触れられない距離

神崎

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ポテトサラダ

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 やがて寒い冬がやってくる頃。沙夜の忙しさはピークを迎える。
 アルバムの発売が近づくにつれて、個々の仕事の管理、CDショップへの売り込み、そのあとのツアーのためのホールの予約。機材の予約。人員の確保。印刷所への連絡など、それらを一人で全てこなし、今日も終電ギリギリだった。
 それでも忙しいのは自分だけでは無い。もっと忙しいのは「二藍」の五人なのだから。電車の中吊り広告には、遥人が写っているファッション誌の広告が載っている。カーキ色のだぶっとしたモッズコートは今年の流行らしい。その隣には女性が写っている。おそらく恋人とするという触れ込みのコーディネートなのだろう。
 それでもその間に距離はある。あまり近すぎてもいらない噂を立てられるからだ。
「この間の雑誌さぁ。」
 OLが話をしている。手には翔が載っている雑誌が握られている。
「マジでゲイなのかな。この歌手もゲイの噂があるし。」
「翔は遥人でしょ?」
 男と二人で写っていてもそういう噂になるのか。沙夜はそう思いながら、電車の壁にもたれかかる。そして電車が停まり、沙夜はその駅で降りると声をかけられた。
「泉さん。」
 声をかけられた方を見ると、そこには翔の姿があった。そしてその奥には天草裕太の姿がある。沙夜の方を見て少し頭を下げる。
「天草さん。」
「泉さん。悪いけど、ちょっと言って欲しいんだけど。」
「どうしました。」
 すると裕太はへらっとした笑顔を浮かべて沙夜に言う。
「いやさ。今度ソロアルバムを出すって話を聞いてさ。俺、是非ともコラボをしたいと思って。」
 沙夜はその言葉に首を横に振る。
「そういう話はレコード会社越しにするモノです。もし千草さんがしたいというのであれば、こちらからそちらのレコード会社の方へ話をしますが、それを飛び越えてアーティスト同士でするのは話が違います。この世界が長いんですから、それくらいわかっているでしょう?」
 相変わらず可愛くない女だ。裕太はそう思いながら心の中で舌打ちをする。
「でもさぁ。アーティスト同士がしたいと言えば……。」
「それに千草さんのソロアルバムの話は、まだ企画段階の話です。今から話を煮詰めることですから。」
「でも声をかけているのは居るんだよね。」
「いますよ。天草さんの名前はその中にはありませんけど。」
 沙夜はどんなときでも強気なのだ。それが本当に可愛くない。
「本当に望んでいるなら、レコード会社に言ってください。正攻法でしか話はしませんから。千草さん。行きましょう。最寄り駅は一緒でしたよね。」
「あぁ。そういうことです。すいません。天草さん。」
 ホームを降りていく。その二人の姿を見て、裕太はまた心の中で舌打ちをする。そしてあの女が邪魔をするのであれば、またあの女を調べてみるしか無い。どんな人でも弱みの一つや二つはあるはずなのだから。付くならそこだろう。そう思いながら、裕太はまたやってきた電車と逆の電車に乗った。

