触れられない距離

神崎

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栗きんとん

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 目を覚まして起き上がると、リビングへ向かう。だが翔も沙夜の姿も無かった。どこかへ行ってしまったのだろうか。
 夕べのことを弁解したかったのに、その弁解もさせないまま沙夜はどこかへ行ったのだろうかと思うと、やるせない気分になる。
 キッチンへ向かおうとしたときだった。ダイニングテーブルにメモ紙が置かれているのをみた。そこには芹に当ててメッセージが書かれている。
「出る前に部屋を掃除しておいてくれ。」
 翔の両親は芹の部屋で寝泊まりをするのだ。元々芹はあまり荷物が多い方では無いし、和室で布団を二つ並べても窮屈さは無いからだ。
 どちらにしても布団は干しておいた方が良いだろう。それからシーツを掛けておいた方が良い。ヨーロッパの方がおそらく寒いだろうが、こちらの冬もまた寒いのだから。
「おはよう。」
 後ろを振り向くとそこには沙菜の姿があった。沙菜も寝起きらしいが、ちゃんと着替えている。今日実家へ帰るらしい。
「おはよう。沙菜。お前、夕べ……。」
「……悪いことをしたとは思ってないわよ。あたし。」
 沙菜はそう言って台所へ行くと、用意されている鍋の中を見た。そこには雑煮を食べる為の汁が残っている。
「合意が無くてして……しかも沙夜にも翔にも誤解させただろう。」
「芹だって責任があるんだからね。」
 その言葉に芹は驚いて沙菜をみる。
「何で。」
「当たり前じゃん。AV男優になれるって言われた。なんて言われたら少し味見をしたくなるのは当然でしょ?」
 その言葉に芹は頭を掻いた。確かに不用意だったかもしれない。ただ素直に言葉を言えば良いというわけでは無いのは二十六年も生きていて、そういう事もわかっていたのに沙菜に少し気を許しすぎたのかもしれないのだ。
「かといって二人の前ですることか。撮影とか別の男ならともかく同居してるんだから。これから先のこととか考えてんのか。」
 すると沙菜は首を横に振った。
「姉さん少しいい気になってるから、煮え湯を飲ませたかったの。」
「は?」
 その言葉に芹は驚いて沙菜を見る。
「翔とクラブに行って来る?翔がどんな気持ちでいるのかもわからないで、のこのこクラブに行くのよ。さっさと翔とすれば良いのに。」
「……やけになるなよ。」
 セックスをしたいのは翔だけなのだろうに、翔は沙菜のことを見ようともしない。だからやけになったのだろうか。
「姉さんっていつもそうだったの。あたしが好きになる人は大体姉さんを狙ってて。でも姉さんは全く関心が無さそうで。男が嫌いな女なんかいるのかって話じゃ無い。」
「そういう女もいるだろう。」
 つまり沙菜はずっと嫉妬していたのだろう。自分は飾り立ててやっと男がちやほやしてくるのに、何もしていない沙夜に言い寄られるのが気分が悪いのだ。
「だからって二人に見せつけるような真似をしてどうするんだ。ますます翔もお前に振り向かないだろう。」
「姉さんとの関係を考えないで遊びに行くような男は、こっちから願い下げだわ。」
 沙菜もまた意地になっているような気がした。
 だが芹は一刻も早く沙夜に弁解をしたかった。部屋には沙夜がいないようだが、このまま西川辰雄のところへ行くのだろうか。自分も明日、そちらへ行きたい。そうすれば誤解は解けるかもしれないのだから。

