触れられない距離

神崎

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七輪の焼き肉

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 鶏肉が焼けてくると、表面にじわじわと油が浮いてくる。野菜も採れたてのモノもあったが、干したモノもある。それは直接食べても良いが、さっとあぶると更に美味しい。魚も塩漬けにして干してあるモノだ。そのまま口に出来る。
「うまっ。すげぇ。何この肉。堅いけど味があるみたいな。」
「噛めば噛むほど旨みが出るんだよ。ほら塩も美味いだろ。」
「あぁ。これって海水から作ったやつ?」
「そうだよ。親戚が作っててさ。漁港で売ってるよ。」
「帰りに寄ろうぜ。沙夜。」
「あなたがそういうの初めて見るわ。そうね。そうしようか。」
 沙夜もそう言って野菜に箸をのばす。普通の焼き肉であれば、食べている箸で肉を摘まんだりなどと言うことはしないが、ここではそういうことはどうでも良くなってくる。
「おにぎりは食べにくくない?」
 忍は少し気を遣って芹に聞く。沙夜が握ったおにぎりと、忍が握ったおにぎりは一目でわかる。忍が握ったモノは不格好なのだ。
「何で?おにぎりの形なんてどうでも良いじゃん。美味い米だな。なんか食い過ぎそう。」
 その言葉に忍は少し笑った。そして沙夜も同じ事を前に言っていたのを思い出す。形などどうでも良いと。
「トマトは干してあるの?」
「あぁ。ドライトマトってのがあるんだって聞いてさ。こうやって少し炙るのも美味いけど、トマトのスープを作ったりピザにのせたりすると凄い美味くてさ。」
「ピザ?」
 意外だと思った。こんなところでピザなんて食べるのかと思っていたからだ。
「さすがに大豆とか小麦は作らないから、しょっちゅう作るわけじゃ無いけどな。でも作ると息子が喜ぶし。」
「子供だもの。あぁいう味が好きなのよ。」
 だが息子は少し変わっていると思う。幼稚園で出される既製品のお菓子には手を付けないのだと言われて、いつも自作のお菓子を持たせていた。つまりこういう生活をしているからかも知れないが添加物が苦手なのだ。
 だが少しは慣れてもらわないと、ずっと息子だってここにいるわけでは無いのだから。少なくとも高校生になれば通学は難しくなるだろう。寮か何かに入らないといけないのだから。
「それにしても、今日は太っ腹ね。怖いくらい。」
 沙夜がそう言うと、辰雄は少し笑って言う。
「太っ腹かな。たまには七輪で焼き肉も良いなって思っただけだし。ほら、息子がいるとちょっと気になるしな。」
「何で?」
 芹がそう聞くと、忍は少し笑って言う。
「子供ってどんな行動に出るかわからないの。一度、息子が歩き出したときかな。お客様が来たからこうやって焼き肉をしようって火をおこしたの。そしたらその七輪に息子が手をついてね。」
 ぞっとした。火傷か何かをしたのだろうか。残るような傷を作ってしまったのかと、沙夜も思っていたのだ。
「そんなにたいしたことは無かったから良いじゃん。そういうこともしないと熱いだの痛いだのわからない子供になるんだし。」
 辰雄はそう言うと、忍はため息を付いて言う。
「そんな問題じゃ無いのよ。こうして幼稚園に通うくらいだったら別に良いのかも知れないけど、小さな怪我で熱だって出ることもあるんだし。」
「神経質すぎ。」
 母親と父親の違いとはこんな感じなのだろうか。沙夜の両親は、母親が主導権を握っていたように思える。父親はノータッチだったのだ。
 父親は仕事を終えると、まず風呂に入り、テレビを見ながら酒とつまみを食べ、酔っ払っていつもソファーで寝ていた。
 モデルをしていたときは、仕事を終えると父親はいつもソファーの上で横になっている。そんな姿しか見たことが無かった。子供に関心が無かったのだろう。
 その時芹は皿を膝の上に置いて、その左手の甲を忍に見せた。
「なぁ。これ見て。」
「あれ?これって火傷?」
「うん。小さい頃に、親の職場で遊んでたらしいんだけど、そこで薬品が手にかかってさ。」
