触れられない距離

神崎

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雑炊

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 リリーという声が響く中でリリーはバンドのメンバーに挨拶をし、観客に頭を下げる。紗理那のステージでは無かった光景だ。すると客も惜しみない拍手が送られる。そしてステージの脇へ入ってくると、「二藍」のメンバーがいるのをみて少し笑った。だが何も言わずに控え室へ戻っていく。その視線は「自分よりも客を盛り上げられるのか」と言わんばかりだ。
 これを企画したイベンターが何を思っているのかわからない。ぽっと出てきて人気がある「二藍」の前にリリーを持ってきたのだ。本来なら順番は逆だと思う。キャリアが上のリリーが本来なら最後に来るのが当然なのだろう。
 リリーはそれを最後までイベンターに主張したらしいが、イベンターは「二藍」を最後の方へ持ってきた方が盛り上がると踏んだのだ。それは音楽のジャンルからかもしれない。
 ハードロックだけでは無いことをこの間のクリスマスで「二藍」が証明してしまったからだ。
「お、一馬。」
 管楽器を演奏するモノもステージに上がっていたようだ。トランペットやトロンボーンを持った男達が、一馬のところへやってくる。
「どうも。お久しぶりです。」
 加藤啓介のステージで一緒に演奏した人達だと一馬は思いながら頭を下げる。
「お前、有名になったなぁ。」
「まだ表を歩けるくらいですよ。」
 背中にベースを背負い、手にはコードが握られている。まだステージではリリーのステージの片付けをしているからだ。
「昔はほら、ライブバーで他のベーシストの代わりとかだったのに。」
「確かに。」
 笑いながら話をしているが、この男達も一馬に敵意を示している。言葉はあまり好意的では無いからだ。
 おそらく「二藍」で有名になった一馬と、まだスタジオミュージシャンの枠から抜けられない自分たちに差を付けられていると思っているからだ。
「管楽器が必要だったら言ってくれよ。いつでも駆けつけるから。」
「えぇ。その時はお願いします。」
 一馬はそう言って男達を見送った。そして一馬はため息を付く。
 これだから信用出来る人間は選ばないといけないのだ。こういうときにバンドを組んでいて良かったと思う。前のバンドのときには自分が未熟だったのもあり、バンドのメンバーに騙されたところがある。だから二度とバンドは組まないと思っていた。
 だが今の「二藍」のメンバーは何も考えずに信用出来る。家族のことまで相談が出来るのはもはやメンバーと言うよりは友人に近いだろう。だから一馬のことも心配してくれるし、一馬もメンバーのことを心配する。アドバイスを送ることもあるし、逆に送ることもある。前のメンバーならなんだかんだと言って半分くらいしか聞いていなかっただろう。なのにこのメンバーはお人好しなのだろうか。真剣に聞いてくれて、それで言い合いをすることもあるのだ。
 このメンツで良かったと思う。
「「二藍」さんセッティング出来ます。」
「はい。」
 スタッフから声がかかり、沙夜も機材を持ってステージに上がる。ドラムのセッティングは治が一人でする。治には治のこだわりがあるからだ。
 だが翔のセッティングは沙夜や遥人の手も借りないと出来ない。機材が多いからだ。ステージは薄暗く、逆に客席は明るい。ぞろぞろと人の出入りがあるようで、中には遥人や翔の姿が見えた人もいるのだろう。二人に声援を送っている。だがまだステージが始まったわけでは無い。二人は軽く手を上げるくらいで、あとはセッティングに集中している。
「沙夜さん。このコードってここだっけ?」
「そう。」
「しかし、コードが多いな。全部使うのか?」
 遥人はそう聞くと、翔は頷いた。
