある。だからこれは交換条件のようなモノだ。」
「……えぇ。そうですね。」
 その言葉に少しほっとした。少し話しすぎたような気がすると思っていたのだ。しかし芹のことが外部に漏れたら、その時は容赦なく裕太を疑い、その裕太の身辺のことをよにさらしても良いと言うことなのだろう。
「紫乃にはやんわりと断っておく。気にしないでくれ。」
 その時だった。裕太がポケットから携帯電話を取り出す。そしてその名前に少し笑った。
「どうした。うん……。珍しいな。君から声をかけられるなんて。え……。今?居るけれど、今から泉さんは出掛けようとしていてね。」
 自分の名前が出て少し驚いた。裕太は電話を切ると、沙夜の方を見る。
「泉さん。翔君のジャケット撮影は何時からかな。」
「十五時です。」
「少し時間があるな。少し会社に戻ろう。」
「え?」
「俺の古くからの馴染みが来ているらしい。」
「それは……天草……。」
「では無く、別の出版社の人間だ。俺が「Glow」にいたときからの付き合いでね。今は音楽雑誌の編集長をしている。」
「それって……もしかして……。」
「あぁ、君は面識があるかもしれないな。石森愛だ。」
 やはりその名前が出たか。そして沙夜はふと芹を思い出す。
 芹はおそらく先手を打ったのだ。紫乃が手を打ってきて、その前に別の出版社との契約を取っておこうと思ったのだろう。
 そうなってくると、愛の他に誰がいるのかは想像が付く。
 エレベーターを上がり、オフィスに戻るとそこには相変わらず派手な格好をした石森愛。そしてその隣には若い男がいた。スーツを着慣れていないらしく、スーツがあまり体に合っていない。
「泉さん。」
「石森さん。お久しぶり。」
「えぇ。裕太もお元気そうで。相変わらずチャラいわね。」
「石森さんには適わないな。話は泉さんにあるんだろう。」
「えぇ。場所って変えられる?」
「会議室を開けよう。ちょっと待ってください。」
 すると裕太はオフィスの自分のデスクへ向かった。そしてその間、愛は沙夜の方を見て少し笑う。色気が出てきたようだと思ったからだ。
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