触れられない距離

神崎

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七輪の焼き肉

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 良く晴れた秋空の下で、沙夜は麦わら帽子と長靴を履いて畑の中にいた。そこで中腰になり、サツマイモを次々にコンテナに入れていく。蔓を切って軽く掘り起こしているのでそのまま簡単に収穫出来るのだ。
 その手つきを見て男は少し笑っていた。
「手つきが良くなったな。沙夜は。」
「そうかしら。今年は良い出来ね。サツマイモ。この品種は置いておいた方が良いやつ?」
「そう。採れたてじゃ無くて、少し置いておくと甘くなるんだよ。」
 品種によっては採れたてが良いモノもあれば、暗室で保管しておくと美味しくなるモノがある。今掘っているモノは、正月あたりで一番美味しくなるのだ。
「すぐに食えるヤツは、この間掘ったんだ。そっちは持って帰ってくれて良いし、今掘っているヤツは郵送しようか。」
「ありがとう。」
「手伝ってくれるだけでありがたいよ。バイト代も出ないからな。」
 男は農作業で肌の色が黒く、何も知らなければサーファーと勘違いしそうだ。だが麦わら帽子をかぶっていて紺色のつなぎを着て作業用の長靴を履いている姿は、典型的な農家の人に見える。それでもこの辺の人にしたら若い方だろう。
 がっちりした体格で背も高い。都会へ行けば歳は取っているが女から声をかけられそうだと思う。実際男は昔そういうことをしていた。
 伝説のホストだった男。西川辰雄。一晩で相当な額を稼ぎ、高級マンションに住んだり、ブランドモノに身を固めたりして過ごしていたが、ある時を境にそれらを全部売り払い、田舎に引きこもったのだという。その田舎とは自分の実家がある養鶏場があるこの土地だった。海と山で囲まれた辺鄙な土地で、沙夜が住んでいる翔の家からは電車を二つ乗り換えないとここへは来れない。
 海では漁業が盛んで、塩を作っているところもある。海が綺麗なところだ。そして山側には農家をしている人が多い。社会と断絶したようなそんな土地が、沙夜が一番好きな場所でしょっちゅうここへやってきているのだという。何もしなくてもいい。ぼんやりと海を眺めているだけでも幸せだと沙夜は言っていた。
 そんな場所があるのは幸せだろう。そして沙夜のことがもっと知りたい。その一心で芹も今日は都合を合わせてやってきたのだが、早くも後悔しそうだった。
「腰が痛い。」
 ずっと中腰で作業をしていた芹は立ち上がると、腰をトントンと叩く。その時だった。
「わっ。何だよ。こいつ。」
 放し飼いにしている山羊だった。それが芹の側にやってきて、珍しそうに芹を見上げていた。犬や猫といったモノは慣れているが、さすがに山羊はそこまで見たことは無い。驚いて及び腰になっている。その様子を見て辰雄は呆れたように沙夜に言う。
「あいつ、大丈夫か?」
「何が?」
 沙夜は芋を手にしながら、辰雄に聞いた。
「さっきから休んでばかりだぞ。モヤシか。あいつは。」
「普段は部屋に引きこもってばかりだからね。体力が無いのかしら。でも楽しそうよ。」
 山羊と戯れている用に見えるが腰は引けている。初めて見る山羊にビビっているのだろう。
「芹。無理はしなくても良いから。」
「それ以前の問題だよ。あーもう。何でこっちに来るんだよ。」
 そう言って芹は山羊から逃げ回る。見かねた辰雄が、リアカーを置いて山羊に近づいていった。
「メル。こっちに来いよ。」
 山羊を飼っているのは、雑草を食べてくれるから。作物には手を出さないのが良いところだろう。それにペット感覚なのだ。幼い息子に良い影響を与えると思う。
「そろそろ休憩しない?」
 畑は家や鶏舎がある下の土地にある。なので辰雄の妻である忍は鶏舎の世話をしていたのだ。ショートカットで幼い印象のある女性が、この元ホストの男の妻だというのは意外な気がした。
「鶏たちは餌を食ってるか?」
「結構食べてる。昼間は暑いけど、夏バテするほどじゃないしね。」
「あとで離してやれよ。」
「そうする。」
 鶏たちは、餌を食べて太るのかも知れないが、定期的に離してあげることで運動をする。すると引き締まった肉になるのだ。たまに一羽居なくなったとか、一羽増えたとかそう言うこともあるが、それはそれでいいと思う。
「休憩しようぜ。ほら、あんたも。」
 芹はそう言われて、麦わら帽子を脱いだ。そして額にかかっている髪をかき上げる。汗でベトベトしていたからだ。その芹の顔を見て、沙夜はどこかで見た顔だと不思議に思っていた。

