触れられない距離

神崎

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雑炊

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 ギリギリ終電に間に合って、沙菜と芹は家に帰ってきた。駅前はこの時間なのに人が多かったと思う。
「初詣に行ってきた客でしょ。」
 沙菜はそう言って脱いだコートをソファーに置く。
「ちゃとかけておけよ。翔がうるさいぞ。」
「あとで。ねぇ。何か作り置きって無い?」
 その声に芹は冷蔵庫を開ける。だが明日、翔の両親が帰ってくるのを見通して沙夜が用意していたのはおせちだけだった。
「おせちしか無いわ。」
「え-?お腹空いたのに。」
「お前晩飯は食ったって言って無かったっけ?」
 確かに会場へ行く前に、ファーストフードでサンドイッチを食べたのだがやはり動いたからだろう。お腹がグウグウ言っていたのだ。
「芹はお腹空いてないの?」
「がっつり食べると眠くなるし。」
「寝るだけでしょ?」
「仕事を出来るだけ進めておきたいんだよ。明日はゆっくりここに居れないし……。」
「作詞の仕事ってそんなバタバタするモノなの?」
 沙菜はそう言って少し不思議に思っていた。芹は不自然な仕事が多い気がしたから。それに「二藍」のメンツが来たとき、芹は「フリーライター」だと名乗っていた。嘘だろうと思っていたのだが、案外嘘では無いと言っていたのはおそらくライターの仕事もしているからだ。
「ライターの方の仕事な。」
「ライターもしてるのは本当なんだ。」
「嘘を言ってどうするんだよ。」
 そう言って冷凍庫を開ける。いざというときに使うための冷凍ご飯があった。
「冷凍ご飯があるな。焼きめしなら……。」
 だがこれから焼きめしというのもキツいモノがある。食材を見ていたら自分も食べたくなった。二人分、何を作ろうかと思う。
「雑炊でも作るか。」
「良いねぇ。賛成。手伝おうか?」
 沙菜がそう言うと、芹は首を横に振る。
「良いよ。お前は風呂を用意しておけば?」
 芹はそう言って冷蔵庫から鮭フレークとネギ、それから卵を用意した。沙夜ならもう少し材料を入れたりするのかもしれないが、芹一人では心許ない。
 鍋に水とだしの素を入れて沸騰させる。その間にネギを刻み、卵を二つ割る。そしてそれを溶いていく。
「手際が良いね。」
「これくらいで?」
「あたし出来ないもん。卵割るのも出来ないのって姉さんから言われてさ。」
 母親からいつも言われる。家事の一つも出来なければ、嫁に行っても苦労するだろうと。それ以前に嫁に行けるかどうかも怪しいのだが。
「卵くらいは割れると良いな。」
「殻がいつも入っちゃって。」
 餃子も包めない。卵も器用に割れないのだ。沙夜がいるから何とかなるが、もし一人ならどうなることかと思う。
「卵は、なるべく平坦なところで割ると良いってさ。」
「え?そうなの?いつもほらお茶碗の角とかで割ると思ってた。」
「なんかわからないけど、そっちの方が綺麗に割れるんだってさ。」
 お湯が沸いて、レンジにかけて解凍させたご飯を取り出すとそれを鍋の中に入れる。そして鮭のフレークを入れた。
「これも姉さんから習ったの?」
「いいや。これは……。」
 紫乃が教えてくれた。紫乃はあまり料理が得意な方では無かったが、これは社会人になった芹が無理矢理の未開に連れ回されて二日酔いになったときに作ってくれたモノだった。
 ただの卵雑炊よりも、鮭を入れると鮭の塩味で美味しくなる。
「昔の女?」
「……そうだよ。」
 前よりも話せるようになった。それは沙夜と体を重ねたからかもしれない。紫乃を忘れたから、前の女のことを沙菜に話すことが出来る。
「芹ってあまり前の女のこととか話さないよね。」
「嫌なんだよ。良い思い出って訳でもないし。良い思い出に出来る別れなんか無いだろ。」
 すると沙菜は少し笑って言う。
「そうかもね。」
