触れられない距離

神崎

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栗きんとん

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 いつも外に出るときにはニットの帽子をかぶっている。夏であれば夏用のニットを、冬のニットは最近翔からもらったモノだと言っていた。だが今日はそれすら忘れているようで、いつもの髪型だ。ジャンパーもいつものモノで、この辺は町に比べると寒いのだから、その格好では寒かっただろう。いつもの沙夜であれば温泉を勧めて、早く温まった方が良いとかそういう事を言うだろう。だが今の沙夜にはそんなことも言えるほど頭が回っていなかった。
 無言のままその籐の椅子から立ち上がると、テーブルに備えられているお茶を淹れ始めた。ティーパックのお茶は、いつものお茶とは全く違うだろう。香りも何もかもが段違いなのだ。
 お茶を二つ淹れて、それを手にすると籐の椅子があるテーブルに置いた。一つは自分のモノ。そしてもう一つは芹のモノだろう。無言で座れば良いと言っているようだった。
「沙夜。俺さ……。」
 向かい合っている椅子に座り、早速弁解をしようと思っていたのだろう。沙夜は先程の一馬のことを思い出していた。どちらが悪いと言うことは無いという姿勢の一馬が羨ましかった。そして自分も何か非があったのでは無いかと思うから、芹の言い訳など聞きたくないと思っていたのだ。だがはっきりさせないといけないことはある。
「沙菜が好きなの?」
 沙夜はそう聞くと、芹は首を横に振った。
「嫌……そんなこと無くて……いきなり沙菜があんなことをしてきて……確かに俺が悪い所もあったと思う。」
 また自分のせいにするのだ。芹はそういう所がある。明らかに紫乃が仕掛けて、それを裕太が裏で操っていたのだろうに、それでもそれを信じた自分も悪いと思っているのだ。
「隙があったんだ。」
「……それで済むと思ってる?私がそうね。許さない。別れましょうと言っても、それでも謝るの?もっとも……付き合っているわけでは無いけれど。」
 体を重ねたのだ。そして好きだと言った。だが明確に恋人同士というわけでは無い。そして翔や沙菜にもそのことは言えていないのだ。曖昧な関係だと思う。
「沙夜。俺とあの家を出ないか。」
「逃げるの?」
「逃げる?」
「またあなたは逃げるのよ。最初はお兄さんから、家族からも逃げて。それから沙菜や翔からも逃げるのよ。そんなことでは自分が悪いって言いながら、また同じ事をするわ。」
「……。」
「はっきり言って。本当に好きという気持ちがあるんだったら。」
「お前も言えるのか。」
 その言葉に沙夜も言葉を詰まらせた。二人に言えないのは自分だってそうだったから。
 翔に好きだとはっきり言われたのだ。それでも立場上答えられないと曖昧なことを言ったのだ。本当は芹のことが心の中にあったのに。
「沙菜は翔のことが好きだと思ってた。だけどあなたのことを思っているなら言わないといけないわ。」
 姉妹で一人の男を取り合う日が来ると思ってなかった。沙夜はあまり男を好きだとか思ったことは無いし、沙菜の男がかっこいいなど思ったことも無い。それでも取られたくないと思った。
 沙菜の方が条件は良いはずなのだ。女性らしい体つきをしていて、沙夜よりもきっとセックスは上手いはずなのだから。そういう事をずっとしていたのだから、太刀打ちが出来ると思えない。
 それでも渡したくなかった。
「……多分、沙菜はそんなことを思ってしたんじゃ無い。」
「え?」
「俺が馬鹿だったんだ。前から沙菜は少し俺が女を作らないから童貞では無いのかとか、一晩限りの女としか付き合わないと言えば病気になるとか、だからついムキになって……初めてセックスをしたときのことを言った。」
「紫乃さんのこと?」
 あの時、女とはこんなモノかと思っていた。だが紫乃は相当乱れていて、事後のあと「次は官能小説が書ける」とか「AV男優になれるんじゃ無いか」とか言ってきたのだ。それを素直に沙菜に言ったのだ。