 辰雄の妻である忍は、沙夜とあまり歳が変わらない。高校を中退してまで、ここで鶏を作る技術を学びたいと無理矢理弟子入りしたようなモノだった。
 同居しているうちにお互いに恋心が芽生え、自然と夫婦になる。もう子供が一人出来て、その息子は幼稚園に通っているらしい。古い家の至る所におもちゃのようなモノがあるのはその息子のためだろう。
「冷たいお茶で良いかしら。」
 忍はそう言うと、縁側に座っている二人にガラスの器に入ったお茶を置く。そしてその隣にはサツマイモで作ったスイートポテトが置かれた。
「スイートポテト?」
「うちで作ったモノよ。砂糖は採れないけど、塩を入れてて芋の甘みが引き立つわ。美味しいよ。」
 アルミカップに入れられているスイートポテトは、不格好で売っているモノとは雲泥の差だと思う。だがそれを沙夜と芹は口に入れて、驚いたように忍を見た。
「美味しいわね。本当に砂糖を使っていないの?」
「そうよ。近隣で作っているモノを入れただけ。塩は親戚が作っているし、牛を飼っている人から、牛乳をもらってバターを作ったりしてね。」
「バターって作れるのか?」
 芹は意外そうに聞くと、忍は少し笑って言う。
「結構簡単だよ。チーズも作れるし。」
 辰雄は将来自給自足をしたいのだという。電気もガスも水道もいらない。お金というモノに狂わされてきたのだ。それを真っ向から否定するような生活がしたくてこの土地に戻ってきた。
 だが子供が居ればお金は必要になる。それに電気だけはどうしようもならないのだ。ある程度の生活は電気を使わなくても出来るだろうが、インターネットで通販をしている鶏肉や卵はどうしてもパソコンが必要になる。
 それにその出来た作物を卸すために、車を使って街の方へ行く。そのためのガソリンも、車の維持もどうしても現金が必要なのだ。
「すげぇな。沙夜もこういう生活をしたいと思ってるのか?」
「出来ればね。でも今は無理かな。」
 暑かったのだろう。頭だけを井戸水で濡らした辰雄が髪を拭きながら、縁側に近づいてくる。
「沙夜もこっちに来たいのか?この辺は若い人が増えたから良いと思うけどな。お前なら、すぐ受け入れられそうだ。」
「そうかしら。よそ者って言われない?」
「最近はよそ者ばかりだよ。ほら、開いている空き家を市が買い付けてさ、貸家にして居るみたいだし。結構人気らしいぞ。抽選をいつもしてる。」
 田舎に住みたいという人は多いらしい。だが半分は、不自由さに限界を感じて出て行ってしまう。それでも半分は残るのだ。
「年末はこっちに来なよ。お祭りがあるのよ。」
「お祭り?」
 芹はそう聞くと、忍は頷いて言う。
「櫓を組んで火をつけるの。その前から屋台なんかが出て、潮汁とか牡蠣を焼いたりしたものを売ったり、お酒を振る舞ったりするわ。」
「こっちのヤツは酒を水みたいに飲むんだろうな。沙夜じゃ無いと追いつかないだろ?」
 芹は意地悪そうに言うと、沙夜は口を尖らせて言う。
「何を酒豪みたいな事を……。」
「酒豪ねぇ……。今度飲み比べてみるか?」
 ホストをしていたとき、吐いては飲んでと言うのを繰り返していた仲間を尻目に、次々に酒を入れていた辰雄にとって、一緒に飲める相手というのは欲しいところだった。忍は酒が飲めないから。
「冗談。元ホストに勝つわけが無いでしょう?」
 沙夜はそう言うと、お茶をまた口に入れる。その横顔が、自分の姉によく似ていた。それが沙夜を受け入れた理由の一つだったかも知れない。
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