触れられない距離

神崎

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栗きんとん

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 山を下りて駅で一馬と別れた。その前に一馬は、その駅前で売られていた川魚の一夜干しを買う。それで妻と仲直りをしようと思っていたのだ。それでも妻とその妻の両親に対して、何が出来るわけでは無い。ただ一馬は妻を失いたくなかった。それから子供も失いたくない。
 だから両親のことは置いておいても、一馬の方から妻に謝ろうと思っていたのだ。そのために手土産を用意する。それくらいはしておきたいと思っていた。
 その様子を見て、沙夜は羨ましいと思っていた。一馬のような人が夫になってくれると楽なのかもしれない。一方的に自分が悪いとか、相手が悪いとか思うのでは無く、自分にも相手にも非があって誤る姿勢があるのは円滑な人間関係のこつかもしれない。沙夜はそう思いながら、電車の中で携帯電話を開いた。そこには相変わらず芹からの着信やメッセージが届いている。それに答える必要があるのだろうか。沙夜はそう思いながら、キャリーケースを自分に引き寄せた。
 明日、西川辰雄の所へ行こうと思う。そのためにワインを用意したのだ。それを受け取りに行ってくれたのは芹だ。芹も行く気だったから。
 だが明日は一人で行こうと思う。だから芹にもその旨を伝えないといけない。そのために携帯電話を取りだした。
 決して芹に連絡を取りたいからでは無い。好きだからでは無い。芹が好きなのは違う人なのかもしれないのだから。
 メッセージを送り、沙夜はその流れる景色を見ていた。思ったよりも時間がかかってしまったが、夕食前には現地に着きそうだと思う。

 電車を乗り継いで、やってきたのは皮の側にある温泉街。と言っても相当寂れていて、知る人ぞ知るという感じだろう。
 地元の人が毎日のように公衆浴場の温泉に入る。家にも風呂があるが、たまに足を伸ばして温泉に入るのだ。その横では間欠泉を利用した蒸し料理が出来るらしい。そこで野菜や魚を蒸すと、塩味がほんのりついて美味しいのだ。
 宿ではいつもそう言った料理が出る。良い所なのだが、交通の便の悪さと、認知度であまり客はいないのだ。
 宿について部屋に通される。沙夜はここに毎年来ているので、女将さんも大将も顔見知りなのだ。毎年一人でやってくる沙夜に、深いことは聞かないがいつも女将さんは送り出すときに「来年は二人で来たら良いのに」と言ってくれる。二人とはつまり、恋人が出来たら来いと言うことなのだろう。
 芹がいればそうなったかもしれない。だがそれももう叶わないのだ。
 料理が出てくる前に一度風呂に入ろう。沙夜はそう思いながら、下着や浴衣を用意する。そしてタオルを手にして部屋を出ようとしたときだった。
 携帯電話の音が鳴る。それはメッセージだった。手にして相手を見るとそれは芹だった。
「どこにいるんだ。」
 そのメッセージに沙夜は答えることは無いと携帯電話をテーブルに置いた。だが一馬の言葉が心に残る。
「どんなにひどいことをされても芹を思っている。」
 確かにそうかも知れない。あの時一馬は芹に対してひどいことを言った。あまり人の悪い所を言わない一馬だが、あの時はわざとだったのかもしれないと思える。そして確かめたいと思ったのだろう。
 沙夜は再び携帯電話を手にすると、窓に近づいた。外は寒くて、雪が降りそうだと思う。そして少し暗くなってきていた。
 そのドアを開けると、沙夜はその外に向かって写真を撮った。川と、温泉の湯気が写っている。この画像を芹に送った。この情報だけでどこにいるのかわからないだろう。それに会いたければ、明日西川辰雄の所へ行けばいい。本当に謝罪をしたいというのであれば、他人の前でも頭を下げられると思うから。
 そう思いながら、沙夜は携帯電話をテーブルに置くとそのまま鍵を手にして廊下へ向かった。

 温泉から上がると、食事が用意されている。旅館にあるような豪華な料理では無いが、それでも満足だった。特に川魚は普段口にすることは無い。
 普段料理をして自分で食べているのだ。用意されることはあまり無い。だから正月くらいは楽をしたいと思って、いつもここに来ているのだ。上げ膳下げ膳は年に一度くらいあっても良いと思う。
 その時携帯電話にメッセージが届いた。その相手を見て沙夜は携帯電話を置く。相手は母だった。
「今年も帰らないの。一度くらいは顔を見せなさい。お祖母さんの墓に手を合わせるくらいは出来るでしょう。」
 わかる。そこだけは気がかりだった。ずっと祖母の墓には手を合わせていないが、家に行けば「いつまで仕事をしているのか。」「○○ちゃんのところはもう二人目の子供が出来る」「○○君は××っていう企業に勤めていて、独身になったのだから」とかさっさと結婚させようという魂胆が見え見えで萎えそうだ。
 だが芹のことを考えると、お見合いというのも悪くないのかもしれない。全く知らない相手と一緒になるのだ。一緒に住めば、相手の良い所も悪い所も見えてくる。そこから始まる恋愛もあるかもしれない。
 それでも沙夜はまだ「二藍」を捨てることは出来ない。
 そう思っていたときだった。
「泉さん。」
 窓際にある籐で出来た椅子に腰掛けていた沙夜は、外から聞こえる女将さんの声に反応した。
「どうしました。」
「お客様が見えているんだけど、お通しして良いのかしら。」
 ここへ来ることは誰にも言っていない。芹には画像を送ったが、あんな画像でここがわかるとは思えなかった。誰がここに来たのだろう。沙夜は戸惑いながら、少し頷いた。
 すると女将さんは一度下がり、再び部屋にやってくる。そして女将さんの後ろには芹の姿があった。
「芹……。」
「お前なぁ……。」
 すると女将さんは少し微笑んで沙夜に聞く。
「この方はここに泊まるのかしら。お布団は二つにする?それとも一つで良いのかしら。」
 すると沙夜は首を横に振って言った。
「一つで良いです。この人はすぐ帰りますから。」
「沙夜。」
 どう見ても痴話喧嘩だ。女将さんはそう思いながら、少し笑いながらその場をあとにする。本当だったら食事を用意するのか、布団を用意するのか、それを聞かないといけない。場合によっては追加の料金がかかるのだから。
 だが今はそれを聞けない。それでも沙夜のことなのだ。必要だったら声をかけてくれると思うし、食事だって無理は言わないだろう。
「泉さんのお客さんは男だろう。」
 大将は前掛けを取りながら、女将さんに聞く。男っ気の一つも無かった沙夜に男の客を連れてきたというのが嬉しいのだ。
「どんな男なんだい。」
「なんかもっとしゃんとしろって言いたくなるような男だよ。良く泉さんについて行けるねぇ。」
「痴話喧嘩でもしているのか。」
「かもしれないって事だよ。あんた。なんか食べれるものがあるかね。」
「あぁ、食事って言われれば、簡単なモノだったら出来るよ。」
「それでいいんだよ。言われれば用意する。言われなければ出て行く。お客にどんないきさつがあろうと、関係ないんだから。」
「そんなモノかね。」
 この温泉街自体、古くて寂れている。温泉自体は悪くないが、PRが下手なのだろう。来る客も不倫カップルとか、そういったモノが多い。そうなれば客の深い所までは聞いてはいけない。
 沙夜もそういう事なのだろう。年頃になったのだから。女将さんはそう思いながら布団部屋へ向かう。
 布団の予備くらいは用意してやろうと思う。
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