「あぁ。ソロもあるし。」
「ふーん。あ……マジか。」
「どうした。」
 翔は手を止めて遥人のところへ向かう。すると遥人が手にしているコードの継ぎ目にひびが入っていた。それは以前のように人為的なモノでは無く、ひびであることを考えれば劣化だろう。
「これ、使って大丈夫か?」
「駄目だ。予備があると思うけど……最悪、別のコードを曲の間に付け替えるか。」
「駄目だ。曲と曲の間はあまり時間が無い。十秒もしないで付け替えれるか?」
 その言葉に翔は少し言葉を詰まらせた。こんなコードを持ってきたのは自分が悪い。だが失敗を悔やんでも仕方ないのだ。だからどうするのかが重要なのだから。
「沙夜さん。コードにひびが入ってる。」
 すると沙夜も驚いたように遥人の側へ行く。するとそのコードをみて、頷いた。
「車に予備があるわ。持ってくる。」
「え?いける?あと十分くらいしか無いけど。最悪遅らせる?」
「自分たちのライブならそれで良いかもしれないけれど、今はフェスなのよ。時間を遅らせられない。急いで行くわ。」
 車の鍵が入っているバッグは持ってきている。走って行けば大丈夫なはずだ。そう思っていたときだった。
「俺も行くよ。」
 遥人がそう言ってきた。しかし沙夜は首を横に振る。
「栗山さんがいなかったら成立しない。」
「いいや。最悪インストで繋ぐことは出来る。でも翔の音が無ければインストも出来ないだろう。」
 それもそうか。沙夜はそう思いながら、頷いた。
「わかった。行きましょう。」
 そう言って二人はステージを降りていく。そしてスタッフが驚くくらい焦ったように、ステージ脇、廊下を抜けて会場の外へ向かった。
 暖房が効いている中とは違い、外は身を切るように寒い。Tシャツ一枚の遥人も、暑くてジャケットを脱いでいた沙夜も、少し後悔するように思うくらいだ。
「寒いなぁ。」
 駐車場は一般向けのモノは会場から離れている。だが関係者はすぐ近くの駐車場に停めることが出来ているし、会社の車は目立つので暗くてもすぐにわかりその車に近づくと鞘は車の鍵を取りだした。
 だが鍵を取り出そうとして思わずその鍵を落としてしまった。すると遥人は少し笑って、その鍵を拾う。
「落ち着いて。まだ間に合うから。」
「ごめん。私があなたに元気づけられているみたいで。」
「お互い様だろう。」
 鍵を開けてトランクを開ける。そこには黒いボックスがあり、その中には予備の機材が入っている。壊れているとか断線していることを考えての事だ。それは沙夜の考えからかもしれない。
「……暗くて良くわからないわね。」
「沙夜さん。携帯持ってる?」
「えぇ。」
 すると沙夜は携帯電話を取りだして遥人に手渡した。すると遥人はその携帯電話のライトを付ける。そして沙夜の手元を照らした。
「わかる?」
「ありがとう。」
 こんなことはいつもの沙夜だったら頭が回るはずだ。だがそれを考えられないほど焦っていたに違いない。
「……これね。」
「大丈夫?長さとかつなぎ目とかは。」
「大丈夫に見えるわ。でも音が出なかったりしたら……。」
「その時はその時で翔が考えるよ。あいつもプロなんだから。」
 その言葉に沙夜は少し笑った。
「そうね。そうだったわ。」
 自分が手を差し伸べすぎたのかもしれない。沙夜はそう思いながら、そのコードを手にするとボックスを閉めた。車のトランクを閉めると、遥人は携帯電話を沙夜に手渡す。
「でも俺らは沙夜さんがいて、助かってるんだ。演奏するのは俺たちだけど、演奏をしやすいように、歌いやすいようにっていつも考えてくれてる。とてもありがたいと思うよ。」
「……やだ。何も出ないわよ。」
「ふふっ。」
 少し沙夜に余裕が出てきたようだ。そして車の鍵を閉めると、二人はまた会場へ向かう。時間はギリギリのはずだ。
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