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パウンドケーキ
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その頃、芹は包みを持って帰途に就いていた。白い包みは、細い紙袋に入れられていてワインか何かが入っているように見える。世の中のカップルがほとんどそうするように、芹もワインを買ったのだろうかと勘違いするような包みだった。
家に帰り着いて、芹は玄関の鍵を開ける。そして家の中に上がろうとしたときだった。沙菜の部屋のドアが開く。
「あら。今帰ってきたの?」
「うん。お前は今日イベントだっけ?」
「そうよ。ごめんねぇ。ご飯食べれなくて。一人でしょ?今日は。せっかくのクリスマスなのに。」
嫌みでは無いが、悪気の無いように沙菜は言う。その言葉にいちいち反応していられない。芹は首を横に振ると靴を脱いだ。
「クリスマスの前に年末だよ。くそ。三十一日までにどれだけ納期が迫っているか。」
「それなのに外出はするんだ。それ、何?ワイン?」
「うん。」
一馬の実家の酒屋へ行ってきたのだ。酒はざるだがそんなに詳しくは無い沙夜が、一馬に相談をして一馬の親族から選んでもらったワインは、あまり高くは無いが国産と言うこともあってこの土地で作られた食材に良く合うだろうと言われたのだ。
というのも正月に西川辰雄の所へ二人で行く話になっている。辰雄から呼ばれたのだ。その時のお土産としてワインを持って行こうという話になり、それを芹に取ってきて欲しいと言われたのは数日前。何日経っても取りに行かない芹に、沙夜は最近口やかましい。
「そろそろ取りに行かないとやかましいから。あいつ。ったく……正月に行くんだから、それまでに間に合えば良いじゃねぇかよ。なぁ?」
同意は沙菜に求めるが、沙菜も性格上、ギリギリというのはあまり好きでは無い。夜が遅くなったのに、早朝からまた撮影があるという時くらいだろう。ギリギリまで寝ているのは。
準備なんかはいつも余念が無い。その辺は姉妹で似ているのだ。
「あたしギリギリなんて真似しないし。」
「可愛くねぇの。」
沙菜はそう言って靴箱からブーツを取り出す。白いコートを着ているのでよくわからないが、おそらく露出の激しい服を着ているのだ。それは沙菜が今日イベントに出るからだろう。他の出演者もいるイベントで、女性ばかりの出演者だとマウントを取ろうと思ってみんな必死なのだ。だから沙菜もそれに合わせた格好をしている。あまり蚊帳の外というのも協調性が無いと思われかねないのだから。
「今日は一人で家に居るんでしょう?女の子派遣しようか?」
「いらねぇよ。さっさと行けって。」
「ふふん。ねぇ。姉さんは今日帰るの遅くなるかもって言ってたけど、翔とは一緒には帰らないよ。翔は今日イベントに顔を出すって行ってたから。」
「それが何の関係があるんだよ。」
すると沙菜はバッグの中からポーチを取りだした。そして芹の手にそれを渡す。
「頑張れば?」
手に載せられたのはコンドームの包みが二つ。すると芹はそれを沙菜に返す。
「いらねぇよ。」
「何。ヘタレ。」
頬を膨らませてまたコンドームをポーチに入れる。すると芹はかぶっていたニットの帽子を取ると、沙菜にいう。
「俺は俺で気に入ったメーカーのがあるんだよ。そんな味が付いたヤツとかいらねぇ。」
「え?」
頬を染めている。それは二人に何かがあったことを表しているようだと思った。
「……何……。」
「お前さ。もういらないことをするなよ。それより自分のことを考えろよ。翔と待ち合わせでもしたら?俺はそっちの方が助かるんだけど。」
そう言って芹はそのまま自分の部屋へ向かった。その後ろ姿に、沙菜は頬を染める。沙夜が受け入れたのだろうか。あれだけ男なんかと言っていたのに。自分のせいで男嫌いにさせてしまったのに。やっと男を見ることが出来るようになったのだろうか。それが嬉しかった。
沙菜はブーツを履くと、スキップでもしそうな勢いで表を歩いて行く。そして翔にすぐ連絡を取りたかった。翔を慰める良いチャンスが出来たと思う。
テレビ局のロビーで雑誌社の編集者と待ち合わせをしている。この雑誌とはもう長い付き合いで、芹が草壁として音楽ライターで活躍をしている場でもあった。雑誌自体も古くから創刊していて、主にバンドやシンガーソングライターを中心に載せている。アイドルなんかはあまり乗っていない。本格的な音楽雑誌なのだ。
