触れられない距離

神崎

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鰤のあら煮

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 家に帰ってきて、靴を脱いでも芹の姿は無い。部屋に居ないのかと思ったが、靴はあった。部屋で寝ているのかもしれないと、沙夜は芹のいる部屋を覗いた。すると芹はノートパソコンの前で、キーボードのキーを叩いている。仕事をずっとしていたのだろう。
 寝ていないで仕事を真面目にしている。そう思って沙夜は邪魔をしないようにそっとドアを閉めると、自分の部屋へ向かう。そしてコートを脱いでそのままジャケットも脱いだ。確かに寒いが、台所に居れば割と温かい。火を使うからだろう。
 リビングへやってきて、電気を付けると台所の電気を付けた。そしてエプロンを身につける。
 お湯を沸かすのに二つの鍋を用意した。一つは大根を茹でるため。もう一つはぶりのあらをさっと湯通しするため。その間ゴボウを取り出した。思ったよりも大きなゴボウだと思う。
「四分割くらいにしないとなぁ。」
 いつも芹が横に居てくれた。それで沙夜を手伝ってくれていたのだ。それに慣れてしまったからかもしれない。沙夜もここに立つと独り言が多くなった気がする。
「いけない。」
 慣れてはいけないのだ。元々一人でしていたことなのだから、芹が居ると思ってはいけない。そう思いながら、ゴボウを切っていく。
 鉛筆くらいの太さにすると、五センチくらいに切っていく。そして水にさらすのだ。そして大根は半月切りにする。多少多めでも明日まで食べられるのだ。一本まるっと使うことは無いが、三分の二くらいは使おう。
 お湯が沸いて大根を下ゆでする。そしてもう片方ではぶりをさっと湯通しして、そのあとに水にさらして血合いなどを取り除いていく。地味だが、それがこのぶり大根を美味しくするのだ。
 その時だった。
「帰ってたのか。」
 リビングの方を見ると、芹の姿があった。少し不服そうに沙夜の方に近づいてくる。その様子に沙夜は少し笑って芹を見た。
「どうしたの?」
「だってさ。声をかけてくれれば良いのに。俺も手伝うから。」
「仕事をしてたでしょう?」
「こういうのが気が紛れるんだよ。仕事を安請け合いしたのがまずかったかなぁ。」
 そう言って芹はエプロンを付けると手を洗った。そして沙菜が洗っているぶりのあらを見て苦々しそうに沙夜に言う。
「魚だ。」
「そうよ。たまには魚を食べましょう。」
「骨があるじゃん。」
「あなたには骨が無いの?」
 そう言って沙夜はそのままぶりをあげると、今度は大根をざるに移した。そしてその鍋に今度は別の水を張って火を付ける。
「ブロッコリーを出してくれる?」
「うん。」
 冷蔵庫の野菜室からブロッコリーを取り出す。それを房ごとに分けるとまた茹でるのだ。
「ブロッコリーは何にするの?」
「おかか和え。あとはニラと卵を炒めようか。ベーコンと一緒に。」
「やった。肉。」
「肉、肉うるさいもん。」
 それに卵が古くなってきているのだ。そろそろ使わないといけないだろう。それから汁物を追加したい。味噌汁の具は何が良いだろう。先程買った里芋も良い。それと白菜を合わせて味噌汁にする。そう思いながら、野菜を取り出していた。
「そう言えば、明日休みになったのよ。」
「こんな年末に休めるのか?」
「時間的にまずいんですって。休みが一日二日くらい取らないと時間がオーバーするからって。」
「芸能関係でそんなことが言えるかよ。芸能人ってほらみんなブラックだからさ。それに付いている担当だったら尚更だろ。」
「そうね。だからみんなサブを付けているのよ。「二藍」はサブを付けるほどまだ忙しくないけどね。」
 明日は沙夜が家にいるのだ。明日こそ、沙夜に渡せるだろうか。クリスマスイブのときに買っておいた贈り物がまだ芹の部屋にある。それを渡したいと思っていた。
 沙夜はそんなことを知らないままなのか、のんきに煮汁を作っている。砂糖、醤油、みりん、ショウガなどを入れた煮汁を煮立たせて、その中にぶりのあらを入れる。