 沙夜に偉そうに「男を作った方が良いよ」なんて言えない。自分だって本当に好きな人と恋人になったことなんか、数えるほどしか無い。それに自分が本気で好きになった人は、いつも沙夜の方を向いていた。それがいつも悔しい。
「一晩限りとかなら……。」
「え?遊ぶこともあるの?」
 驚いたように沙菜が言うと、芹は鍋の蓋を開ける。大分米に水を吸ったようだ。
「いくつだと思ってんだよ。俺を。」
「そっか。翔よりも年下だったもんね。」
「……でもそう言うのって排泄作業だよ。感情なんか無くって……一度抜いたらそれでいいって思う。」
 本当に好きな相手とは何度だってしたい。そしてその相手が沙夜なら尚更良いと思う。沙菜では意味が無い。
「で、最近は抜いたの?」
「は?」
 刻んだネギを散らしてその中に溶いた卵を入れる。そしてしばらく火にかけているとふわふわの卵になる。
「だって最近芹ってばつやつやしてるんだもん。ピアスなんか付けてさ。」
「別にこれは……昔もらったヤツ。フェスだし、ちょっと付けていこうかと思って……。」
「またまた。誤魔化さなくても良いから。」
 火を止めると、芹はそのまま食器棚から器を取り出す。そしてその出来た雑炊をその器の中に入れた。
「いらないことを言わないで良いから、さっさと食って風呂入ってお前は寝たら?肌のコンディションとかあるんだろ?」
「ふふん。誤魔化しちゃって。」
 沙菜はそう言って器とスプーンを手にしてダイニングテーブルにそれを置いた。そして時計を見ると、もう深夜の時間だ。
「それにしても姉さん達遅いねぇ。」
 その言葉に芹は思わず器を落としそうになった。その様子に沙菜はその相手が沙夜であることを確信した。芹が沙夜と付き合ってくれるのは都合が良い。そうすれば翔がこちらを振り返ってくれるかもしれないのだから。
「イベントに行くって言ってたじゃん。」
「そのあとにホテル?」
「そんなわけ無いだろ。」
 翔が誘っても沙夜はそれに付いていくだろうか。あれだけ好きだとかと言っても、ホイホイついていくような女には見えない。だが女とはわからないものなのだ。
 ハッテン場でナンパした女だって、ナンパにホイホイついていくような女に見えなかったりするが、そういう女の方が「もっと、もっと」と性欲が強い気がする。
「美味しいね。これ。お醤油とか入っているの?」
「少しな。でも塩味はこれくらいで十分かな。」
「芹って、あまり濃い味に慣れてないよね。」
「母親のおかげかな。」
 それだけは感謝する。だが今年も実家には帰れないだろう。迷惑がかかるだろうから。
「うちの母親ってさ。スーパーの惣菜とかレトルトとかばっかりだったのよ。」
「え?」
「あたし達が仕事をしてたのもあって夜遅くなることもあったし、用意が出来ないって言ってたけど、本当は料理が苦手なのよ。」
「沙夜は出来るじゃん。」
「だから母さんは姉さんが嫌なのよ。これ見よがしに料理して嫌みかって。」
 そんなつもりで作ったのでは無い。ただ沙夜にとって料理はピアノから離れる唯一の息抜きだった。それを母親には嫌みにしか取られなかったのだ。
 多分明日、実家に帰ってもおせちなんかは買ってきたものだろう。沙夜のように昨日から用意をしたりはしないのだ。しかも翔の両親のために用意しているのは、まるで翔の両親に気に入られたいようにも取られる。
「あたしは全然料理出来ないからさ。多分母親に似たんだろうね。」
「努力次第だろ。」
「え?」
 すると芹は雑炊を口に入れて、沙菜に言う。
「俺だって別に料理なんかってタイプだったし、食えれば良いから補助食品なんかで生きていた時期もあるし。」
「……。」
「でも食べなきゃ生きていけないんだ。そんで、どうせ食べるんなら美味いモノの方が良いに決まってるよ。」
 その言葉に沙菜は少し頷いた。そしてまた雑炊にスプーンを入れる。
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