触れられない距離

神崎

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ポテトサラダ

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 夜と言ってもいい時間に起き出して、沙夜は身支度を済ませるとそのままエプロンを身につけて食事の用意をする。ご飯はまだ炊けていない時間だった。
 味噌汁のための出汁を取っていて、その中にタマネギ、わかめ、ネギなどの具を入れる。グリルではめざしと夕べ漬け込んでいた鶏肉が焼けている。めざしは朝ご飯のため。鶏肉は昼の弁当のためだった。味噌汁が炊き終わると、ジャガイモの皮を剥いて一口ほどに切ると水に浸して、自らあげると鍋の中に水とジャガイモ、それから卵を入れて火にかける。
 キュウリは多めに切っておく。薄切りにしたモノと厚く切っておいたモノ。厚く切っておいたものは浅漬けにして朝と昼に食べるのだ。
 その時リビングのドアが開いた。そこには芹の姿がある。
「おはよう。」
「おはよう。眠った?」
「うん。最近一時には寝てるよ。」
 夜通し起きていることが多かった芹だが、最近は夜にちゃんと寝ていて昼間は起きていることが多い。それでも昼ご飯を食べれば一時間くらいは寝ているようだが。
「夕べ、コーヒーを飲んでいたのによく寝れるわよね。」
「カフェインに強いみたいなんだよ。大学入試の時に飲み過ぎたかな。」
 芹はそう言って台所を抜けて洗面所へ向かう。そして歯を磨き顔を洗うと、キッチンに戻ってきた。そしてエプロンを身につける。
「何をすれば良い?」
「そうね。卵を割ってボウルに入れてくれる?四つね。」
「うん。」
 これも朝ご飯用と昼のためのモノだ。冷蔵庫から卵を取り出すと、ボウルに卵を割っていく。その時芹は目を見開いた。
「すげぇ。」
「どうしたの?」
 ボウルを差し出して沙夜に見せた。
「黄身が二つ。」
「凄いわね。今日はなんか良いことがありそうだわ。」
「そうだな。良い歌詞が出来るかも知れない。」
「芹。そう言えば、浜田さんから依頼された歌詞は書き終わった?」
「夕べ送ったよ。会社のパソコンに届いてると思うけど。」
「そう。わかったわ。」
 演歌歌手から依頼されたモノだ。別れを意味するような歌詞は、芹の十八番だった。だが最近はそれも少し難しい。心に思う人が新たに出来たからかも知れない。
 芹が失恋の曲を得意とするのは、紫乃のことを思っているからだった。性別を逆転させて、他に女がいた男から捨てられるのを想像したから。だが今はそれも少しずつ忘れようとしている。
「卵焼きにする?これ。」
 芹はそう聞くと沙夜は少し頷いた。
「そうよ。」
「だったら今日は俺に作らせてよ。」
「焦がさないでよ。」
「わかってるって。」
 こうして一つ一つ出来ることを増やしている。実家にいたときには料理は母親任せだったし、家を出てからも働き口は肉体労働が多かった。なので料理とは無縁で、卵一つ割れなかったのに今は卵焼きを作ろうとしている。塩、砂糖、醤油を少し。そう思いながら卵を混ぜていく。
「卵焼きのフライパンってどこだっけ。」
「ここよ。」
 シンクの下の扉を開けてフライパンを取り出す。そして味噌汁を入れていた鍋を避けると、そのフライパンをセットした。
 そんな二人の様子をそっとドアを開けて、様子を見ているのは翔だった。そしてため息を付いて、またドアを閉める。
「翔?」
 急に声をかけられて、翔は驚いたように沙菜を見た。
「沙菜。」
「何をしているの?」
「別に。」
 沙菜もそっとリビングのドアを開けてそのキッチンの様子を見た。まるで恋人同士か夫婦が一緒に食事を用意しているように見える。その様子に、沙菜は納得した。
「あぁ。恋人同士に見える?」
「見えない方がおかしいだろう?」
