触れられない距離

神崎

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パウンドケーキ

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 写真撮影が終わり、楽屋では思い思いにそれぞれが過ごしている。その間沙夜と児玉、そして石森愛はディレクターと話をしていた。本番中も少し撮影を撮りたいと言い出したからだ。本来なら懸念するところだろう。フラッシュなどをたかれると困るからだ。
 だがそれで無くてもステージの上はライトが当たっている。だから邪魔にはならないと愛の主張で、ディレクターは許可をした。ついでに「PHANTOM」の写真も撮りたいと思っているのだろう。
 そして楽屋に帰ろうとした時だった。愛が沙夜に声をかける。
「泉さん。ちょっと良いかしら。聞きたいことがあるの。」
 その言葉に児玉も愛の方を見る。怪しいと思ったからだ。だが愛は少し笑って児玉に言う。
「別に変なことじゃないわ。さっきのシンガーソングライターのことを聞きたいの。」
「良い歌手だと思います。耳に残るようなキャッチーなメロディなのに、誰もが歌えるような曲では無いと思います。それに歌詞も良かった。」
 リハーサルで歌っているのを見て、沙夜は更にこの男を今度翔が出すアルバムで歌って欲しいと思ったのだ。だがシンガーソングライターと言うことは自分が作った曲を歌いたい人だろう。作ってもらった曲を歌うのは本意では無いと思う。
「あたしが押す歌手がもう一人居てね。良かったらそちらの西藤さんに紹介してもらえないかなと思ったの。」
 本来ならレコード会社が依頼をして、雑誌なんかに載せてもらうのが一般的なのだろう。だが愛はそれでは納まらない女なのだ。それに自分が良いと思った歌手を同調されるのが一番の楽しみなのだ。
 その癖が出たのかと、児玉は少し呆れたように愛を見ていた。
「俺、楽屋で少し話をしますよ。純さんの機材の話も聞きたいし。それからさっきのヤツは渡して良いですか?」
「えぇ。良いわ。」
 そう言って児玉は楽屋の方へ向かう。そして沙夜は愛と共に少し離れたエントランスへ向かった。
「さっきのヤツって?」
「リハーサルの間にそこにある有名菓子店でケーキを買ったの。良かったら持って帰って。」
「ありがとうございます。わざわざお気遣いいただいて。」
「他の人にもあげているモノだから、気にしないで。」
 エントランスの片隅には喫煙所がある。アクリルで仕切られたところには、先程翔に声をかけていたDJが煙草を吹かしながら、他のバンドの人達と話をしていた。こういうところでの交友は望むところだ。だが「二藍」は誰も喫煙者はいないし、不用意に楽屋を出ることもないのであまり他のバンドとは交友が無い。
 だから大型の音楽番組やコラボレーションをするようなラジオ番組での出会いを大切にしている。気が合えば連絡先を交換することもあるようだが、特に翔はそう言うことをあまりしない。愛想がよく見えて他人とは一線の距離を置いているようなのだ。人間不信がこんな所でも顔を出した。
「泉さんは、担当をしている人がもう一人居るでしょう?「二藍」だけでは無く。」
「バンドは一組だけですが。それでも手一杯でして。」
「いいえ。バンドでは無く人よ。「渡摩季」の。」
 その言葉に沙夜は言葉を詰まらせた。そうだ。この女性は芹のもう一つの顔である「草壁」の担当なのだ。そしてずっと付き合いのある女性で、芹は母のように慕っているという。
 だがどこで芹のことが漏れるかわからない。不用意には口に出来ないのだ。特にメディア関係の人でその辺は慎重にならないといけない。
「えぇ。確かに渡先生の担当もしています。詩集を出した時も、そちらの出版社との橋渡しをずっとしていました。」
 あの時は倒れるかと思った。「二藍」の活動が少しスローになった時期だったので余裕があるかと思ったが、芹は家を出たくないしメッセージを出版社と直接撮りたくないと言ってずっと沙夜がその橋渡しをしていたからだ。
 そのかいがあって詩集としては異例の売り上げと、増刷をしている。第二弾を出したいと思っている出版社だったがさすがに一人では無理だと思うし、芹も気乗りでは無かった。
「渡先生って……うちの草壁よね。」
 まさかこんなに直球に聞かれると思ってなかった。沙夜は少し動揺をしながら、愛の方を見る。