「……沙菜の性格上、そんなことを言われたら確かめたくなるかもしれないわね。」
「そういう事だ。」
 だがしたいのは沙菜では無い。沙夜しかいないと思っていた。だから思いっきり拒否したのだが、肝心の沙菜は悪いと思ってしたわけでは無い。その辺がずれていると思う。
 沙夜はお茶に手を付ける。すると芹は少し拳を握っていった。
「俺も……少し自信が出てきたんだ。だからそういう事を口走ってしまったと思う。」
「自信?」
「この間、お前と寝たとき。俺も久しぶりだったし、お前が凄い……普段と違ったから……その……。」
「もう良い。恥ずかしいから。」
 沙夜はそう言ってお茶に口を付けないままそれを置いた。自分が淫乱だと言われているようで嫌だと思う。
「……私も悪かったわ。話を聞かないままで……。それに……そんなに自信を付けてしまったのも悪かったのかしら。」
「いいや。そこは直さなくてもいい。」
「……。」
「素直になった方がこっちも嬉しいから。これからもそうして欲しいと思う。」
 その言葉に芹の頬が赤くなる。これからもこういうことがあるかもしれないと言っているようだから。
「……どうやってここを知ったの?」
 沙夜も誤魔化すように芹に聞いた。すると芹は携帯電話を取りだして、その画面を見る。
「ここは来たことがあるから。」
「でもここはあまり知られていないと思ったんだけど。」
「腕の良い彫り師がいるんだ。」
 普通の公衆浴場は入れ墨をしていたら入れないこともある。だがこの辺のような辺鄙な温泉街は、そういう事に目を瞑っていることが多い。そうしないとやっていけないのだ。
 それに合わせるように、昔ながらの彫り師が住んでいる。ヤ○ザが入れ墨のメンテナンスをするのにいるのだろう。
「彫り師……。」
 そう言えば芹の肩には入れ墨がある。それを入れるのにここにいたことがあるというのだろうか。
「俺に良いっていう柄を入れてくれた。もっと広い範囲で良いと思ったけれど、これで十分だと。」
「どうして入れ墨なんか入れたの?お洒落じゃ無いでしょう。」
 すると芹は目の前にあるお茶の入った湯飲みを手にする。そしてそれを一口飲んだ。喉がカラカラなのは、緊張していたからだろう。
「……二度と人を好きにならない。その決意からだった。だけどそれは無理だったんだ。あの彫り師が言ったことが正しかったんだろう。」
「何を言ったの。」
 あの彫り師は女性だった。和彫りをする女性は珍しかったと思う。化粧気の無い顔で、芹に言ったのだ。
「こんなモノを掘って恋をしないって決意をしても、そんなことは出来ないと思うよ。あんたは絶対また人を好きになる。男か女かはわからないけどね。だってあんたの目は、まだ人間に希望を持っているように見えるから。」
 どこかで芹も思っていたのだ。だから沙夜を好きになった。そして誤解を解きたくてここまで来たのだ。このまま別れたくなかったから。
「夕べ、沙菜は俺がピアスをしていたのも気がついていた。お前から送られたモノだとは薄々気がついていたようだ。だから……。」
「沙菜は、元々人のモノを取るのが好きな子だから。今まで不倫だって何度繰り返したかわからない。」
「……。」
「私に親しくなろうとした男は特にそうしたかったみたいだわ。」
 沙菜も嫉妬していたのだろう。だから芹にキスをした。考えてみればそんな簡単なことだったのだ。そんなことで腹を立てたり、家を出たり、携帯電話の連絡を取らなくなったり、恋をすると忙しいモノなのだ。
「沙夜。俺はお前を離したくない。好きだから。」
「うん……。」
「だからお前も俺を離すな。」
「……私も好きよ。あなたのことが……誰よりも……。」
 眼鏡を外して、涙を拭った。すると芹は立ち上がると、沙夜のその濡れている頬に手を伸ばした。そしてゆっくり屈むと、その唇にキスをする。夕べのことを払拭させるように。
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