触れられない距離

神崎

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ピクルス

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 レコード会社に用事があるときは、仕事の依頼人が直接レコード会社にやってきたりしたときや、CDを発売したときにポスターにサインを書いたり、グッズの打ち合わせをするときくらいで、普段はあまり用事が無い。
 正面玄関は閉まっているので裏口から入っていくときも、沙夜は社員証を魅せるとすぐに警備員が通してくれるが、翔は名前を書いたり入館許可証を持ったりしないと入れないのだ。
「何の話があるのかな。」
 翔はそう沙夜に聞くと、沙夜は少し考えて言う。
「多分、仕事のことでしょうね。」
「仕事?個人の仕事かな。」
「そろそろ部長からはソロでCDを出さないかという話をしていましたし。」
「ソロか……。」
 ソロ活動をすれば、今しているモデルの仕事なんかは断ることが出来るだろう。だがそうすると今よりも多忙は目に見えている。ますます家に帰れない。帰れないとなると沙夜とこうして二人でいることも難しくなるだろう。
 付き合っているわけでは無い。同居をしているだけだ。
 エレベーターに乗ると、上に行く人はあまりいない。もう定時は過ぎているのだ。今会社に残っている人は残業している人になる。
 エレベーターを降りてハードロックの部門へ足を運ぶ。そこには数人の社員がまだ仕事をしているように見えた。そしてその奥に一人の男がいる。
 サラリーマンに見えないような頬まで伸びた茶色の髪。地黒なのか肌は黒く、堀が深い。それは一馬も同じだが、歳は沙夜よりも一回りほど年上なのに軽薄そうに見えるのは、ただの容姿からだろう。
 この男は昔ハードロックのバンドでギタリストをしていた。そこそこ人気はあったようだが、解散とともにこの世界から足を洗いこの会社に入った。活躍していたのは三倉奈々子が在籍していたガールズバンドが活躍していた時期ほどらしく、歳も同じくらいで奈々子とは未だに仲が良いように見える。だからプロデュースの話もこの男が話をして進めていたらしい。前任の担当者共々、大分世話になっているが今は自分の担当が忙しいらしい。
「西藤部長。千草さんです。」
 沙夜がそういうと西藤裕太は、ちらっと翔を見て少し笑う。
「悪いね。レコーディング終わりに呼び出して。」
「いいえ。」
「レコーディングは順調みたいだね。今日送られてきた曲はとても良いようだ。売れそうだね。このアルバムは。」
「ありがとうございます。」
 話があるのは翔だけだろう。そう思って沙夜は自分のデスクへ戻ろうとした。その隣には朔太郎の姿がある。朔太郎のバンドもアルバムを出したと思ったら、今度はツアーの要請とまだ忙しいようだ。沙夜もアルバムが出たら全国ツアーとまた忙しい日々になるだろう。
「泉さん。どこへ行くの?」
「報告書を……。」
「同席して欲しいんだが。担当者だろう?報告書は、明日の朝提出してくれれば良い。」
「はぁ……。」
 出来れば今日書いておきたい。と言うのも報告書というのは、今日あった仕事を書くモノなのだ。明日になれば感覚も違ってくるし、記憶違いと言うこともある。だからできるだけ早く書いておきたいのだ。
「心配しなくても、泉さんの報告書はわかりやすい。それにメモも取っているだろう。そこまで心配しなくても、そこまでの誤差はいつも無いから。」
 この男が帰ったあとにでも書いておこう。こっそりそう思いながら、沙夜は翔の隣にまた戻る。
「別室に来て欲しい。会議室を開けてあるからそこへ行こう。」
 そう言って裕太はデスクにあった鍵を手にして席を立つ。腰のあたりに付けているチェーンは、鍵が下がっているようだが何の鍵なのかはわからない。ただその数は多く、社員同士の話では裕太は奥さんがいるが愛人が何人かいるらしい。その愛人宅の鍵では無いかとまことしやかに囁かれていた。