 家の中に響き渡るような声だったという。母親が真っ先に職場にやってきて、泣いている芹を抱えると、近くの病院へ連れて行ったのらしい。おかげで表面だけの火傷で済んだ。
「あれ以来、俺、親の職場で遊ぶことはしなくなったな。って言うか入るのも嫌だったし。」
「子供は子供なりに、痛いところとか熱いところってのは怖いって思うんだろうな。息子もそう思うかな。」
 息子と焼き肉をするときは、ホットプレートを用意する。そっちの方が安全だと思ったから。だがやはり焼き肉は炭が美味しい。そして外で食べる醍醐味もあるのだ。そういう経験を奪ってしまったのかも知れないと、忍は思っていた。
「そうね。そうかも知れないわね。」
「火を使うときは俺が付いてるよ。だから息子にも食わせようか。」
「今度ね。そこまでしょっちゅう出来ることじゃないから。」
 やはり少し無理をしてももてなしてくれたのだ。それが嬉しかった。
「ところで、芹。」
「何だよ。」
「家と仕事場が一緒のようなところに住んでいたの?」
 沙夜がそう聞くと、辰雄は驚いたように沙夜を見た。そんなことも話をしたことが無かったのかと。
「そうだよ。話したことが無かったっけ?俺、下町出身でさ。家が靴の修理と合鍵を作るような仕事をしていて、一階が職場だった。」
「聞いたことがなかったわね。」
 手先が器用なのは、父親譲りなのだろう。そしてそんなことも沙夜は知らないで今まで過ごしてきたのだ。
「そんなことも話しはしてなかったの?」
 忍がそう聞くと、沙夜は不思議そうに言った。
「別に必要かしら。同居をするのに履歴書が必要?」
「いや……いらないけど。」
「別に知らないなら知らなくても良いし、知りたいなら話せば良い。口があるのよ。口は食べたり息をするだけのモノじゃ無い。話してコミュニケーションを取るためのモノでもあるわ。」
「沙夜は芹のことを知りたいって思わなかったの?」
 その言葉に、沙夜は少し笑って言う。
「そうね。今まではそこまで意識をしたことは無かったけれど……食事の手伝いをしてくれてからかな。」
「手伝いとかしてくれるの?」
「ずっと家にいるから。」
 芹はそう言うと、野菜に口を付ける。野菜も特有の甘みがあるようだ。特に干した芋を少し炙ったモノが美味しい。
「どんな生活をしていたら、こんなに家の外に出なくても良いって思えるのかとは思うわ。ところであなた、日に焼けたわね。」
 沙夜は芹の頬を見て言う。赤くなっていたのは日焼けのせいだと思っていたのだろう。それはそれで都合が良い。
「アロエ持って行く?裏に生えてるの。」
「良いわね。火傷に良いって効くし。」
「うちの息子が七輪で手を焼いたときもアロエが活躍したわ。あとで分けておくわね。」
 すると芹が忍に向かって言う。
「なぁ、裏に柿が成ってただろ?あれって食えないのか?熟してるみたいなのに。」
 その言葉に辰雄は芹に言う。
「あれは渋柿だよ。」
「渋柿?」
「だから鳥も食わないんだ。あれは少ししたら干し柿にする。正月くらいに食べ頃だろうな。」
「ねぇ。またいらっしゃいよ。芹もまたここに来ても良いし。」
「仕事の都合付けてくるよ。」
 悪い場所では無かった。いやむしろ落ち着く。沙夜が気に入っているという理由も何となくわかるようだった。
「正月に櫓を見に来るのも良いな。その時は泊まるか?」
「そうね。」
 実家に帰りたくなかった。その良いいいわけが見つかったような気がする。だが泊まるというそんなところまで甘えて良いかと少し思った。
「栗きんとんを作る予定にしていただろ?あれ持ってくるか?」
 芹がそう聞くと、沙夜は少し頷いた。
「そうね。それから……。」
「うちで用意出来ないモノを持ってきてもらうと助かるわ。だし巻きは天下一品って思うけど、エビなんかはこの辺では捕れないしね。」
「エビねぇ。それを持ってこようか。それから……。」
 芹は打ち解けてくれている。それを辰雄夫妻も悪い気はしていない。芹を連れてきて良かったと思っていた。
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