ロビーにはソファーがあるが、そこに沙夜は座ることは無い。そこに座るのは出演者やスタッフ。または外部の客だけで沙夜のように付いてきたという人は肩身が狭い。だからそこに座るのもためらったのだ。
携帯電話でメッセージをやりとりしながら、いつもの男を捜す。するとその玄関ドアに見覚えのある人が入ってきた。いつもの男の人だ。年頃は治と同年代くらいだろう。既婚者だと言うことで、沙夜も安心して付き合いのある人なのだ。
「あ、児玉さん……。」
声をかけようとした。だがその児玉と呼ばれた男の後ろに居たのは、児玉よりも頭一つ分くらい大きな女性だった。見覚えが無い女性に、沙夜は少し戸惑いながらその女性を見る。すると児玉の方が沙夜に気がついて近づいてきた。
「泉さん。お待たせしましたか。道が結構渋滞しててですね。申し訳ない。」
「いいえ。そんなに待ってませんから。それよりも……。」
その女性を見上げる。沙夜も背は大きな方で男によっては沙夜が見下ろすこともあるのだが、その女性は沙夜を見下ろすくらい大きい。いや、背だけでは無い。手も足も胸も全てが大きい。そして派手な顔立ちをしているのに、メイクもかなり派手だ。特に赤い口紅が毒々しいと思った。
沙夜が一歩引いてしまうような感じに見えたのか、女性の方からバッグから名刺を取り出して沙夜に差し出した。
「「Music Tune」編集長の石森愛よ。泉さん。よろしくね。」
「あ。編集長の方でしたか。すいません。「Music Factory」の泉と言います。今は「二藍」の担当をしてます。」
沙夜も名刺を取り出して、愛にその名刺を手渡す。だがその名前に沙夜は違和感を持っていた。その名前は芹が口にしていた名前だからだ。
この女性を母のように慕っているという。紫乃から逃げて、放浪をしていた芹を心配していたのもこの女性だけなのだ。そしてこの女性がいるから、まだライターを出来るのだという。
その話が本当なら、相当仕事の出来る女性なのだ。
「今日は編集長も同席したいと言っていまして。」
「はぁ……。」
すると愛は少し笑って言う。
「この間のアルバムを聴いたの。とても良い出来でね。今年一番だわ。あのアルバム。車の中でずっと流しているのよ。あぁ、この国もハードロックの波が来ると良いって思ってたけど、そのきっかけを作ってくれたのが「二藍」で良かったわ。」
「はぁ……。」
「みんなが凄くレベルの高い演奏をしているじゃ無い?この間、エリックがギタリストの純に声をかけたって本当なの?」
「えぇ。あちらの国へ行って一緒にレコーディングをしないかと。夏に行く予定をしてますね。」
「凄いわ。あぁ。どんな人達なのかずっと気になっていたのよ。」
ただのファンのような感覚に思えた。こんな人が芹がずっと頼りにしている女性なのだろうかと、疑問すら浮かぶ。
「編集長。そろそろ行きましょうよ。立ち話で取材時間が終わってしまいますから。」
「あぁ。そうね。今日は音楽番組の合間を縫ってくれたからね。あまり時間を取らせないようにしましょうか。」
表向きの顔なのだろうか。そういう顔を持っていても仕方ないと思う。なんせメディア関係なのだから。
沙夜はエレベーターへ二人を連れて行く。その間も愛はとても目立つ存在らしく、どこかのタレントか役者か、アナウンサーかとひそひそと噂を立てられている。だが肝心の愛は全く気にしていないようだ。エレベーターの中でもずっと気に入っている音楽の話題が尽きない。
「それにしても「JACK o' LANTERN」は早かったわねぇ。」
「解散ですか?」
クリスマスまで待つと思っていた。だが今月に入って解散を発表したらしい。ラストのシングル。そして解散ライブは行われないらしい。それくらいバンド内もゴタゴタしていたのだ。
「草壁が長くないって言っていたけれど、本当に早かったわ。あいつ先見の目があるわね。」
その名前に沙夜はドキッとした。だが冷静を装う。
「あぁ、辛口の音楽ライターですよね。」
「そう。ずっと付き合いのある人でね。ちょっと気難しいところがあるんだけど。」
「ちょっと?」
その言葉に児玉が笑う。
「編集長になっても編集長が担当しなきゃ書かないって言ってた人でしょう?気難しいというか。我が儘だというか。」
「良いじゃ無い。あたしも担当業務をすると、初心に返れるわ。それに草壁って言うのが良かったのかもね。」
「え?」
すると愛は少し笑って言う。