「でもあたしには姉弟に見えるわ。可笑しいわね。姉さんもあたしも芹より年下のはずなんだけど。」
「……。」
 自分が横恋慕しているからそういう風に見えるのだろうか。芹に対して最近イライラしているのは、沙夜に近づきすぎているから。つまり自分が好きなのに言えないからだ。
「でも姉さんとはずっと外では一緒にいるんでしょう?」
「最近はそうでも無いよ。アルバムが発売すると、今度は五人で一緒にいることも多いし。」
 側にはいるが声をかけると言えば、仕事がらみのことしか無い。最も最近は、仕事がらみでも外で話すことはあまり無いのだ。
「今日は?」
「今日も外で沙夜に会うことは無いかな。」
 その代わりテレビ局へ行くのだ。遥人とともにトーク番組に出る。もちろん新しいアルバムの宣伝なのだ。遥人と二人であれば、付いてくるのは遥人のマネージャーで沙夜は付いてこない。沙夜が来るのはあくまで「二藍」としての行動があるときで、しかも五人一緒の時に限る。
 これからは沙夜も付いてくることが多くなるかも知れないが、それはまだ先の話だろう。
「外で待ち合わせてさ。デートでもしてくれば良いのに。」
 本当は自分がそうしたい。沙菜はずっとそう思っていた。だが沙菜と翔が表で歩くのは、沙夜以上にまずい。普通の女性の仕事をしていたとしても、もうただの一般人では内証と二人で表を歩くのはマスコミの餌食になるから。それがAV女優であれば更に風当たりが強くなる。だから二人はいつも他人のふりをしているのだ。
 こうして普段どおりに話せるのは家の中だけに限る。
「沙夜の立場を悪くしたくないし、それに……「二藍」の立場も悪くしたくないよ。」
 沙夜が一番大事にしているのは「二藍」なのだ。それを自分の手で壊したくない。
「臆病だよね。翔って。このままじゃ、本当に芹に取られるよ。」
「……それが一番嫌だと思う。」
「でも手は出したくない、手を出されたくないって思ってるんだったらずっと平行線で居れば良いよ。でも芹は我慢出来ないと思うから、姉さんが取られるのを指を咥えて見てれば良いんじゃ無い?」
 沙菜はそう言ってリビングのドアを開けた。そしてキッチンに居る二人に声をかける。
「おはよう。」
「早いわね。」
「うん。地方に行くから。泊まりだし。」
「え?聞いてないわ。ご飯用意してたのに。」
「ごめん。言ってなかったっけ?帰りは明日の夜だから。」
「仕方ないわね。」
 沙夜はそう言って冷凍庫から捕りだしていた鯖のフライを減らした。沙菜はこういうことが多いので、臨機応変にはしているのだ。
「良い出来じゃねぇ?」
 出来上がった卵焼きを芹は満足そうに見ていた。すると沙夜も少し笑って言う。
「最初よりは良いじゃ無い。あぁ、翔もおはよう。」
「手伝おうか?」
 翔はそう言うが、沙夜は首を横に振った。
「台所に三人も立つと邪魔なのよ。顔を洗ってきたら?」
「あ、ごめん。あたし先に洗うね。」
「だったら俺は……。」
「翔。テーブルを拭いてくれない?それからお弁当を詰めてくれる?」
「うん。そうしようかな。」
「卵焼きはお弁当用に二つずつね。」
「うん。」
 弁当箱を用意して出来たおかずを詰めていく。台所とダイニングテーブルには少し距離があった。その距離が自分と沙夜の距離のような気がしてやるせない。
 そして沙夜の隣には芹がいる。芹との距離は近いように思えた。それが翔にとっていらつく原因でもある。
「鳥の照り焼き以外は朝と一緒のメニューっぽく見えるな。」
「違うわよ。ほらひじきとかあるし。」
「作り置きじゃん。」
「うるさいな。芹。残さず食べるのよ。」
「肉だもんな。食うよ。でも腹一杯になると眠くなってさ。最近。歳かな。」
「何が歳よ。」
 冗談のような会話もずっとしているのだ。自分とは仕事の話もままならないのに。
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