 最近は朝早く起きて、朝ご飯と弁当、それから夕食まで用意をしているようだ。作り置きが出来るモノというおかずは限られてくる。だから沙夜はそうしているのだろう。
 今日はハンバーグだった。だが半分くらいは豆腐や野菜類で、あまり肉肉しくはない。だがそっちの方が温めたときに堅くならないのだ。
「困ったモノね。」
「ストーカーみたいだ。」
 翔と向かい合って食事をしていると、沙夜は少しため息を付いた。今日はもう沙菜は寝ているらしい。明日が早いと言っていたからだ。
「天草さんとはどうかしら。コラボしてみたいと思う?」
 沙夜がそう聞くと、翔は首を横に振った。翔が人を拒絶するのは紗理那くらいだと思っていたが、どうやら違うらしい。
「ちょっと古いんだよな。天草さんの音って。」
 翔ならさすがに敏感に感じるだろう。沙夜はそう思って安心した。
「望月さんは?」
「望月さんはもう一度してみたいと思う。あと……。」
 仕事の話を家の中に持ち込まないのがルールなのだが、さすがにこの忙しさで打ち合わせも出来ない。特に翔は遥人の次くらいに忙しい。遥人は芸能事務所越しに話が来るが、翔は直接クライアントと顔を合わせないこともあるのだから。
 沙夜はメモを取りながらまた箸を持つ。
「西藤部長に話をしてみる。」
 本当は「夜」とコラボレーションをして欲しいと言っていた。だがいくら探してもその「夜」という人物は浮かび上がってこない。ついに西藤裕太はさじを投げてしまったのだという。
「「夜」は関われないかも知れない。だけどね。」
 翔は沙夜を見て言う。
「……沙夜は関わって欲しいと思う。」
 すると沙夜は驚いたように翔を見る。
「関わるじゃ無い。どれだけ関わっていると思うのよ。マネジメントで……。」
「じゃなくて、音楽に。」
 その言葉に沙夜は首を横に振る。
「名前だけで売れるものは、一枚売れても次が続かない。私が関わればそうなるわ。」
「沙夜。」
「駄目。私は……。」
 その時リビングのドアが開いた。そこには芹の姿があった。
「コーヒー飲みたい。」
「芹。あなたまたこたつで寝るような真似をしないでよ。」
「わかってるよ。」
 最近、芹は夜寝ているらしい。前は夜中中起きていたのだが今は夜中でも眠り、朝には起き出して沙夜の手伝いをしてからまた一眠りするらしい。それでも三日に一度はこたつで眠っている。
「明日、魚?」
「うん。冷凍しておいた鰺フライね。それからポテトサラダ。」
「ポテトサラダ好きだな。あのジャガイモ美味くて。」
「そうね。」
 二人で田舎に出掛けたのだという。あの時から沙夜と芹の距離が近くなった気がする。その頃、自分はシンガーソングライターだという男と一緒に写真に収まっていた。あのシンガーソングライターは本当にゲイらしくて、対談の時も翔に言い寄りそうで嫌だったのだ。
 いや。何より沙夜がその噂を信じてしまったら嫌だと思う。
「沙夜。そう言えばさ。この間辰雄さんから連絡が来てさ。」
「あら?いつの間に辰雄さんと連絡先を交換したの?」
「別に。聞きたいことがあって、この間郵送してくれた伝票に書いてる連絡先に連絡したら、あっちからも連絡来たし。」
「そう。それで何だって?」
「今度酒を送ってきてくれるって言ってた。」
「あら。本当?」
「どぶろくだって。」
「今度の休みの時にでも……。」
 二人の世界が出来上がっている気がした。翔とは仕事の話すらままならないのに、芹とはこうして仕事以外の話も出来るのだから。どうしてあの時、一緒に行けなかったのだろう。そうしたら、この立場は自分の立場だったかも知れないのに。
「辰雄さんって。沙夜が世話になってる人だっけ?」
「そう。元ホストだって言ってたな。」
「ホストねぇ。俺、そういう道は行かなかったな。弟はそういう道も行ってたみたいだけど。」
 その言葉に沙夜は首をかしげて言う。
「最近、見ないわね。」
「何が?」
「慎吾って人。役者をしているとかって言っていて、前はテレビ局なんかでも見たことがあったのに。」
「あぁ。別に役者だからテレビ局にずっといるわけじゃ無いよ。」
 翔はそう言うと、沙夜は不思議そうに翔を見る。
「スタジオってまぁ……各所にあってね。普通の家みたいな所で撮ることもあるんだ。そういう所に行くなら、テレビ局には居ないよ。それに最近は舞台の方が多いみたいでね。」
「舞台か。ミュージカルみたいな?」
「そうだな。」
 背が高い男なのだ。きっと舞台でも栄えるだろう。
「そう言えば栗山さんもその話があったわね。ミュージカルだけど。」
「やるかなぁ。あいつ。」
「プラス思考だものね。新しい仕事に物怖じしないわ。それどころか新しい刺激になると思っているみたい。」
「凄いな。遥人のそういう所は尊敬出来るよ。」
 だが遥人は内心、翔とゲイの噂があるのを良いと思っていないのだ。一馬の話によると、遥人は割と性差別が激しい方なのだという。ゲイカルチャーなどには「異常者」と素で言える人なのだ。その辺は猫をかぶっていると言うことなのだろう。
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