「何を……。」
「隠さなくても良いの。あたしだって草壁のことが世に出れば、草壁は……いいえ、芹君はもうここで書かないと言っていたのだし。だからあたしが必死に芹君の正体を隠している。あなたもそうなんでしょう?」
 もう誤魔化せない。芹には事後報告になりそうだが、沙夜はその言葉に頷いた。すると愛は少し笑う。
「やはりそうなのね。」
「そのことは他言を……。」
「えぇ。することは無い。それが世に出れば、芹君はまた姿を隠してしまうでしょうね。芹君はどんなことをしても生きる方法があるとわかっているのだから。」
 家を出てまたネット難民のような生活をするのだろうか。そう思うとぞっとする。
「それにしてもどうしてあなたが芹君と関わるようになったのかしら。あの女に騙されて、兄にも裏切られて、人間不信になっていたのに。」
 すると沙夜はぽつりと言う。
「同居をしてます。」
「一緒に?恋人だってこと?」
 それが一番意外だった。あんな形で女性が簡単に芹を裏切ってしまったのに、また女を捕まえて一緒に暮らしているというのだろうか。
「あぁ。そういう意味では無くてですね。」
 翔のことは言わない方が良いだろう。そう思って沙夜はオブラートに包むことにした。
「私と妹と二人である方の家でルームシェアをしているんです。そこに芹もやってきたんです。」
 ひどくガリガリに痩せていて、不健康そうに見えた。髪も伸ばしっぱなしで風呂すらいつ入ったのだろうという感じだった。着ているモノも薄汚れていて、本当にホームレスのような状態だった芹に、沙菜はさすがに「同居出来そうに無い」と言っていたのだが、それは徐々に無くなっていく。
 同居をしていれば毎日風呂に入るし、綺麗な服に身を包んでいるし、食事も沙夜が面倒を見てあの頃よりは少し太った。といっても標準体重よりはずいぶん下だが。
「それであなたが渡先生の担当に?」
「……えぇ。同じ屋根の下で暮らしているし、芹は割と他人と混ざることを嫌がっている節があって、私が担当をすれば都合が良いと。」
「それもそうか。一緒に住むくらいなら嫌がっているとは言えないわね。」
 納得してもらったようだ。それに少しほっとする。芹には何と言えばいいだろう。愛に会ったと言うところから始まって、渡摩季のことも知られてしまったとなると芹はブツブツと文句を言うかもしれない。
「芹君とはあまりあたしは会うことは無いの。連載はしてもらっているけれど、ほとんどメッセージのやりとりだけで終わっている。こっちが依頼をして、納期までに文章を収めてもらう。最初はリテイクばかりだったけどね。今はもうあまり言うことも無いわ。彼の文章は特徴的でね。渡摩季の歌詞を見た時、これは芹君の文章だってすぐにわかった。」
「SNSで芹が呟いていた短い文章でもわかったそうで。」
「えぇ。それくらいあたしも芹君の文章のファンなのよ。」
 胸がずきっと痛んだ。そこまで芹を想ってくれている女性なのだと思って。
「そうでしたか。」
「あなたは芹君の文章を気に入っていないの?」
 その言葉に沙夜は首を横に振る。
「名前からして女性だと思われているようです。そして芹の文章は捨てられた女の恨み節が多い。でもそれは性別を逆転させた芹の実体験だと聞いています。」
「えぇ。ろくでもない女に引っかかったわね。この業界でもあまり評判が良くない女性よ。」
「そうなんですか?」
 すると愛は少し頷いた。
「作家のゴーストライターを依頼するような担当は、あまり質が良いとは言えない。雑誌の編集長が何を言っているんだと言われかねないことだけどね。本当だったら、作家が書けないと言った時には、書けるように担当が声をかけるのが正規の方法。なのに別の作家に書いてもらうなんて、読者を馬鹿にしているわ。」
「音楽の世界でも良くあることです。スランプに陥ったアーティストが、別の人に依頼をして曲を作ってもらう。その曲は自分の名前で出す。そういう事もあるようですね。」
「「二藍」の曲は翔君が作っているの?」
「えぇ。あとは夏目さんが。」
「センス良いわ。翔君は。幅広く音楽を聴いているのがわかるもの。」
 それが少し誇らしく思う。だから翔の新しいアルバムも、期待を裏切らないようにして欲しいと思っていた。
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