 オフィスを出て隣の会議室へやってくる。ここでは新しいアルバムの提案や、レコード会社が主催するフェスの企画、新人の発掘などが話し合われていて、ここで「二藍」のメンバーは発掘されたのだ。
「座って。」
 カタカナのコの字に並べられた机の一番手前の席に翔と沙夜を座らせて、その向かいに裕太が座る。
「翔は話を聞いているかな。」
「どの話ですか?」
「あぁ。泉さん、まだ話をしていないのか。」
 責めるように沙夜に言うと、沙夜は首を横に振って言う。
「私も伺っていませんが。今日は一日レコーディングに付き合っていましたし。」
「そうだったな。忘れていたよ。」
 裕太はそういうと少し笑って翔に言う。
「この間、ファッション誌のモデルの仕事をしただろう。「JACK」の紗理那さんと一緒に。」
「はい。」
「それは撮り直しになった。」
「え?」
 すると裕太は少し笑って言う。
「モテる男って事だね。ずいぶん紗理那さんから言い寄られていたようだ。連絡先を教えて欲しいとか、食事に誘われたりしていたんだろう。」
「えぇ。」
 それであんなに沙夜に食ってかかっていたのか。迷惑な話だ。沙夜はそう思いながら、その話を聞いていた。
「紗理那さんと撮った写真もこちらに送られてきてね。ちょっと困るんだよ。」
「困る?」
 すると裕太はその写真を撮りだして、二人に見せる。それは恋人のように距離が近く、中には手を絡ませているモノもあった。
「雑誌のコンセプトはクリスマス向けに、恋人同士のコーディネートという事らしいが、うちはそういう売り方はしていない。この写真は誤解を与える。君にはまだ遥人と良い関係にあると思わせておきたいから。」
 ゲイカップルのようにしておきたいということだろうか。嘘ゲイなんかすぐにばれるのに。それを押し通そうとするのは何なのだろう。
「それは、世の中に誤解を与えたままで良いと言うことですか。」
「それでいい。騒ぐ女性達が、それをきっかけに「二藍」を聴いてくれれば良いんだから。そのうちそういう噂はどうでも良くなってくる。それに遥人も君も独身を貫き通すわけじゃ無いだろう。」
「それはそうだろうと思いますが。」
 沙夜のことを思う。結婚するとしたら沙夜が良い。だがまだ何も出来ていない。一歩を踏み出すのも躊躇しているのだから。
「雑誌のコンセプトに合っていなければ、千草さんを起用する意味が無くなると思いますが。」
 沙夜はそう言うと、裕太は首を横に振った。
「その辺は心配ない。違うアーティストと撮るようにするらしい。撮り方も距離を置いてもらってね。」
「違うアーティスト?」
 女性であれば意味が無い。そう思って沙夜は聞くと、裕太は笑いながら言う。
「清田啓治という歌手がいるだろう。この間の歌番組でも出ていた。」
「男ですか。」
「あぁ。そっちの路線の方がこちらとしてもありがたい。」
 翔はその言葉に頭を抱えた。またゲイの噂を立てられると思ったのだ。しかし沙夜は少し頷いて言う。
「そちらの方が良いですね。」
「だろう?変に女の噂を立てられるよりはましだよ。」
 二人は乗り気なようだ。だが肝心の翔は首を横に振る。
「俺、ゲイじゃ無いんですけど。」
「わかっているよ。趣味は女だって事も。」
 沙夜の方を見る。沙夜は涼しい顔をして、携帯電話を取り出すとそのアーティストの写真を出していた。
「体型はがっちりしてますね。千草さんが細く見えるかも。」
「体を鍛えるのが趣味みたいだ。あちらさんとしても、がっちり体型の人のコーディネートが出来ると乗り気らしい。」
 見方を変えればゲイにとってモテる体型だろう。それに翔が隣に来るとしたら、翔の噂は更に大きくなるかもしれない。
「泉さん。俺、別に……。」
「対談もされますか。」
「その予定にしている。写真と原稿が上がったらこちらに送ってもらうようにしているから。泉さんはチェックをお願いするよ。」
「わかりました。」
 出来れば同席してみたいが、個人の活動にはタッチしないやり方をしている。個人的な興味だけで突っ走ることは出来ないのだ。
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