「お互い言いたい放題だもの。何かね……あたし、本当に息子が居るんだけど、息子がもう一人居るみたいだわ。」
その言葉に沙夜はこっちも同じ事を考えていたのかと納得した。だがそれと同時に、モヤモヤしたモノが残る。
家に帰り着いて、芹は玄関の鍵を開ける。そして家の中に上がろうとしたときだった。沙菜の部屋のドアが開く。
「あら。今帰ってきたの?」
「うん。お前は今日イベントだっけ?」
「そうよ。ごめんねぇ。ご飯食べれなくて。一人でしょ?今日は。せっかくのクリスマスなのに。」
嫌みでは無いが、悪気の無いように沙菜は言う。その言葉にいちいち反応していられない。芹は首を横に振ると靴を脱いだ。
「クリスマスの前に年末だよ。くそ。三十一日までにどれだけ納期が迫っているか。」
「それなのに外出はするんだ。それ、何?ワイン?」
「うん。」
一馬の実家の酒屋へ行ってきたのだ。酒はざるだがそんなに詳しくは無い沙夜が、一馬に相談をして一馬の親族から選んでもらったワインは、あまり高くは無いが国産と言うこともあってこの土地で作られた食材に良く合うだろうと言われたのだ。
というのも正月に西川辰雄の所へ二人で行く話になっている。辰雄から呼ばれたのだ。その時のお土産としてワインを持って行こうという話になり、それを芹に取ってきて欲しいと言われたのは数日前。何日経っても取りに行かない芹に、沙夜は最近口やかましい。
「そろそろ取りに行かないとやかましいから。あいつ。ったく……正月に行くんだから、それまでに間に合えば良いじゃねぇかよ。なぁ?」
同意は沙菜に求めるが、沙菜も性格上、ギリギリというのはあまり好きでは無い。夜が遅くなったのに、早朝からまた撮影があるという時くらいだろう。ギリギリまで寝ているのは。
準備なんかはいつも余念が無い。その辺は姉妹で似ているのだ。
「あたしギリギリなんて真似しないし。」
「可愛くねぇの。」
沙菜はそう言って靴箱からブーツを取り出す。白いコートを着ているのでよくわからないが、おそらく露出の激しい服を着ているのだ。それは沙菜が今日イベントに出るからだろう。他の出演者もいるイベントで、女性ばかりの出演者だとマウントを取ろうと思ってみんな必死なのだ。だから沙菜もそれに合わせた格好をしている。あまり蚊帳の外というのも協調性が無いと思われかねないのだから。
「今日は一人で家に居るんでしょう?女の子派遣しようか?」
「いらねぇよ。さっさと行けって。」
「ふふん。ねぇ。姉さんは今日帰るの遅くなるかもって言ってたけど、翔とは一緒には帰らないよ。翔は今日イベントに顔を出すって行ってたから。」
「それが何の関係があるんだよ。」
すると沙菜はバッグの中からポーチを取りだした。そして芹の手にそれを渡す。
「頑張れば?」
手に載せられたのはコンドームの包みが二つ。すると芹はそれを沙菜に返す。
「いらねぇよ。」
「何。ヘタレ。」
頬を膨らませてまたコンドームをポーチに入れる。すると芹はかぶっていたニットの帽子を取ると、沙菜にいう。
「俺は俺で気に入ったメーカーのがあるんだよ。そんな味が付いたヤツとかいらねぇ。」
「え?」
頬を染めている。それは二人に何かがあったことを表しているようだと思った。
「……何……。」
「お前さ。もういらないことをするなよ。それより自分のことを考えろよ。翔と待ち合わせでもしたら?俺はそっちの方が助かるんだけど。」
そう言って芹はそのまま自分の部屋へ向かった。その後ろ姿に、沙菜は頬を染める。沙夜が受け入れたのだろうか。あれだけ男なんかと言っていたのに。自分のせいで男嫌いにさせてしまったのに。やっと男を見ることが出来るようになったのだろうか。それが嬉しかった。
沙菜はブーツを履くと、スキップでもしそうな勢いで表を歩いて行く。そして翔にすぐ連絡を取りたかった。翔を慰める良いチャンスが出来たと思う。
テレビ局のロビーで雑誌社の編集者と待ち合わせをしている。この雑誌とはもう長い付き合いで、芹が草壁として音楽ライターで活躍をしている場でもあった。雑誌自体も古くから創刊していて、主にバンドやシンガーソングライターを中心に載せている。アイドルなんかはあまり乗っていない。本格的な音楽雑誌なのだ。
ロビーにはソファーがあるが、そこに沙夜は座ることは無い。そこに座るのは出演者やスタッフ。または外部の客だけで沙夜のように付いてきたという人は肩身が狭い。だからそこに座るのもためらったのだ。