「芹。その鍋にブロッコリーを入れて。」
「へい。へい。」
 先程とは打って変わって上機嫌だった。沙夜を独占出来るかもしれないと思っていたから。
 その時だった。
「ただいま。」
 リビングに翔が帰ってきた。コートを脱ぐと、二人がまた並んで料理をしているのを見てまた気分が悪くなるようだ。。
「お帰り。」
 だが沙夜のその一言でその不服は一気に消えた。それが新婚さんのようだと思うから。
「沙夜。明日さ。ちょっと時間が取れないかな。」
「時間?」
「大澤とちょっと合わせたいんだよ。例のスタジオで。」
 翔は最近会社が所有するスタジオに引きこもっている。ソロで出すアルバムの曲を煮詰めているのだ。歌入りのモノが出来たのか、その歌を大澤帯人に歌わせたいと思っていたらしい。沙夜なら一も二も無く行くというだろう。仕事を一番に大事にしているのだから。
 だが沙夜の表情は暗い。
「どうしたの?」
「明日休めって言われてさ。」
「休み?」
 そんな話は聞いていない。驚いたように翔が聞くと、沙夜は肩をすくませて言う。
「時間が少しまずくてね。働き過ぎるとほら……基準法なんかに引っかかるし。」
「あぁ……。」
 翔達は基本個人で動いている。だからどれだけ働いてもどこも突っ込まれるところは無い。だが沙夜は会社に所属しているのだ。あまり働き過ぎるのは良くない。
「貸しているスタジオは会社のモノだし、そこに行くと働いたって言われるから。」
「そっか。だったら……別のところで聴いてもらっても良いんだけど。例えばここでとか。」
「それはばれるとあなたまでまずくなるわ。明後日からまた仕事だし、その時じゃ悪いかしら。」
 沙夜はこういうところが融通が利かない。駄目と言われていることは沙夜にとって本当に駄目なのだ。正攻法で「二藍」を勝負したいという気持ちは、「二藍」のメンバーも一緒なのだろう。だからこそ、沙夜は会社を裏切るようなこともしたくなかった。
「わかった。じゃあ、明後日で良いよ。明日録音しておくから聴いてもらえる?」
「えぇ。」
 翔はコートと荷物を持つと、自分の部屋へ向かった。だがその時ふと思い出す。
 明日沙夜は休みだ。ということは芹とずっと一緒なのだろう。この家で何をしてもわからない。
 沙夜が芹と寝ることだって考えられるのだ。そう思うといてもたってもいられない。惹かれ合っているだけなら、まだ希望がある。だが寝てしまったら、付き合ってしまったらと思うと気が気では無い。
「……沙菜は……。」
 沙菜は明日はどうなっているのだろう。せめて沙菜がいてくれれば手を出すことは無いと思うのだが。そう思うと翔は携帯電話を手にして自分の部屋に戻る。そして電気を付けると、携帯電話で沙菜にメッセージを送った。
 すると返信はすぐに来る。
「明日は、地方にイベントなんだ。」
 当てが外れてしまった。やはりこの家で芹と沙夜が二人っきりなのだ。そう思うと、翔は先手を打ちたいと思う。
 クローゼットの中から取りだしたのは、細長い小さな箱。その蓋を開けると、シルバーのネックレスが出てきた。
 女性が好きそうなモノというのはあまり良くわからない。一緒に住んでいた志甫だって、あまりこだわりは無くて翔があげたモノだと言うだけで喜んでいたように思える。それは指輪でもネックレスでも、お菓子でも同じ反応だったように思えた。
 だが沙夜がどんな反応をするかはわからない。装飾品は苦手だと思う。だが一馬の奥さんも最初は装飾品が苦手だと言っていた。
 それなのにずっと一馬とおそろいのようなブレスレットを仕事以外であればしているという。そんなカップルが羨ましいと思う。そして自分たちもそうなれるのでは無いかと淡い期待を抱いていた。
 芹から明日手を出されるくらいなら、今日、沙夜に手を付けておきたい。キス一つくらいなら出来るかもしれない。音楽を口実にして。卑怯だと思う。だがそれしか無かった。
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