触れられない距離

神崎

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七輪の焼き肉

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 紅茶を片付けながら、沙夜は少し思いを巡らせていた。
 紫乃という女性は、色気の塊のような女性だったという。想像でしかわからないが、おそらく沙菜のような女性だったのかも知れない。沙菜がAVのソフトを初めて発売するとき、そのパッケージを見たことがある。デビュー作でアイドルの服を着ていたのは「元アイドル」というのを大事にしたかったからだろう。だが沙菜はアイドルの衣装があまり似合わなかったと思う。
 アイドルというのは清純で、淫らという言葉とは対極的になるのに沙菜はその服を着ていてもどこかいやらしさがあったからだ。それはすなわち色気というモノだろう。沙夜には決定的にないものだ。
「色気ねぇ……。」
 そんなモノは縁遠かった。髪をいつも一つに結んでいて、化粧は薄く、極めつけは黒縁の眼鏡。落としても壊れることはあまりないのでそれを選んだわけだが、それがまた色気を隠している。
 大学生の時に一度、沙菜から一度髪を下ろしてみると良いといわれて下ろしてみたが、色気というよりも生気が無かった。まるで死人のようだと思う。それは髪を下ろしてみると良いといった沙菜ですら絶句したのだから仕方が無い。
 唯一女であると言うことを証明するのは胸くらいだろう。沙菜ほど大きくは無いが、沙夜もまた細身の割には胸がある方なのだ。それが原因で何度か電車で痴漢に遭い、駅員に男を引っ張り出したこともある。母も大きな方だったからおそらく血筋なのだろう。
「……。」
 もう考えるのを辞めよう。芹が好きだった女が色気があるタイプだったからと言って何だというのだ。
 そう思いながらカップを戸棚にカップをしまう。するとリビングに芹がやってきた。そして沙夜に言う。
「沙夜。なんか腕がヒリヒリするんだけど。」
「日焼けしたのよ。一気に焼いたから火傷みたいになったのかしらね。あら。顔も赤いわ。熱は無い?」
「別に熱があるような感じじゃないんだけどな。」
 頬が赤い。そう思って沙夜は例倉庫に入っていたビニール袋を取り出す。辰雄の所からアロエをもらってきたのだ。
 そのアロエの堅いところを包丁で薄く切ると、中からゼリー状のモノが出てくる。その中のモノを腕に塗った。
「治るのか?」
「インターネットなんかではあまり効果が無いと言われてる。でも出来ることはしておきたいじゃ無い。それにひんやりするでしょう?」
「うん。気持ちいい。顔も灼けてる?」
「えぇ。そこも……。」
 アロエの果肉を手に取って頬に塗ろうとした。だが手が止まる。女性とはいっても好みでは無いのだ。むしろ母のような感覚なのだろう。だから簡単に肌に触れることも抵抗がないのだ。それは少し抵抗がある。
「鏡を見て、自分で塗ったら?」
「え?」
 母では無いのだ。そこまですることは無いだろう。
「何いじけてるんだよ。」
「いじけてないわ。別に。さっさとご飯の用意をしよう。イカを捌かないとな。最近捌いてないからどうするんだっけ。」
 わざと芹から離れるように冷蔵庫に足を伸ばす。すると芹は沙夜の方へ近づく。
「俺のことを話したから引いてるのか?」
「いいえ。そういうことじゃ無いの。」
 すると沙夜はため息を付いて冷蔵庫に背を向けると芹を見上げて言う。
「私はあなたのお母さんじゃ無いの。」
「え?」
「……お母さんみたいな感覚だって言ってたわ。年下なのよ。きっとあなたが好きになった人よりも幼い感覚だし、色気だって無いんだから。」
 すると芹は口元だけで笑う。その感覚に沙夜は頬を膨らませた。
「何を笑っているのよ。」
「色気ならあるじゃん。」
 芹はそう言って目の前に居る沙夜の顔に手を伸ばす。そして眼鏡を外した。
「その目が好きなんだよ。」
「え……。」
 芹の頬が赤くなる。これは日焼けでは無いのだ。自分が照れている。