 初詣へ行って、沙夜はそのまま駅へ向かうという。手にはキャリーケースが握られていた。アーティストと担当が初詣へ行くのは不自然かもしれないが、家は近くだと言うことは知られている。たまたま初詣で会ったというのは、不自然な話では無い。それに翔が駅まで送るというのも別に不自然では無いだろう。
「帰ってくるのは三日?」
 翔はそう聞くと、沙夜は頷いた。
「明日、西川さんのところへ行って泊まるから。」
「今日は西川さんは?」
「奥様の実家の方へ行くって言ってたから。」
 家はあまり空けられない。なんせ鶏の世話を年中無休でして居るようなものなのだ。おそらく出来る限りの世話をしたあとに、さっと奥さんの実家へ行ってすぐ戻ってくるのだろう。そうでは無いとたまに野生の動物が鶏を襲うこともあるのだ。
「それで山か。」
「お土産を買ってくるわ。それから……。」
 本当は西川辰雄のところへは芹も一緒に行くつもりだったのだろう。だが夕べのことがあって、沙夜は芹に遠慮したのだ。沙菜とそういう関係であれば、誘った自分が馬鹿みたいだと思うから。
 あの海辺での行為は、夢だったのかもしれない。そう思わないと遊ばれていたと思ってしまう。それだけは避けたいと思った。
「実家へは帰らないんだね。」
 すると沙夜は首を横に振った。
「いつも嫌みを言われて。このところお見合いをさせようと必死なのがわかるわ。」
「お見合い?」
「孫の顔が見たいって言っていたけど、多分それだけじゃ無いから。」
 娘二人は自分の思った道に歩ませることは出来なかった。だから孫に希望を持たせようとしているのは目に見えてわかる。若いうちに結婚をさせれば子供が出来る可能性だって大いにあるだろう。
 その子供が男でも女でもかまわない。自分が思う道を歩ませたいと思った。
「それはつまり芸能人的な?」
「モデルでも、役者でも良いみたい。つまりちやほやされているその親族、まぁ……母親なり祖母なりになりたいと思っているみたいで。」
「……そんなに良いモノじゃ無いと思うけどな。」
 遥人を見ればわかる。遥人の家は芸能一家だ。それに嫌気がさして、遥人の兄は芸能の道に行かなかったと聞いている。なんせ、時代もあったのだろうが、父親の浮気とか母親の不倫の話題を取ろうと、家にリポーターやマスコミが張り付いていたこともあったのだ。
 しかし遥人の父親も母親もその辺はうまくやっている。尻尾をつかめないまま、その話題に飽きた視聴者を見て、やっと家から手を引いてくれたのだ。
 だが家を出たり孵ったりする度に、リポーターからマイクを向けられる。それが相当嫌だったのだ。だから兄は高校を出て大学を出てまともな仕事に就いた。そして結婚をして子供も出来ている。一般的な家庭を作り上げたのだ。
「沙菜は……ほら、あぁいう仕事をしているからまともに結婚でも出来ないだろうと思っているみたい。だから私に希望を持っているわ。でも……芹がいるんだったら、別にそんなに希望を持たない理由は無いと思うけどね。」
 言い聞かせているように見えた。明らかに夕べのことはショックだったのだろうに、沙夜はもう口にも出さない。そんな沙夜の支えにはなれないのだろうか。翔はぐっと拳を握りしめて、沙夜に言う。
「沙夜。俺さ。」
「……。」
「好きなんだ。」
 その言葉に沙夜は少しため息を付く。そして翔を見た。
「ここで私が断っても、受けても、地獄だと思わないかしら。」
「……だと思う。だけど止められないから。」
「……。」
「芹に嫉妬してた。「二藍」の仲間はそんなことを思わないけど、芹だけは違うと思う。」
「結果……その翔の考えも違ったのね。」
「……。」
「だけど、私はあなたと付き合えない。さっきも言ったけれど、どっちの選択肢を選んでも地獄だわ。」
「良いんだ。付き合いたいとは思うけれど、付き合えないなら気持ちを言うだけでかまわない。少しすっきりしたよ。」
 その言葉に沙夜は少し笑った。翔らしいと思ったからだ。
 そして駅に着いた。駅は帰省客なんかで普段より多いように見える。
「じゃあ、私は行くわね。」
「うん。行ってらっしゃい。」
 改札口へ行こうとしたときだった。その視線の先に、沙夜は目をとめた。そこには天草裕太の姿があったからだ。そしてその横にはベビーカーを押した女性がいる。長い髪の女性は、アンニュイな雰囲気がした。
 それが紫乃だったのかもしれない。そう思って沙夜は、急ぎ足で改札口を抜けると別のホームへ向かった。
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