携帯電話でメッセージをやりとりしながら、いつもの男を捜す。するとその玄関ドアに見覚えのある人が入ってきた。いつもの男の人だ。年頃は治と同年代くらいだろう。既婚者だと言うことで、沙夜も安心して付き合いのある人なのだ。
「あ、児玉さん……。」
声をかけようとした。だがその児玉と呼ばれた男の後ろに居たのは、児玉よりも頭一つ分くらい大きな女性だった。見覚えが無い女性に、沙夜は少し戸惑いながらその女性を見る。すると児玉の方が沙夜に気がついて近づいてきた。
「泉さん。お待たせしましたか。道が結構渋滞しててですね。申し訳ない。」
「いいえ。そんなに待ってませんから。それよりも……。」
その女性を見上げる。沙夜も背は大きな方で男によっては沙夜が見下ろすこともあるのだが、その女性は沙夜を見下ろすくらい大きい。いや、背だけでは無い。手も足も胸も全てが大きい。そして派手な顔立ちをしているのに、メイクもかなり派手だ。特に赤い口紅が毒々しいと思った。
沙夜が一歩引いてしまうような感じに見えたのか、女性の方からバッグから名刺を取り出して沙夜に差し出した。
「「Music Tune」編集長の石森愛よ。泉さん。よろしくね。」
「あ。編集長の方でしたか。すいません。「Music Factory」の泉と言います。今は「二藍」の担当をしてます。」
沙夜も名刺を取り出して、愛にその名刺を手渡す。だがその名前に沙夜は違和感を持っていた。その名前は芹が口にしていた名前だからだ。
この女性を母のように慕っているという。紫乃から逃げて、放浪をしていた芹を心配していたのもこの女性だけなのだ。そしてこの女性がいるから、まだライターを出来るのだという。
その話が本当なら、相当仕事の出来る女性なのだ。
「今日は編集長も同席したいと言っていまして。」
「はぁ……。」
すると愛は少し笑って言う。
「この間のアルバムを聴いたの。とても良い出来でね。今年一番だわ。あのアルバム。車の中でずっと流しているのよ。あぁ、この国もハードロックの波が来ると良いって思ってたけど、そのきっかけを作ってくれたのが「二藍」で良かったわ。」
「はぁ……。」
「みんなが凄くレベルの高い演奏をしているじゃ無い?この間、エリックがギタリストの純に声をかけたって本当なの?」
「えぇ。あちらの国へ行って一緒にレコーディングをしないかと。夏に行く予定をしてますね。」
「凄いわ。あぁ。どんな人達なのかずっと気になっていたのよ。」
ただのファンのような感覚に思えた。こんな人が芹がずっと頼りにしている女性なのだろうかと、疑問すら浮かぶ。
「編集長。そろそろ行きましょうよ。立ち話で取材時間が終わってしまいますから。」
「あぁ。そうね。今日は音楽番組の合間を縫ってくれたからね。あまり時間を取らせないようにしましょうか。」
表向きの顔なのだろうか。そういう顔を持っていても仕方ないと思う。なんせメディア関係なのだから。
沙夜はエレベーターへ二人を連れて行く。その間も愛はとても目立つ存在らしく、どこかのタレントか役者か、アナウンサーかとひそひそと噂を立てられている。だが肝心の愛は全く気にしていないようだ。エレベーターの中でもずっと気に入っている音楽の話題が尽きない。
「それにしても「JACK o' LANTERN」は早かったわねぇ。」
「解散ですか?」
クリスマスまで待つと思っていた。だが今月に入って解散を発表したらしい。ラストのシングル。そして解散ライブは行われないらしい。それくらいバンド内もゴタゴタしていたのだ。
「草壁が長くないって言っていたけれど、本当に早かったわ。あいつ先見の目があるわね。」
その名前に沙夜はドキッとした。だが冷静を装う。
「あぁ、辛口の音楽ライターですよね。」
「そう。ずっと付き合いのある人でね。ちょっと気難しいところがあるんだけど。」
「ちょっと?」
その言葉に児玉が笑う。
「編集長になっても編集長が担当しなきゃ書かないって言ってた人でしょう?気難しいというか。我が儘だというか。」
「良いじゃ無い。あたしも担当業務をすると、初心に返れるわ。それに草壁って言うのが良かったのかもね。」
「え?」
すると愛は少し笑って言う。
「お互い言いたい放題だもの。何かね……あたし、本当に息子が居るんだけど、息子がもう一人居るみたいだわ。」
その言葉に沙夜はこっちも同じ事を考えていたのかと納得した。だがそれと同時に、モヤモヤしたモノが残る。
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