「眼鏡が無くても本当は良いって……多分誰も知らないんだよな。」
「……多分。」
 沙夜は眼鏡をあまり外すことが無い。風呂に入るときくらいだろう。そして湯上がりにはもう眼鏡をしているのだから。おそらく沙菜でも知らないかも知れない。
「俺の書いた歌詞を見てるときの、その目とか、楽しそうに芋を掘ってるところも、笑った顔も、どれだけ俺が翻弄されてると思ってんだよ。」
 その言葉に沙夜の頬も赤くなってきた。直接言わなくても何を芹が言おうとしているのかわかったから。
「そうなの?」
「お前まで疑うなって。あぁ何だろうな。くそ。歌詞では凄い臭い台詞なんかすらすら出てくるのに……。」
 すると沙夜は芹の持っているそのアロエを手に取った。そしてその果肉を芹の頬に塗る。
「痛くない?」
「ううん。冷やっとする。」
 すると沙夜は少し微笑んで、芹の頬に手を当てた。そしてその手を髪にまで伸ばす。芹の目が見える。それは確かに裕太に似ている気がした。
「あまり天草さんには似ていないわね。」
「そうかな。小さい頃は兄さんにミニチュア版だって言われてたけどな。」
「ううん。私はあまり会ったことは無いんだけど、あんなにギラギラしてないわ。あなたは。人が良さそう。言葉は悪いけどね。良くあんな大手の出版社で働けてたわね。」
「そりゃ……猫かぶりまくってな。」
「今は?」
「猫なんかどっかに行っちまったよ。」
 本音なのだ。そう思って少し嬉しかった。だが沙夜は首を振って思い直す。ここで芹に流されるのは簡単かも知れない。だが自分にはそんなことは出来ない。
「ご飯の用意をしないとね。」
 そう言って沙夜はそのまままた芹に背中を向ける。すると芹はその腕に手を伸ばした。その感触に沙夜は驚いて振り返る。
「何?」
「……沙夜。」
 名前を呼ばれて沙夜の手が震えているのがわかる。そして更にまた頬が赤くなっているのがわかった。
「芹……ちょっと……。」
「沙夜。」
 近寄ってみてわかる。芹も震えていた。だがそんなことをしてはいけない。自分は愛されるような人間では無いのだから。そう思って視線をそらした。
「こっち見ろよ。」
 すると芹は真っ直ぐに沙夜を見ていた。だが沙夜の頬から涙がこぼれる。それに芹が腕を掴む手が緩んだ。
「泣くほど嫌か?」
「そうじゃないの……。」
「じゃあ何だよ。俺だけか?俺のことを話して、軽蔑してないって思ったの。」
「違うの。あの……ね。芹。」
 ぐっと沙夜は覚悟を決めて言う。
「私……こんなことをするのが初めてでは無いの。でも良い思い出が無くて。」
「良い思い出?」
 レイ○でもされたのか。そう思って芹は沙夜を見下ろす。
「沙菜と違って……私はあまりそういうのが好きじゃ無くて。それなのに体だけは立派に成長してたから。」
「……。」
「私ね……大学生の時に沙菜の紹介で一度だけセックスをしてみたの。ううん。キスやハグでもそれが最初で最後。嫌な思い出しか無くて。」
「……嫌だったのか?」
「覚悟はしてたの。でも……。」
 酔っている男を介抱するために、自宅に上がり込んだ。その時に初めてセックスをしてみたのだが、快感よりもひどい痛みの方が残った。それに自分の体が自分では無い感じがして、違和感しか無かったのだ。
「痛み?」
「沙菜に聞くと、うまく濡れてなかったんじゃ無いかとか、相手の大きさとかにも寄るって言ってたけど……そこまでしてセックスなんてするモノじゃ無いって思ってたから。」
「……。」
「コミュニケーションの一つだと思うわ。でも……不快感しか残らなくて。」
 すると芹は首を横に振る。
「ごめん。俺の気持ちだけ突っ走って……。」
「ううん。でも不思議ね。」
 沙夜はそういうとまた眼鏡を手にして芹を見る。
「何が?」
「前よりは嫌じゃ無かったの。何でかしら。」
 あの男が煙草臭かったからとか、そういう理由ではない気がする。芹に少しずつ気持ちが動いていたのかも知れない。
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